追跡開始
「――藍川さん!」
攻撃を受け止めた藍川の元に一歩遅れて通達が入る。
「無作為攻撃が……「もう済んだぞ」
碧が言い終わるよりも先に藍川は答える。
全てを感覚で受け取っている潜行者の反応スピードは速い、碧は接続している機器に表示されたデータを見て通達を行ってきたと思われるがそれでさえ潜行者の速度には適わない。
現実世界で解析、機器へ表示、目視、藍川への通達という段階を踏んでいる間にもう潜行空間では攻撃を受け止めるところまで終了してしまっている。
精神に直接攻撃がされる状態では受けてしまっては取り返しがつかないため、受ける前に防御しなければならない。
そのため潜行者は現実世界に換算するとハードウェアの指令がソフトウェアに届くまでの間にその指令を消去する、それに匹敵する速度での攻防が求められる。
マウスをクリックした音が聞こえた瞬間にその反応が画面に現れるよりも前に指令を道中で消去する、現実では絶対に不可能なその速度での攻防が「潜行捜査官」としての技術が問われる部分なのだ。
「すみません……」
完全に遅れたことを碧が申し訳なさそうに答える。
「外部の表示の方が物理的に遅れるのは当たり前だ」
むしろトラップはどこに設置してるかの判別は難しい、即座に通達をしてきた緑は一時も目を離さずに画面を凝視していたに違いない。
「碧、お前のどんな小さなことでも通達してくれるやり方を俺は信頼してる、お前のやり方はそれでいいんだ」
「……そんな、ありがとうございます」
碧にフォローを入れつつ藍川は再度作業に戻る、まずは今のトラップの解除からだ。
「さて……どこだ?」
藍川に向かってきたトラップはエリア内に侵入した者に対して行われるタイプだ、下手に動かなければ二発目は飛んでこない。
藍川はその場から動くことなく、手を空間に広げながら周囲を見回し始める、一見すると何もしていないようにも見えるが今、藍川は周囲の様子を感じ取っている。
粒子の雲の中にある他者が設置したプログラムの微妙な変化を精神そのもので感知し探す、イメージとしては柔らかな砂に手を突っ込んで中に一つだけある石を流しているようなものか。
「……これだな」
少しすると藍川はそのトラップの設置してある場所を特定する。
もしこの光景を外部から見ることが出来たとしても見た目では全くわからないだろう潜行者の全身を使った感覚を使えばそこが他と違うという事を感じることが出来る。
その分かるという感覚が分かるのは潜行者だけ。
場所を特定しその周囲に別のトラップが仕掛けられていないことも確認した藍川はその場所に手をかざす。
するとそのかざした手に引き寄せられるように光る雲海のような地から粒子が寄せ集まった塊のようなものが出てくる。
これが「プログラム」だ。
潜行空間において自然に形を成すものは存在しないが先ほどのファイアウォールのように人の手を介して作られ、この空間に投入されたものは形を持っている。
よってこのプログラムも多少の偽装は行われているものの先ほどのファイアウォールと同様に誰であっても同じ形で認識することが出来る。
「消去っと」
手中にプログラムを確保した藍川はそう言いつつ抱えた塊を両手で押しつぶす。
するとその塊は一瞬にして砂が崩れていくように空間に散らばっていき、最後には形を失ってプログラムを形成していた粒子全てが潜行空間の中へと消えていった。
藍川がここまで行ってきた一連の動き、現実で行われている作業とは全く異なるがこれは現実世界で言うハッキングと同等の行為だ。
潜行空間において形を保っている物体は全て内部に存在しているデータを核として周囲の粒子が寄せ集まる事でその形を成している。
つまり潜行者とは、自らの精神をデータとして周囲の粒子に指令を送り自らの手足の様に操作する技術に長けた者のことを指している。
そして指令によって形を成している物体のデータを無くすことによって核を失った粒子は再び飛散する。
この流れが現実におけるデータの消去。
現実世界であればハードウェアという操作盤を用いて行うこれからの行為を潜行者は感覚で行えるのだ。
「碧、一つ消去したぞ」
「――はい、確認しました、報告しておきます」
トラップの消去を報告し、現実世界の碧がそれを報告していく。
この地味な作業が藍川の仕事の半分以上を担っている、正直かなりの単調な作業だ。
藍川ほどの潜行技術を持ち主であればそれはまるで爆発しても死なない程度の威力の地雷が埋まった場所を歩いて除去しているようなものだ。
藍川としては単調な作業はさっさと完了させたいところであるが、そんな日々の努力虚しくこの作業は一向に進展の気配を見せていない。
このようなトラップはプログラミングとしてもかなり単調なもので、その気になればいくらでも製造可能という背景があるからだ。
施設としての最終目標は潜行空間を全てファイアウォールで取り囲み絶対的な保護を行うということを掲げているが、その為にはファイアウォールで囲う場所に設置してあるトラップを全て解除するという意味でもある。
この把握すらできていないほどのとてつもなく広さを誇る潜行空間にあるというのだからそれを全て除去するのがどれほど困難な事なのか想像しただけでも頭が痛くなる、それが実現されるのは自分が生きているうちには不可能だろう。
やはり、その目標が達成されるには根本を、つまりそれらのプログラムを制作、設置しているハッカーの撲滅こそが有用であると藍川は考えている。
潜行空間の治安悪化の原因を作っているのは紛れもなくハッカーなのだ、それを断ってしまえばいい。
藍川はいつもそう考えている、その強い意志を持っているからこそ彼は類いまれな潜行技術を得ることに成功したのかもしれない。
だが結局は今の様に単調な作業を繰り返すしかない、そんな日々に内心悪態を付きたくなる時もあるが愚痴を言っても何もならない、仕方なく作業を開始しようとした時。
「――藍川さん、緊急の通達です」
碧からの緊急の通達、緊急と聞くと何事かと物怖じしてしまいそうなものだが、それを聞いた瞬間、藍川の中では一気にやる気と興奮が沸き立つ。
「来たか?」
上ずったような返答をする藍川に碧は苦笑いしつつ通達を続けてく。
「――あはは……そうです、潜行によって違法行為を行っていたハッカーを発見しました、発見場所付近へのリンクを近くに設立しますのでそれに乗って移動後、逃走中のハッカーの確保をお願いします」
その言葉が終わるとほぼ同時に、藍川の近くにファイアウォールと似たような物体が現れる。
これが潜行空間上におけるリンクを潜行者視点で見たものだ。
碧が高速でリンク先のアドレスを含んだものをプログラミングしこの場所に設置したのだろう。
碧もこの程度のプログラミングであれば瞬時にやってのける程の腕は持っているのだ。
やっぱりお前は優秀だ、藍川は碧の仕事の速さに感心しつつ、リンクに触れる。
それによって光の中を走り始めた藍川の脳内に碧の声が聞こえる。
「――リンク先にはすでに追跡を始めた潜行者がいます、そちらの方に詳しい事情を……」
だがその説明が終わるよりも前に藍川はその中を抜け終える。




