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潜行開始(2)

 

 潜行空間に出た藍川はそのまま降り立つ、その表現が正しいのかはわからないが彼にとっての地面と言える場所が確かにそこに存在している。


 その地面はふわふわとした雲のようなもので出来ており固さという物は全く感じない。

 潜行世界にある物は全て潜行した人間の精神が感知したものだけで構成されている。

 人の性格が一人一人異なる様に、同じ場所であっても潜行者によって捉え方は異なる。


 例えば藍川はいつ潜行しても今のような場所、言葉に表すなら黄金色に輝く雲海のような光景が広がっているのだが、彼の同僚に言わせると白い正方形の物体が無数に並んだ幾何学模様のような光景が見えているという。


 人の考えは千差万別と言うがここでは景色すらも千差万別となっている、他人の見えている光景がどのような物なのかはこの光景が自分にとっての常識である藍川には全く想像できない。


 そんな事を考えながらその光る雲海の上に降り立った藍川は感覚を確かめるように周囲を少し歩き始める、歩くたびに足元の雲を作っている粒子が舞い上がり空間に散らばっていく。


 星くずのような粒子が舞う乙女チックともいえるような光景を視界に収めながら進んでいると藍川の脳内に声が聞こえて来る。


「――藍川さん、具合はどうでしょうか?」


 聞こえてきたのは碧の声、外部から初期導入の終了を確認した碧は潜行に入った藍川の状態確認を開始し始めたのだ。


「特に問題はない、いつもと同じだ」

「――わかりました、ではいつも通り門の方へと向かってください」


 ああ分かった、そう言った藍川は走り出す時の様に足に力を入れ踏み込んだ。


 直後、その場で爆発が起きたかのように足元の雲が巻き上げられ光の粒が大量に空間に舞い散る。

 その光の粉塵が収まる暇もないままその中から光り輝く人型が高速で飛び出してくる。


「――あ、藍川さん! ここは安全区域内ですからそんなに急がなくても!」


 脳内で碧の声がこだまするが特に意にした様子もなく藍川は疾走する。

 その歩幅は現実世界だったら数十メートルはくだらないほど、それほどの距離を一度の踏み込みで飛んだ藍川は着地すると同時に再び強く足を蹴り出す。


 再び粒子が巻き上げられると同時に起こった二度目の跳躍は一回目とほぼ変わらない距離を記録し、走るというより軽く空を飛んでいるようなレベルのストライドで藍川は疾走する。

 その歩幅で数十歩ほど跳んだところで藍川の前方に物体が姿を現す。


「見えてきたぞ、碧」


 そこにあったのは巨大な壁。

 といっても現実世界にあるようなレンガやコンクリートなどを思わせるようなものではない

 地面から柱の様に伸びている部分と、その間を渡すように伸びている光る棒状の部分から構成されているそれは、どちらかと言うと有刺鉄線などに近い印象だ。


 これが今の潜行空間の治安悪化を防いでいる防衛線「ファイアウォール」である。


 これは外部からプログラムとして設立されたものであるため、潜行者全員が共通して認識することができる。

 そのため藍川の見ている雲海のような景色では雲の中から突然金属質の物体が伸びているような状態となっているので非常に場違いな雰囲気を醸し出す事となる。


 このファイアウォールによってぐるりと取り囲まれた場所は絶対的な安全が保障されている。

 ファイアウォールによって囲まれている場所は、設置した施設や機関の統制プログラムによって常に内部の状態が一定に保たれる原理になっているからだ。


 簡単に言えば中に通常存在しないはずの物が入り込んだり、逆にいつもはあるはずの物がなかったりするとそのエリア内で異常が発生したと即座に認識し確認を行う仕組みだ。


 よってエリア内の状態を書き換えようとする、中にいる人間の精神に何かしらの異常が発生するとまさしくその異常事態に引っかかることとなる。

 治安の悪化が凄まじい現代の潜行空間においてもこのファイアウォールで囲まれたエリアであれば安全は保障されている。


 だがファイアウォールによって安全が保たれているのは国家レベルで運営している場所やファイアウォールの管理を専門に行っている企業を雇っている場所ぐらいだ。

そのような場所は「サイト」と呼ばれ、専門的な知識を持たない一般人が安全に潜行を行えるのはそこだけだ。


 世界には個人でファイアウォールの管理を行ってネットワーク上で土地の如く自分のサイトという物を持っている者もいるらしいが、それはよっぽどの物好きか富豪程度だ。

 昔は潜行を利用したリアルな体験ゲームなどの企画も持ち上がったりしていたがその前に犯罪による治安悪化によって一般人が潜行を行う理由はほとんどなくなってしまった。


 家庭用に開発されていた外部インターフェースも潜行の世界的な規模の縮小から生産は中止され、結局新たな情報共有ツールとしての存在と成りえることはなかった。


 そんな世界の移り変わりを思いながら、藍川はファイアウォールの出入り口の方へと向かって行く。 


「碧、着いたぞ、ロックを解除してくれ」

「――はい、くれぐれもお気をつけて」

「心配無用だ」


 外にいる碧はそんな藍川の声を聞きながら観測所の機器を操作する、この《電脳犯罪捜査機関第一支部》は国家のファイアウォール維持管理局に直接通過申請を行わなくても出入りが許されている数少ない組織の一つだ。


 勿論その背景には幾重もの機密保持規則や徹底的な管理体制があるのだがそれでも数週間にもわたる許可申請を行わなくても出入りできるというのはそれに余るほどの信頼の証でもある。


「――コード感知、外部への退出を認めます」


 機械的な声が潜行空間に響くと同時に、ファイアウォールの柱を渡すように掛けられている棒状の部分がスライドし、その取り囲んでいた空間からの出口を露わとする。


 ここから先は、完全な無法地帯、無作為な攻撃を突然受けたとしても自分で防衛しなければならない領域。


「――『潜行者』外部潜行空間に出ます」


 脳内で碧の声を聴きながら藍川はファイアウォール領域内から外へと出る。



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