プロローグ
これは「プロローグ」というタイトルですが、何かの物語のプロローグではなく「プロローグ」という名の物語です。
例えばずっと片想いをし続けていた彼女に婚約者ができたとき、一人暮らしの身で風邪を引いて弱っているとき、学生時代の同窓会に出て、自分以外の全員が所帯を持っていることに対して孤独を感じたとき。
そういう、気分が落ち込んで鬱になってしまったとき、決まって僕はある冬の夕方を思い出す。
10年前、何の気なしに訪れた近所の公園で、僕はあの子と出会った。
やたら可愛いくせに風変わりで、少し頭がおかしいんじゃないかと思える女の子。
あの子を思い出すたびに、僕は、未来への希望と現状への煩悶を繰り返し、最終的にはまだ生き続けてみよう、という気にさせられる。
それほど、彼女は当時の僕の人生にとって印象深く、鮮明に記憶に残されていた。
10年前――中学2年生だった僕は、自殺を決意していた。
理由は、度重なるイジメによる肉体的・精神的苦痛によるものである。
僕がいじめられるようになった原因は簡単だった。
単純に成績が悪く、常にどんくさくて、顔立ちも不細工という、長所を探す方が難しいような人間だったからである。
当時の僕は170センチほどの身長があったものの、生来脂肪が付きにくい体質なのか、骨と皮だけかと思えるほどガリガリで、体重もわずか49キロしかなかった。
その割に、遺伝的なものなのか肌がやたらと色黒だったので、近い野菜から名前をとられて、「ゴボウ」といって馬鹿にされていた。
最初の内はまだ、そのように適当にいじられるだけだったのだが、やがてそれは徐々に僕を晒し者にするようなイジメに変わり、最終的にはクラスのヤンキーたちの体の良いサンドバックと化すまでになった。
担任の先生は、面倒事はごめんだとイジメを黙認し、クラスメイトのほとんども、積極的にイジメに加担する訳でもないが、止めるわけでもない。
つまり、このイジメを止める人間は誰もいないという状況だった。
かといって、両親に言うというのは、僕のプライドとして許せなかった。
親に対する意固地になった最後のプライド、とでも言うのだろうか。
僕は、両親に自分がいじめられている、みっともない存在だと知られるのがたまらなく嫌だったのである。
今にして思えば、そんな幼稚なプライドは捨てて、何もかもを相談すべきだったのだろうが、当時の僕はそんな風に折れることができず、内へ内へとストレスを溜めていき、終いには自暴自棄になって、自殺をしようという結論に至ったのだ。
その日僕は、久しぶりに学校がない土曜日だった為、なんの当てもなくただぶらぶらと公園を歩いていた。
無論、頭の中にはいかにして自殺をするかということで一杯だったが、一口に自殺といっても、僕の場合は簡単にできる訳ではなかった。
風呂場で手首を切ったり、建物から飛び降りたり、電車に飛び込めばすぐに死ねるだろうが、あまり人に迷惑をかける死に方はしたくなかったし、何より痛みが続いていくのは避けたかったからである。
だが、そうすると今度は一転、自殺という行いは難しくなる。
可能な限り人に迷惑をかけないでいて、かつ、痛みがあまりない死など、そうそうないものだからだ。
だが、何とかしてそれを思いつかなくてはならない。
月曜になれば、また悪夢の学校生活が始まるからだ。
とはいえ、自宅でそれを考えていても妙案は思いつかなかったので、環境を変えようと、近所の公園にまで足を運んだのだ。
土曜ということもあってか、昼日中の公園には、色んな人がいた。
ベンチに腰掛けて船を漕いでいる老人、砂場で遊ぶ幼児たち、ランニングウェイで走る壮年の男性、犬と散歩に来ている主婦……。
皆、溌剌とした顔で人生を過ごしている。
そう思うと、なんだか自殺しようとしている自分が滑稽に感じられてしまう。
そんな気まずさからふと公園の入り口を見ると、一人の女の子が立っていることに気付いた。
「……!!」
その子を見た瞬間、僕は目を見開いた。
なぜなら、そこにいる子は――月並みだが、とても美人という表現では埋め尽くせないほど、美しい人だったからである。
パッチリとしている二重瞼の眼、すらりと通った鼻筋、薄い桜色の唇。
それぞれのパーツが際立って整っており、それらが顔全体の美を際立たせている。
年齢は、僕とそう変わらないだろう。
白のセーターの上にクロムグリーンのダッフルコートを着ており、茶色のプリーツスカートに茶色のムートンブーツがよく似合っている。
だが、僕が惹かれたのはそういったところではない。
なんというか、言葉で説明するのは難しいのだが、どこか寂しげで、かつ超然とした雰囲気を醸し出している――とでも言おうか。
そんな女性が、公園の入り口で腰に手を当てて仁王立ちしている。
そのミスマッチな感じに惹かれ、ひたすら彼女を眺めていると、彼女は疲れたような顔で僕の座っているベンチに近づいてきた。
「……っ!」
僕は、緊張で身体をカチコチにしたまま、黙って彼女が近づいてくるのを傍観することしかできない。
やがて僕の目の前まで来た彼女は、僕の隣――同じベンチに腰かけた。
「…………」
一体この状況は何なんだろう。
公園に立っている謎の美女を眺めていたら、その美女が僕の隣に腰かけてきた。
ちらりと相手の様子を伺いつつも、その横顔からは何の意図も読み取れない。
特に持ち物も持っていなかったから、待ち合わせというわけではないだろう。
つまり、彼女は僕の存在を知って、意図的にここに腰かけたというわけだ。
……どうしよう。
僕は、心の中で自問自答を幾度か繰り返した末に、結局は好奇心を抑えきれず、意を決して話しかけてみることにした。
「あ、あのっ」
思わず緊張で声が裏返ってしまった。
僕は赤面しつつ、咳払いをして声を整える。
「……ひ、暇そうですね」
「……そう見える?」
僕の様子がよほどおかしかったのか、くすっと笑うと、彼女はこちらを向いてすぐ返事をしてくれた。
心地よい、透明感のある爽やかな声だ。
「え、ええ……。入り口から、一目散にこのベンチに来ましたけど、どうかしたんですか?」
「……別に。ただ、ここから公園を観察するのが好きなだけよ」
「観察?」
「ええ。人間観察と言ってもいいかしら。ここにはいろんな人がいるじゃない? 老人、幼児、主婦、サラリーマン……。その人たちがそれぞれ別の人生を歩んでいるのに、こんな何の変哲もない公園で一同に会している。そう思うと、なんだか面白くてね」
「あ……そういうの、僕も少し、わかります」
「あら? 無理に私に話を合わせなくてもいいのよ?」
彼女は挑戦するような目で僕を見てくる。
少しムッとした僕は、敬語を使うことも忘れて唇を尖らせた。
「別に話を合わせるとか、そういうのじゃないよ。ただ、ここでボンヤリ周りの人間を見るだけで、それぞれが別の人生を歩んでいることはわかる。僕も、それを面白いと思っているから、よくここに来るんだ」
「へぇ……」
彼女は少し驚いたように目を見開くと、興味深そうなモノを見るかのような目で僕を見てきた。
「貴方、面白いわね。名前はなんていうの?」
「か、上村一希。上に村、一つに希望の希と書いて一希だ」
「一希くんか。いい名前ね」
そういって彼女は、僅かに微笑んでみせる。
僕は、思いがけなく褒められたせいか、茹で上がるように顔を赤面させて押し黙ってしまった。
「じゃあ、そういう貴方……一希くんも、ここへ人間観察をしに来たの?」
「それもあるけど、それだけじゃない。ちょっと悩んでいることがあって、それを解決しようと思って気分転換にここに来てみたんだ」
「悩み、ね。実は私も悩みを抱えているんだけど……よかったら同類同士相談に乗るわよ?」
彼女はからかうような口調でウィンクをしてくる。
僕と年齢はそんなに変わらないはずなのに、妙に絵になるというか、そういう仕草が洗練されて見えるから不思議だった。
「僕は……」
少し思案した後に、僕は本当のことを言ってみることにした。
「自殺の方法を考えに、ここに来たんだ」
「自殺?」
流石に不審に思ったのか、彼女は眉を寄せて思案顔になる。
「うん。僕、学校でイジメを受けててね。それで自殺しようと思ったんだけど、人に迷惑をかける死に方は嫌だから、どうしようかといろいろ悩んでいたところなんだ」
「ふふっ」
急に彼女は、おかしそうに笑った。
「そんなにおかしい?」
僕は少しムッとして問い返す。
「ごめんなさい。気分を害したのなら謝るわ。一希くんの身上を笑った訳じゃなくて、初対面なのに、いきなりディープな話をするなぁと思って笑ったのよ」
「初対面だからだよ。ここで関係がこじれても、僕とあなたは二度と会うことがないんだろうから気が楽だし。それに、こう言ったら変かもしれないけれど……あなたを一目見た瞬間、何か、特別な雰囲気を感じたから。この公園にいる誰よりも、僕に近い人のような、それでいて、どこか超然としているような……って、自分でも何言ってるのかよくわからないけど、とにかく、そんな気がしたから、言ってみる気になったんだ」
「…………そう。特別な雰囲気、ね……」
彼女は寂しそうな表情をしながら頷いた。
「先生やクラスメイトに、イジメのことを言う気はないの?」
「先生は黙認してるよ。他の生徒も、僕がいじめられていることを知りつつも、クラスのヤンキーたちに逆らって火の粉を浴びるのはごめんだから、無視してるって感じかな」
「じゃあ、両親は?」
「親は……」
僕は、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……両親には、イジメのことを知られたくないんだ。自分でも幼稚なプライドだってことはわかっているけど、こればっかりは仕方がない。親に憐れみの目で見られるなら、自殺する方がマシだって思って死を決意したくらいだから」
自分でも言い辛いと思っていたことを、すらすらと僕は説明していった。
何故か彼女の前では嘘を吐きたくなかったし、仮に吐いたところでたちどころに見抜かれそうな予感がしたからである。
「……そっか。君も、いろいろ抱えてるんだね」
「君……も? あなたも、何か抱えてるっていうの?」
と、そこで初めて、僕は彼女のことを何も知らないことに気付いた。
「そういえば、僕の名前は言ったのに、君の名前を聞いてないな。よかったら名前を教えてよ」
そう言ううと、彼女は少し驚いたように表情を変えた。
そんなに名前を言うのが嫌なのだろうか?
僕は、憮然としつつじっと黙って彼女の返事を待った。
「……名前……か」
誰に言うでもなく、そんなことをポツリと彼女は呟く。
だが、次の瞬間、彼女は急に表情を変え、艶やかな視線を僕に見せた。
「な……なに?」
「そうね。ここで君と出会ったのも、何かの運命なのかも。うん、時間もないし、もう一度だけ、この時代の人間を信じてみようかな」
「……いやに思わせぶりだね。一体名前に何があるっていうの?」
「特に何かある訳じゃないわ。ただ、私の名前は、日本語じゃないの。よく聞いてね。『RN2-PIG』って言うのよ」
「あーるえぬ、つー?」
僕は、戸惑いながら言葉を返す。
すると、彼女は大真面目だとでも言うように真剣な表情で頷き返した。
「そう。日本語で発音するなら、アールエヌツー、ピーアイジーってことになるわね。それが私の名前なの」
「……ペンネームとか、芸名とかそういうの?」
「違うわ」
「じゃあ、自分で考えた呼称とか?」
「それも違う」
「えっ、と……」
僕が混乱の極みに達しようとしていた時、彼女はふっと笑って表情を緩めた。
「ふふっ。言葉が足りなかったわね。まず、私の事情から説明するとしましょうか。実は私は、未来からここに来たのよ」
「えっ? み、未来!?」
「そう。正確には、今から約150年後……2165年の未来から、ここへタイムスリップをして来たの」
「タイム……スリップ?」
その言葉を聞いた途端、思わず僕は背筋に冷たいモノを感じた。
失敗した。
やたらと可愛いからといって、鼻の下を伸ばして話しかけるんじゃなかった。
中二病……いや、そんなもんんじゃない。これじゃまるで、電波女だ。
未来から来たなんて、そんな馬鹿な話、信じられるはずがない。
そんなことを思いながら押し黙っていると、彼女はそう思って当然とでも言うように優しく微笑んだ。
「ふふ。その顔は、信じてないわね。まあ、当然といえば当然だけど。いきなりこんなことを言われちゃあ、戸惑うよりまず私の頭を疑うわよね。でも、いろいろ言いたいことはあるだろうけど、とりあえず今は、最後まで私の話を聞いてくれない? 適当に、作り話だと思ってくれてもいいから」
「……わかった」
いろいろと納得いかないことはあったものの、言われた通り頷いておく。
まぁ、この女がイカれてようと、虚言癖があろうと僕には関係がないことだ。
あまりに聞くに堪えない妄言を話されたならこの場を去ればいいんだし、それなら、話くらいは聞いても構わないだろう。
「ありがとう。じゃあ、話を続けるわね。私がいる2160年代では、人類は宇宙人に支配されているの。私たちのいる時代から遡ること60年前――2100年頃、地球から10億光年近く離れた星の一つ、トラルファマドール星と呼ばれる惑星から、複数の生命体がやってきた。便宜上、彼らを『トラルファマドール星人』とでも言い表しましょうか。彼らは人間と同じくらいの背丈・体を持つけれど、肌が紫色をしていて、人類よりもより進んだ科学技術を持つ高度な知的生命体なの」
彼女は、何を思いだしているのか、嫌悪感に顔を歪めながら語る。
それは、どうにも作り話とは思えないリアリティがあるように思えた。
「彼らが地球に訪れた目的はただ一つ。それは、人類を支配する為よ。生命体が惑星にできる確率を知ってる? それは、太陽から適度な距離があり、水があり、緑があって初めて生じる。つまり、全銀河を見渡しても数える程しかない。故に、トラルファマドール星人は、地球を植民地として収めようとしていたわけ」
「まぁ、よくあるSF映画でありがちな設定だね」
僕は、思ったことを率直に告げる。
すると、彼女もおかしそうに笑った。
「そうね。私も授業で事のあらましを聞いた時は、『どこの映画よ?』なんて思ったものよ。でも、事実そうなのだから仕方ない。トラルファマドール星人の持つ科学力は人類のあらゆる武器や兵器をもってしても対抗はできず、結局、当時の超大国である中国とアメリカが折れたことで、後は芋づる式に人々はトラルファマドール星人の下に膝をついた。そうして、地球は晴れて彼らの植民地となったの」
「植民地……ってことは、人類はそいつらの奴隷にされたってこと?」
「そうね。奴隷みたいなものかも。彼らは私たちに一定の人権は認めつつも、それ以外をよしとしなかった。まず、人類に許された領土はここ、日本だけになったわ。その他のユーラシア大陸、アメリカ大陸、オーストラリア大陸等の肥沃な大陸は全て、トラルファマドール星からくる移民の住居として使われるようになってしまった」
「え? それじゃあ、世界中の全ての人間が日本に移住したってこと?」
「そう。とはいえ、当時100億近くある人口が、全てが日本に移住しても暮らしていける訳がないでしょ? その後は、血で血を洗う醜い戦争が始まったわ。懲りずにトラルファマドール星人に挑み続ける人もいたし、考えの不一致や食糧問題などから、白人と黒人と黄色人種に分かれて人類同士でも戦争を起こし始めた。そうなっては、もはや法もモラルも意味をなさない。それこそ、地獄絵図のような世界になっていったわ」
「……よくわからないけど、そこが酷いことになったっていうのは伝わってきたよ」
「でしょ? でも、そこから更に事態は悪化していったの。人間同士の諍いを知ったトラルファマドール星人は、それらを煩わしいことと思ったのか、人類を管理することに決めた。私たちには全員、名前をなくして、記号を使ったコードネームを割り当てられた。さっき言った、RN2-PIGっていうのは、私に与えられたコードネームのことよ。また、彼らは人口統制も行い、人類の人口は1億人以上増やしてはならないという通達を出してきた。
当然、生き残っていた人類は、強制的に彼らに殺され、1億人にまで減らされたわ。それだけじゃなく、政治も、教育も、娯楽も……あらゆることに口を出してきて、人類はさしずめ、彼らの傀儡のような生活を送ることになってしまったのよ」
「昔、そう言った小説があったね。なんだっけ……そうだ、クラークの『幼年期の終わり』だ」
僕は記憶の片隅に残っていたSF小説のタイトルを出す。
だが、彼女は知らないようで、可愛らしく首を捻っただけだった。
「へぇ、そんな小説があるの? あいにく、私たちの世界では、もう絶版になってしまっているのか、それとも焚書で処分されたのか、読んだことはないわ」
「そっか。それは残念だね。まぁそれはいいとして、で、なんで君はここに来たの? そのトラルファ……なんちゃら星人とやらは、タイムマシンでも持っていたっていう訳?」
僕がその名前を言えないことが面白かったのか、彼女はふっと笑って口を開いた。
「まぁ、端的に言うとそうね。私は、今や人類でも数少ないレジスタンスの一員なの。トラルファマドール星人を排斥し、人類の尊厳と領土を取り戻そうと戦っている人たちの一員。昔は大多数の人々がレジスタンスと似たり寄ったりの思想を持っていたようだけど、トラルファマドール星人の科学力と戦闘力の前に一人、また一人と膝をついていき、やがて人類は彼らに支配されてもいいと思うようになっていったわ。そんな中、最後まで諦めず、足掻き続けた人たちの末裔が、私ってわけ」
「ふーん。そりゃ、またドラマチックな設定だね」
興味なさそうに首を捻ると、彼女ももっともだというように自嘲してみせた。
「ふふっ、そうよね。確かに、自分でもドラマチックな人生を歩んでいると思うわ。私はそのレジスタンスに生まれ、彼らに対抗する術を探し続けた。とはいえ、科学力や技術力には雲泥の差がある他、彼らに管理された生活を送っている以上、私たちに反逆の手立てはないに等しい。そこで、私たちは彼らの持つタイムマシンを乗っ取るという計画を立てたの」
「そのなんちゃら星人は、タイムマシンを持っていたの?」
「ええ。彼らトラルファマドール星人は、その科学力を駆使して、タイムマシン――時間旅行を行う機械を発明することに成功していた。尤も、未来には行けず、まだ過去にしか戻れないという欠陥品らしいけどね。でも、私たちからすればそれで充分だった。過去にさえ行ければ、未来を変えることができるからね。そうして、作戦は結構された。レジスタンスから100人の精鋭が集められ、トラルファマドール星人の要所に攻撃を仕掛けた。そんな中、唯一私だけが、その内の一つを乗っ取って、ここまで逃げてくることに成功したの」
「何か、途方もない話だね。スケールがデカすぎて、僕にはよくわからないけど……なんで、この時代に来たの? 過去を変えたいなら、そのなんちゃら星人が来るところからやり直せばよかったんじゃないの?」
「私だってそうしたかったけど、仕方ないじゃない。タイムマシンは、かなり厳重に管理されてたの。おまけに、奴らから追われていたから、詳しく時間を指定する暇もなく過去に飛ぶしかなかったのよ。まぁ、戦国時代とか、そこまでの過去じゃなかっただけマシだけどね」
「…………」
僕は、何となくバック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアンを連想してしまった。
そういえば、あれも飛ぶ年代を適当にしちゃって、未来へ帰る為にいろいろと主人公が画策する、というような話だったっけ。
いや、この場合は、むしろターミネーターだろうか。
昔見た映画を思い出しながら、そんなことを思ってしまう。
「……それで、結局、君はどうしたいの?」
「……とりあえずは、奴らに見つからないように潜伏し続けることが一つね。今頃、トラルファマドール星人は、血眼になって私を見つけようとしているはずだから」
「その星人は、君を見つけ次第連れて帰る気なの?」
「さぁ? 連れて帰って見せしめに拷問をするのかもしれないし、問答無用で殺す気かもしれないわね。だからこそ、私はこの時代に来て、協力者を募っていたの」
「協力者?」
「未来を導く担い手とでも言い変えればいいわ。つまり、私たちの時代にトラファマドール星人に支配されない為に、一希くんには、是非やってほしいことがあるの」
「やってほしいこと……ねぇ」
僕は、面倒事はごめんだと言うように眉を寄せた。
「これから60年後――トラルファマドール星人が地球を見つけられた大きな理由は、人類の宇宙進出によるものなの。火星に移住する計画だとか、宇宙ステーションを作る計画だとか、今でも漠然とは聞いているでしょう? その計画が、いよいよ実行に移されて、太陽系での行動が頻繁に行われるようになった。その痕跡を奴らに察知され、彼らはここに侵攻しようと思い立ったみたいなの」
「つまり、僕に現代の宇宙開発をやめさせろっていうの?」
「わかりやすく言えば、そうね」
彼女は嬉しそうに笑いながら頷いた。
まるで、自分の話す荒唐無稽な話が、さも事実だと言わんばかりに。
「……あのさ。君は僕を買いかぶりすぎてるんじゃないか? まず最初に言っとくけど、僕は君の話をこれっぽっちも信用していない。が、まぁ百歩譲って君の言ってることが事実だとしよう。そうだとしても、僕に一体何ができるって言うんだ? 僕は、ただ学校でいじめられているごくごく平凡――いや、平凡以下の中学生だよ? そんな僕に、人類の宇宙進出を止められることなんてできると思うかい? 頼む相手を間違えてるよ、君は。本当にそういうことを実行したいんなら、政治家にでも頼むべきだ」
「……そうね。あなたの言う通りなのかもしれない。でも、この時代に降り立った私が、時の権力者である人間にそうおいそれと会えるはずないでしょう? 会ったところで、一希くんが言った通り、妄言扱いされるだけだろうしね。それに――影響力が強い人間は、当然トラルファマドール星人もタイムマシンを使ってマークしているはず。彼らがノーマークの人間に私の意思を託す方が、勝算は高いと判断したの」
「だからって、なんで僕に……」
「決まっているでしょう?」
そう言うと、彼女は今まで見た中で一番美しいと思えるような、艶やかな微笑みを見せた。
「一希くん。貴方は自分を平凡以下の中学生なんかと卑下したけど、私はそうじゃないと信じているからよ」
「っ……な、何をいきなり……」
急に褒められて思わず僕は動揺してしまった。
「一希くん。貴方は、学校でいじめられて自殺しようとしている。教師にも頼れず、親にも言えず、独り自分の殻に閉じこもって、自らの命を絶とうとしてる。いえ、ひょっとしたら、私がこの時代に来る前の貴方は、本当にここで命を絶っていたのかもしれない。でも、そんな感受性の強い貴方にだからこそ、私は頼みたいと思ったの」
「僕……だからこそ……」
まるで呪いのように、その言葉はすっと僕の脳に入っていった。
「世界は宇宙人に支配される。こんな荒唐無稽な話、信じてくれないどころか、普通の人はここまで聞いてくれすらしないわ。事実、今まで何人かのこの時代の人と話したけど、皆、私の言うことを聞くだけで去って行った。……いや、私の容姿を気に入ったのか、執拗に付きまとってくる人もいたけど、誰も私の話を真実だとは思ってくれなかった。まぁ、考えてみれば当然よね。私も、逆の立場だったら、いきなりこんな話をされたって信じないもの。むしろ、頭のおかしい人なんじゃないかと思って、距離を置く……それが、普通の考え方。でも、あまりにそんな対応をとられ続けて、身も心も疲れ果ててこの公園で人間観察をしていた時――私は君と会ったの」
「それは……」
僕は、先ほどの彼女の顔を思い浮かべる。
どこか超然とした、それでいて思いつめたような顔。
あれは、自分の話がどこにいっても理解されない憂いを含んだものだったのか。
僕自身、いじめられて袋小路に追い込まれているだけに、その心の痛みは充分過ぎるほど理解できた。
「ねぇ、お願い。騙されたと思って、私とここで約束をしてくれない? いつか必ず、人類の宇宙進出を止めてくれるって。いじめになんて負けずに生きて、がむしゃらに生きて、いつか私たちをトラルファマドール星人の支配から救ってくれるって」
「……仮に――仮にだけど、君の言っていることを信じたとしよう。でも、僕は、漫画に出てくるような主人公とは違うんだ。人類の宇宙進出を止めるなんて、そんな大それたことができると思うかい? とてもじゃないけど、そんな約束なんて……」
「お願い」
彼女はぐっと顔を近づけてくると、両手で僕の手を握る。
ふわりと舞う髪からは香水のようないい匂いがして、僕は思わず顔を背けてしまった。
「もう、君しかいないの。そろそろ、帰る時間が近づいているから……」
「帰る時間?」
「ええ。これが何だかわかる?」
彼女はコートのポケットから、カプセル剤のようなモノを取り出した。
そこには、よく見ると180と刻まれている。
いや、今見た瞬間、それは179へと変わり、そして178へと変わった。
「これは……!?」
「私がここにいられるタイムリミットよ。最初にこの時代に着いた時、これは1万と表示されていた。つまり、大体3時間ほどね。それが今や、残り3分足らずしかない。これが0になった時、私は強制的にまた未来へ飛ばされることになるの」
「急にこんなことを言われて、困惑していると思う。でも、この話は紛れもない真実なの。だから……一希くん、私を信じてくれない?」
彼女は目に涙を浮かべ、懇願するように僕を抱きしめた。
僕は、驚いたよりもまず羞恥心が勝って、つい周りを見てしまう。
だが、公園にいる人々はよくいる学生カップルの痴話喧嘩とでも思っているのか、特別こちらに注目する訳でもなくそれぞれいつも通りの行動をしていた。
「お願い、一希くん……」
「…………」
だが、涙に濡れる彼女とは別に、僕の心は冷静だった。
類稀な美貌を持つ彼女に褒められ、縋られるのは悪い気はしなかったが、それとこれとは話が別だ。
トラルファマドール星人、か。
この女、よくもまぁこんな設定を次々思いつくものだ。
さっきのカプセルみたいなものも、それらしい小道具を持ってきたと思えば説明はつく。
こんな女に構うことはない。
さぁ、立ち上がってこの場を去ろう。
「…………」
そんなことを思いながらも、僕は一向に足を動かそうとはしなかった。
――そう、これは正論だ。
まともな人間の考えなら、誰でもそうするだろう。
美人がいるから話しかけてみたら、訳のわからない荒唐無稽な話をされた。
まだ、よくわからない壺を買わされたり、宗教に勧誘されたりする方がマシと思える程の――ナンセンスな話だ。
だが、この時の僕は少し、センチメンタルな気分になっていたのだと思う。
学校でいじめられ、蔑まれ、親にはそれを隠しきり、人生を悲観し自殺を決意した。
そんな中――例えそれが嘘であろうと、『僕』という存在を認めてくれた人。
僕の自殺を止めるでもなく、親に言わない愚を諭すのでもなく、いじめの解決策を示すのでもなく。
彼女はただ、僕を肯定してくれた。
そして、僕を必要としてくれた。
ならば――。
僕は、彼女に恩返しがしたい。
例えこの話が嘘でも、それに乗ってあげるくらいの優しさを見せてあげたい。
それに――。
万が一、彼女が言っていることが本当なら、僕は今、大きな歴史の分岐点に立たされていることになる。
何をするにも平々凡々で、テレビや漫画に出てくる主人公なんて夢のまた夢だった僕が。
どんくさく、いじめられていたこの僕が。
そのような、世界を巻き込むスケールのでかい物語の「主人公」にとして、世界を救うキーパーソンになるかもしれないのだ。
「……いいよ」
気付けば、僕は口を開いていた。
「約束だ。君の言っていることが真実なら……僕は、必ず宇宙に進出する人類を止めたい。いや、止めてみせる。これから、その為に僕は生きるよ」
「……ホント?」
「ああ。約束だ」
僕は彼女に小指を差し出す。
すると、彼女はどこかきょとんとした顔のまま首を捻った。
「これ、なに?」
「指切りを知らないのか? それとも、君がいる未来では、もうなくなったのかな? 今の世界では、約束をする時、お互いの小指と小指を結ぶんだ」
「へぇ……なんだかロマンチックね」
そう言うと、彼女も小指を差し出してくる。
僕たちは、お互いの小指を固く合わせると、見つめ合った。
「それじゃあ……約束ね。人類はこれから、人口の肥大化と資源の枯渇化により、間違いなく宇宙進出を進めようとする。それを、何とか止めて。無責任なことを言っているとは思っているし、難しいことだとも思う。どうすればいいのかもわからないと思う。でも、一希くんが動いてくれれば――それがバタフライ・エフェクトのきっかけとなり、少しずつ未来が変わっていくかもしれない。嘘だと思われようと、真実、これが未来の私たちに許された、生き残る為の唯一の方法なの」
「……ああ、わかった。約束だ」
「ふふっ。ありがとう。私、一希くんと出会えてよかった。ほんの20分くらいの出会いだけど……私、忘れない。今日のこと、絶対、忘れないから」
「……うん」
「それじゃあ、お別れね」
彼女が例のカプセルを見る。
そこには、20と記されていた。
「ね、最後に、目を瞑ってくれない?」
「ん……こう?」
「ありがとう。そのまま、心の中で100まで数えて」
「……わかった」
僕は、キスでもされるのかな? とドキドキしながら目を閉じる。
だが、予想に反して僕が目を閉じた瞬間、握り合っていた彼女の手が離れていくのを感じた。
「ありがとう……」
そう言って、彼女はその場から離れていく。
僕は、無性に目を開けたい衝動に駆られたが、グッとこらえたまま、100を数えきった。
そして、目を開けると――そこには、いつもと同じ、何の変哲もない公園があるだけだった。
ベンチに腰掛けて船を漕いでいる老人、砂場で遊ぶ幼児たち、ランニングウェイで走る壮年の男性、犬と散歩に来ている主婦……。
皆、溌剌とした顔で人生を過ごしている。
隣のベンチにも、公園の入り口からも、彼女の姿は影も形もなくなっていた。
「……トラルファマドール星人、か……」
僕はベンチに寄りかかりながら、空を見上げる。
宇宙人に人類が支配される。
なんとも想像し難い未来だ。
いや、映画や漫画、小説の中ではありふれた――ある意味ポピュラーな未来とも言えるのかもしれない。
しかし、そんな世界を巻き込む問題よりも、今自分の身に起きているイジメ問題の方が、僕にとってはるかに深刻である。
だが……。
そんな荒唐無稽な話を聞いたせいか、僕は公園に来た当初よりも、不思議と気分が軽かった。
自殺しようと思っていたのが嘘みたいだ。
僕は、目を閉じて先ほど彼女から言われた言葉を反芻する。
「一希くん。貴方は自分を平凡以下の中学生なんかと卑下したけど、私はそうじゃないと信じているからよ」
「……僕も……もう少し、僕を信じてみようかな……」
誰にともなくそう言うと、僕はベンチから立ち上がった。
そのまま、可愛らしく笑う彼女の姿を思い浮かべる。
彼女はひょっとしたら、病的な虚言癖の持ち主なのかもしれない。
もしくは、不思議ちゃん、電波女、妄想を垂れ流す少し頭がイカれた人なのかもしれない。
それでも、僕は彼女に、救われた。
彼女は僕に生きる勇気を与えてくれた。
ほんの僅かな時間だったが――それは確かに、僕の中に残り続けている。
ならば、僕がすることは――彼女に報いることだろう。
嘘ならばそれで良し。真実ならそれも良し。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。
あんな荒唐無稽な話をした、美しい女性の姿。
……信じてみた方が、面白いに決まってる。
映画に出てくるようなヒーローや、漫画に出てくるような超人のような存在になるチャンスなのだ。
ならば――覚えている限り――彼女を信じて、約束を守るよう努力してやるのもまた一興だろう。
「よしっ!」
僕は、気合を入れるように両ほほを思いっきり叩くと、意気揚々と公園を後にした……。
◇
「今日もアクセス数は0か」
自宅に帰ると、僕はパソコンを立ち上げて自分が作ったホームページを見つめる。
そこには、「人類がこのまま宇宙開発を進めていけば、やがて宇宙人であるトラルファマドール星人に支配される!」という言葉が大々的に描かれてあった。
「懐かしいな……」
僕は、くたびれたスーツを脱ぎながら、あの時のことを思い出していた。
あれから、10年がたった。
僕はあの後、彼女の言うことを信じてひたすら宇宙開発を人類が止めるように手を尽くしてきた。
とはいえ、平凡な一市民である僕にできることと言えば微々たるもので、
時にはチラシを作り、時には路上で演説し、時にはSF系のオフ会に参加し、人類が宇宙進出をすることの愚を説いたくらいだ。
そして、最終的にはこのようなホームページを作るまでに至ったというワケだ。
あれから、イジメに耐えながらなんとか中学を卒業し、別の高校に入った後は、普通の人生を歩んできた。
流石に高校ともなると、低レベルなイジメもなくなるのか、はたまた僕が全く見知らぬ高校に入ったのがよかったのか、僕は平穏な学生生活を手にすることに成功した。
友人を作り、部活に入り、時には恋をしながら青春を謳歌し、大学に進学した。
そのまま4年間、適当なサークルに入り、適当に授業を受けつつ、だらだらと怠惰な学生生活を歩み、最後は慌ただしく卒論と就活に追われ、何とか中小企業に就職。
今は、残業に追われる、ごくごく平凡なサラリーマンとして人生を歩んでいる。
無論、彼女のことを忘れたワケじゃない。
今日のように会社で凡ミスをしてしまい、部下の前で上司に怒られるなんて辛く悲しいことがあった時は、決まってあの話を思い出す。
自分が市井の一市民ではなく、未来を担う希望の一端であると信じる為に。
そして、彼女との約束がある限り、僕には生き続ける義務があるのだと再確認する為に。
中学生の視野狭窄なあの時、彼女と話さなければ、僕は確実に近いうちに自殺していただろう。
後の人生にはまだまだ楽しいことがありあまっていたのに、それを知ることもなく、一時の感情に負けて死を選んでいた。
そう思えば、彼女の為に活動することを苦とは思わない。
例えあの話が嘘だとしても、僕は彼女との約束を守り続けているというアピールにはなる。
僕という存在を、自分で肯定し、明日から生き続ける気力に変えることができる。
だからこうして辛いことがあった時は、決まって僕は彼女のことを思い出し、自作のホームページを開きながら、独り自分を慰め続けた。
それに――。
まだ完全に、彼女の話が嘘だと決まった訳じゃない。
レジスタンスである彼女が、またタイムマシンを使ってこの時代に来て、二人でトラルファマドール星人と戦う――――――そんなドキドキする冒険が始まるのかもしれないじゃないか?
現在、西暦は2025年。
彼女が言ったタイムリミットまで、まだあと65年もある。
それならば、まだまだいくらでもチャンスはあるはずなのだ。
僕が宇宙進出を止める可能性も、彼女と再会できる可能性も、この世には無限大に広がっている。
そうに違いない。
また、この年になって痛感したことが一つある。
それは、人は誰しも、どんな境遇に置いても自分を愛さずにはいられない生き物だということだ。
どんなにつまらない人生でも、どんなに退屈で平凡な日常を過ごしていても、「自分の生きる場所はここじゃない」と思い、輝かしい未来を進む自分の妄想に耽溺する。
現実世界で名を馳せているスポーツ選手、俳優、アーティスト、実業家などに憧れ、
自分が他より「特別」だと誰よりも信じたがっている。
現在、僕がよく読んでおり、オタク界隈で流行しているライトノベル――異世界転生モノなどはその最たる例だ。
現実世界からの逃避、そしてなぜか訪れた異世界で主人公はチートに近い能力を有し、
それを駆使して華々しく活躍する。
大して努力もせず、ただ無敵の存在として可愛らしいヒロインとの物語を紡いでいく姿に、多くの
平凡で退屈な人生を歩んでいる読者たちは自己投影し、慰められたことだろう。
そういう意味では、僕は10年前のあの日、この上ない体験ができたのではないのだろうか。
未来から来たという絶世の美女が、他の誰でもない、この「僕」に助けを求めてきた。
異世界転生でもなければ、チートハーレムでもないが、もし彼女の言っていることが事実なら――
僕はどんな映画や漫画、アニメやラノベの主人公よりも活躍できるかもしれない物語の途中にいることになる。
だからこそ、僕はあえて、こう思うことにしている。
僕の人生を、トラルファマドール星人の侵略から人類を救う、英雄の物語として例えるなら――さしずめこの10年間は、プロローグなのだ。
全ての物語は、プロローグから始まる。
そして、読者はそのプロローグを見、これからどんな冒険が始まるのだろうと心躍らせるわけだ。
プロローグで僕は、定番のボーイミーツガールの出会いを遂げた。
そして、それから未来を救う為に活動し、10年が過ぎた。
僕のプロローグは普通の作品と違い、10年間と長いけど、その分、本編はより長く、壮大になるはずだ。
だから――。
その時が来るまで、僕は生き、彼女との約束を果たし続けたいと思う。
それが、僕の使命でもあるし、義務と信じているからだ。
そして急にトラルファマドール星人が地球に現れ、謎めいたあの子との再会を果たし、波乱万丈の日々を送る、そんな未来を――――
今日も僕は思い描きながら、退屈な日常を過ごしていく。