翌る、日る。
ジャンルはそれぞれの捉え方をしていただければ光栄です。
『私はただ平凡な人生をおくっていたかった。』
わたし、欧田博該はそんな言葉で自分を哀れみ、イロニーを訴えた。
一筆、原稿になど迎えぬ。
0
誰かわたしに泉を下さい。
あの忌々しく、人生を黒く染め続けている家族ともども、その泉にでも落とし、落とし、毛一つ残すことせず落としてやりたい。
わたしは、ちっぽけで何処にでもいるような至って普通な男子高校生に過ぎません。
好き好んで本を気休めとばかりに隙があけばページをめくっておられます。
明くる日も同じ事ばかり。
自分でこのようなことを述べるのはあまりにも陰惨だという事は自覚しておりますが、此処で言わせていただきます。
私は気の毒だ。
ウツにでもなって、気付かず死を遂げたいと思ったことがあります。
まだ若いわたしには死に対する勇気がありませんが、頭の中で感じる死はリアリズムを裏返した想像であり、理想のものでもあるのです。
わたしの家族一つ。
父、母、兄上、わたし、いもうとひとつずつあり、また至って普通にそれらはおられます。
恵まれているというと、それは一概にそうだとは言えますが、家族のうちではまともだとはわたしは思えない。
1
「なんだっ、このような娘などわたしは知らん!全くわたしの理想しておったみてくれなどではおらん!」
父上が、母上にそう訴えます。
父上の横には、粛々として黙りを決め込まれているその娘、おはんがべそを堪えて俯いておられる。わたしの妹だ。
お顔を真っ赤に染めて呆れんとばかりに母上は、ただぶつけたくて手を横の壁を力強く叩く。威圧感などなく、父上は眉の間に皺が一層。
「またそうやって煩いからって言う理由で放棄かい!それでも男かいっ!?」
負けず劣らず前に乗り出して訴えかえす母上。
どうやら、娘が夜遊びとやらをして相互遺憾だそうだ。
それならわたしの部屋のそばではやめてもらいたいと、そう素直に感じた。
2
休みの日、親は二つ。父上は通勤と母上は友達の結婚式だそうだ。
母上の結婚式という用事に妹は何か心から宝でも探し出したかのように、そそくさと世間へと出て行った。
それから二、三十分ほどたつところ、妹が静かに帰ってきた。
そぉーっと、玄関を開けてはいるところを庭の掃除をしていたら見えた。妹の前にもうひとつ別の姿があるのが見えた。
いや、そう気がしただけだそうだ。きっとわたしの見間違えだ。
暫くしてわたしは掃除をやめ、自分の部屋で習字を始めることにする。
3
低いこの家の影法師が正面の地面にうつりはじめたところで玄関の音がした。
母上だ。
いつも黙って帰ってきて、直ぐにディナーの準備をするのだ。
カタカ タとお皿のぶつかり合う音がした。
それからまた、玄関のあく音が聞こえた。
今度は、帰ったぞと一言だけが聞こえた。父上はそれだけ言って、わたしの部屋をのぞいて俯瞰な顔をした。
いつも父上が帰宅したときにへやそれぞれをのぞいていくのだ。
わたしは習字や物書きに向かっているときは毎度戸に背を向けているので、筆が見えず不満なのだろう。けれど、追求をしないのでそれで済む。
父上は戸を閉めて次へ向かった。
風来か、またはただ歩いてきただけなのか、見知らぬ小さな虫が畳の上をゆっくり歩いていた。庭を掃除していたから付いてきてしまったのだろう。それも考えられる、か。
手にとって外に出そうとしたところ、爪をかまれた。痕が予想以上に大きく、わたしは小さく叫んだ。
爪が少し長かったため、皮膚までには届いておらず、ただ、二ミリの切れ目が爪にあった。
ふすまの前に座りあける。
中にしまってある箱からままたその箱の中にしまってあるガーゼなどを避け、奥にある絆創膏の束のうち一枚をちぎりはなして、爪を覆ってみた。
けれど見た目がおかしかったから、それをはがして同じ箱に入っている爪とぎを取り出して爪のはしに当ててこすろうとしたそのとき、頭がガンガンとするほどの大きな音がした。
いや、これは音というより、声が正しいだろう。一旦その音が途切れてからそれが声だという事の認識がやっとできた。
驚きのあまり爪とぎが指に触れて新しく傷を作ってしまった。体調の悪そうな血がマグマのように流れていた。
擦り傷だ、何のことはない。
はがして床に置いておいた絆創膏を今度は別の部位にはり、立ち上がって何事かと思って叫んだ父上の声の元へ向かう。
右に曲がって左手にある戸をこっそりあける。
目を細めて中を見ると、其処には妹と、見知らぬ若い男(服装からすると隣町の人間)の向かいに丸い卓袱台を挟み、父上が遺憾であった。御立腹だ。見ているとさっきの大声が頭に蘇らせる。
流石のわたしでも呆れた。
おそらく父上もその、娘の隣に座っている男の事などはじめてみるのだろう。というか、そのことで怒っているのだろう。
「お前は何を考えている。こんな……。こんな男なんかを連れ込んで。なにを、何を考えているんだ……」
はっきりと言ってしまうと、なぜか父上が取り乱している。
いつものお怒りと比べると威圧感が雲泥の差だ。わたしはそれに胸が締め付けられる気がした。
「だって、」
娘が何か反論の意を見せたところ、父上が目でも細めたのか、圧迫されたように萎縮してしまう。
「なんだ、何がなんだ! くそ、わたしが何故このような人間に……!」
言葉が少し父上自身を責めるようなのだが、その言葉は、確かに向けられていたのは娘の方であった。
父上はそれでも自虐的に自分を責めているつもりでもあったのだろう、娘の横の男に目で訴える。
その背中を見ているだけで、『何か言ってみたまえ、小僧』と空気諸共飲み込むようなオーラを漂わせた。
カタン
ギギィー
後ろの戸が開いたのに気が付いて、振り向くと、母上がナイフを持って部屋の中を覗こうとしていた。
その途端、母上の身体を使ってキョロキョロとしているのを見た所為か、目眩がした。
部屋でぼやけた声が聞こえた。
母上が、
「何!?」
と叫んだ。
わたしに対して。
そして次に母上の声に気が付いた父上が戸を開け、わたしを見つけた。
ゴフンッゴフンッ、とわたしはひっきりなしにせき込みはじめた。
何かからだに別状の起こるようなことがあっただろうか? 突然すぎて寧ろわたしは冷静に考えていた。しかし、身体は尋常じゃないくらい震えていた。
「あっ」
ひとつ叫んだ。
何かを思い出したのではない。
何かがわたしの腹部に刺さったのだ。
内側ではなく、新たに加えられた外側からのものだ。それに気付いて上を見ると、それはナイフだ。母上の持っている。
これは母上がわざとやったのではなく、倒れ際に……。嗚呼、頭が朦朧とする。
「おにぃ!? ねぇ?」
妹の声がした。わたしの顔を覗いている。
また母上も。
父上も、そして、一番『大変だ大変』だという心を顔にしていて、声には出せないでいるさっきまで父上と向き合っていた見知らぬ男の顔があった。
「血の、ち、血の、血、ちち、ち、血が。嗚呼、オイラだ、嗚呼、絶対、嗚呼っ」
わたしの血に怯え震えている。ろれつがまともに機能していないまでとは、男らしくないな。わたしはそう思った。
すると、耳が確かか解らないが、母上、父上、妹が、順々にわたしを囲んで妹の若造と同じように、血、血、血、血、血。
わたしは何が何だかよくわからない。
血が出てしまうのは仕方がないのだ。
無ければ死んでしまう。
嗚呼、今わたしはそういえば血を……。
とチョン、と口から吹き出した血をふき取り、目の前にやる。
ドロドロとしていて、毒々しいとも言うには違いないほど何とも無惨な血の色と液体であった。
普通の人間ならこのような血はしていないことだろう。きっと、そうだ。
でも……なぜ、わたし……から。
わたしが目をつむるその最後まで、若造だけは反省というか、恥じらいというかそれらなんかを身体全体であらわしていつまでも焦っていた。
「嗚呼っ、ああぁ……」
4
その後、わたしは呆気なく死んでしまった。
息を引き取った、というのが優しい表現かもしれないが、わたしの人生の終わりには『死』を使った方がいい。自分だけでそう思っていました。
『私は死んだのだ』
兄上はとっくの前に死んだ。
隣町に出張へ行きわたしと同じような死に方だったそうだ。
だが、ひとつだけ違うのは、ひとつの虫が手に乗っていた。それも一緒に死んでいたらしい。そこら辺の細かくは知らない。私は見たことがないから。
5
一筆、原稿になど迎えず。