気持ちを伝えるために(自分のことは、さておき/汗)
自分の「総括」(……って左翼の学生運動みたいw)であり、自戒を込めて。思い切って書きたい。
某SNSに登録しているのだが「小説書き関係のコミュニティ」を、しばしば覗く。自作を書いている時の息抜きに、「なろう」・又、姉妹サイト内を、ざっと見渡す時に使うのだ。
私自身はド底辺をあがいている立場なので「自分のことはさておき」という、非常に便利な(汗)但し書き付きで以下は進める。
よくあるのが「感想をください」と言って作品アドレスを張っている書き込み。さすがにR18以上の作品に、リンクしていらっしゃる方は少ない(汗笑)。
たまに「どれどれ」と目を通す時はある。けど「あー、惜しいなあ」と思うことがほとんどだ。惜しいのだ。んもう、その一言。
以下は、どの辺が「惜しい」のか手探りをしつつ進めることにする。
この頃「良い小説って、一体なんだろうか?」「良い小説とダメな小説の違いって、なんだろう?」と考えることが多い。
一点は自分の反省として、声を大にして挙げられる。完結させるか、させないか。この差は大きい。なろう内で、どんなに評価が高くてもね。エターナルの世界に迷い込ませてしまったら、ダメな小説であることは間違いがない。
もう一点は、ズバリ。「面白いか、つまらないか」だろう。言い切っちゃったよオイ。つまんない作品ばっかりリストに残してるくせによ。まあいいか。今回のサブタイトルのサブタイトルは「自分のことはさておき」だ!(と、ちょっぴり勇気を振り絞ることにする)
面白い作品=良い作品とは限らないという事実はあるにせよ、やっぱり「つまらない作品」を良い作品とは誰も呼ばないだろう。
「なにを以て」「良い」とするかは、不特定多数の読み手と描いている本人の呼吸が合わなければならないけどね。
だって「なろう」ですよ、そこの奥さん、おにいさん! 毎日トップページ更新のたびに、どれだけの数の作品が「新着」に載るのよ、と思うわけよ。そこで物を言うのは、タイトルでありタグだっ! 目を惹かなければ、読んでも貰えない。せっかくタイトルとタグで人の目を惹きつけても、あらすじが面白そうじゃなかったら、即バックが待っている。
ある意味「なろう」は、そういうところは非情だよね。でも、だからこそ、ハッキリ白黒がつくから私は好きなんだけどね。
あらすじというハードルを乗り越えても、最初の三行でブラウザの「戻る」ボタンを押されちゃったら最後、見向きもされない世界が待っている。
面白くないからだよ。タイトルもタグもあらすじも、読んでくれる人の心に触れないんだよ。ちくしょう、面白いの描きたいよっ(滝汗)。
連載物であれば序盤の数話だけ注目を浴びても、途中で飽きられて読んでもらえないことだってある。これは難しいよね。いったん心の離れた読者は、どんなにこちらが、がんばって呼びかけても二度と振り向いてくれない。
もちろん私は「評価が低い作品」「アクセスが少ない作品」=面白くない、なんて、これっぽっちも思っていない。
要は「見せ方ひとつ」。それが足りないんじゃないかな……と思う作品を拝見すると、とても残念な気持ちになる。
いや、だからさ、私自身も自作の「見せ方の工夫」が足りないのは自覚してるの。だからこそ、他人さまの作品を拝見すると、歯がゆい気持ちが湧いてくるんだって。
極端な言い方だけど「見せ方だけが上手くて」「評価は更新するたびにウナギ昇り」! だけど「よく読んだら中身はスカスカ」の作品が万一あるとして、やっぱり「なろう」の評価やユニークアクセスは増えていくだろう。
面白いから人は集まる。でもあまり見向きもされなくても、宝石のような主張が隠れてる作品もある。そんなカオスが「なろう」であり、姉妹サイトの醍醐味だろう。
でもさ、どんなダイヤの原石だって磨かないと光らないじゃん?
見つけるだけ、テキストを上げて更新するだけ、それなら誰でもできる。磨き方が問題なんだよ、その磨き方が上手い人は「面白い」と思うし、人の心を惹きつける才能があるんだと思うんだよ。
宣伝努力をするのは、それから先。
「私の小説は皆に理解されない」と独りで悦に入るのは一番簡単だ。だって努力する意志を、放棄しているんだもん。
そうじゃないよ。
読み手が悪いんじゃないだ。自分の何かが欠けているから、誰も振り向いてくれないんだと思うよ。別に高尚なテーマなんか無くたっていいのよ、そんなもん。
たとえささやかな趣味であっても、他人の注目を浴びたかったら「見せる努力」をしないといけないの。
こういうサイトに原稿を上げている以上は、ユニアクだって気になる。感想だって欲しい。文章が上手く書けているかどうかも、話が上手くできているかも気にかかる。「なろう」に自作を上げるっていうのは、そういうことだ。
ものっそいシビアだと思うよ。ここのサイトって。だからこそ悔しいときがあっても、楽しみを見つけて行けるんだけどね。
完結作品であっても「あー、またアレ読みたいなー」って心が動く作品って、誰にでもあるじゃん。私はそういう地力がある作品が好きだよ。自分でも、そういうの描きたいよ。
はじめから人の心を惹きつける努力をしていない作品が、SNSの宣伝コーナーで何回書き込んでも、ツイッターのbot機能を使っても、同じツイッター上で何百回RT宣伝をしてくれる人がいてもダメなの。
何回も言う。
ユニアクが多い作品が【良い作品】とは思わない。評価ポイントが多い作品が【良い作品】とは限らない。ユニアクが少なくても【良い作品】はある。感想の数がゼロでも【良い作品】はある。
でも、だからこそ誰にでもチャンスはあるんだ。
自分の気持ちを読み手に伝えられるチャンス。自分の考えに共感してもらえるチャンス。それを引き寄せるためには何が必要か、何が自分に欠けているのか。テキストを埋めるだけじゃなくって、考えて考えて考え抜いてみる時間も必要なんじゃないだろうか。
――と、連載が終わったばかりの作品からの反省文みたいになっちゃった。ええ、痛感した次第です。