暇だ、それに暑い
なので。
思いっくそ「夏の風物詩」を、おちょくってやろうと思ふ。(なぜに旧かなづかい!/笑)
世間では、ロンドンオリンピックに燃え上がっている。水泳競技を見ると
「海に行きたい、いや、こんなわたしが水着を来たら公序良俗に引っかかってしまう。ならばスイミングスクールか! あ! 水着がない!」
などと言い、男子体操競技を見ると
「うーん、水泳の入江陵介くんのガタイに内村航平くんの顔がついてたら最高!」
などと不謹慎な妄想に浸ってしまっている。
もうすぐ陸上がはじまるから、めちゃくちゃ楽しみ。観戦したいのは女子の福島さんですね。走る姿はカモシカのよう。なのにお話しすると「ぽわーん」としてて、その落差がいいですね。
「取材を受けるな! ファンが減る!」
などと親のような気持ちで、思わずテレビに向かって言ってしまうくらい可愛らしい方である。
可愛らしいと言えば女子柔道の松本薫さん。
決勝戦の試合前は「零号機か!」とツッコミ入れたくなるほどの気合の方でありながら、勝ちを決めて畳を降りた瞬間にボロボロ泣き出したじゃないですか。
あれ、じーんと来ました。
ものすごく張り詰めてたんだろうなあ……とか、もらい泣きしそうになってしまったりなんかして。
女子卓球の石川佳純さんも可愛らしい方ですよねえ。しみじみ。
正直、メダルの数とか興味ない。日の丸を背負って海外での試合……しかもオリンピック……であれば、競技する側は重みも畏れも理解できているはずなのだ。だからここは各選手のババアになった気持ちで。
(とは言え71歳の乗馬選手・法華津さんの、おばあちゃんの心境にはなれない/笑)
さて。本題。
二年か三年に一遍、某民放で終戦記念日近くになると放送する超・有名な、あの映画。
「火垂るの墓」。ジャジャーン! 今回はコレに文句を言いたい! 読んでいらっしゃる皆さん、青色の便所のスリッパを片手に持ってお読みください!
ちなみに原作本はなんとなく触手が伸びなくて一回も読んだことがないっ!(すまぬ……すまぬ……とは、思いつつ勢いで書き進める)
前エッセイ「寄り道」でも書かせていただいたが、わたしは2chのニュース系の板が大好きだ。そこに先日、面白いタイトルのスレッドが立っていた。
「火垂るの墓ってアニメだと叔母さんは最悪だけど、ドラマだと叔母さんに同情して清太に同情できないよね」っちゅう、長いタイトルのものだった。
このアニメ映画。初見の時は、ただただ涙腺崩壊しちゃったのを憶えている。
が、二回目に視たときは「西宮のおばさん」にムカついた。
「あんた、それホントのことかもしれないけれど、そんなにキツく言わなくても」と、心底から思ったのだ。人生いろいろあって関西(しかも西宮w)に転居してきて、道を挟んだ家のオバサンから
「あんた東京弁やから嫌いやわ!」
と言い放たれた思い出を持つわたしには、確実に「火垂るの兄妹」を追い出す形になった「西宮のおばさん」と隣のオバサンはダブったのだ。
現実にその辺り、気難しくて、その割には地方意識が抜けない人が多かったから余計に。
そんな訳で、しばらく「火垂るの墓」は観てなかった。
だけど、スレッドが面白くてね。スレの最初の方だけに目を通しただけで、ついついビデオを借りて観ちゃったわけですよ。いやあんた観たんかい! ……というツッコミは頂いておく(汗)。
そしたらまたまた、以前とはまったく違う意味でカッとなった。いや、最近、ほんのちょっとでも現職政治家の話を聞きに行ったりしてたということもあるからなんだけど。
この兄ちゃんの亡くなった父親って「神戸港で云々」「摩耶」っていうから、軍艦摩耶の船員なわけだ。調べてみたらレイテ島での戦闘にかり出されてるじゃないですか、ちょっと!
そしてアニメーションでチラッと出てくる父親の制服を見ると、どうみてもペーペー船員(戦闘員)ではない。要は管理職なわけで。
つまり、高い位の軍人の息子なわけですよね?
「散るぞ悲しき」だの、「いつまでも、いつまでも、お元気で」だの、そんな本を夏場になるとフラフラと購入してしまう最近のわたしにはアンビリーバボーな世界である。当時の教育的な背景や軍属の家庭ならば、それなりに父親の就いている仕事を教えているはずだ。
しかも年端の行かぬ男子「清太」に対しては、そのような伴侶を持っている母親が(別に毎日まいにち、教え諭さんでも)息子には「父の背中」を教えているはずであろう。
しかしながら、空襲でお亡くなりになり出オチ状態の母親からの「父に対する匂い」がアニメからは全く匂ってこない。
この父ちゃんが「丙種合格」で戦地に赴かず、地元の工場で働く父親だとしたら得心が行く。だが、ストーリー上はそうではない。
清太が軍人の子供だからこそ、妹が死にそうな時に銀行に行って当時のお金であれば「三千円」を下ろすことができたのである。
百歩、いや、一万歩譲っても妹と二人で、ニテコ池? で暮らして行こうと思ったら「西宮のおばさん」宅を出た時に貯金を下ろしておくべきだったのだ。
「この兄ちゃん、貯金下ろすの遅すぎじゃね……?」
「軍人の息子にしては、脳天気過ぎじゃね……?」
などとストーリー後半で節子が栄養失調状態で朦朧としていた時に、思っちゃったわねえ。
「これで卵も、カシワ(鶏肉)も買ってやれる」
そういう風に清太は言うが、いや、今さら気がつくなよと。それに当時のお金で、三千円と言ったら大金でないの? 最初から少しずつ貯金を崩して過ごしていたら、妹を近辺の小学校に通わせることもできたはずだ。
いや、現実的で野暮なことを言うのはよそう。兄妹二人が暮らすことが兄妹にとってパラダイス(要は、誰にも邪魔されない楽園)であれば、その状態を維持するために頭を使えと思うのだ。
時代背景的に言えば、聡い十四歳の男の子(満年齢で十五歳?)であれば陸軍少年兵にも志願できるんじゃないのん?
わたしの考えが甘いのかもしれないけれども、もしも少年兵の採用に落ちても、「西宮のおばさん」宅がイヤで出て行っても、速攻で東京の水交社に行っといたら良かったのだ。
なぜ両親とも、それを我が子に教えておかないのだ。
不安定な日常であれば尚更。
「我が子だけでも生き延びて欲しい」という気持ちは湧かなかったのだろうか?
清太は「東京の親戚のところに連絡を取れ」という叔母の言葉に不貞腐れて、心の中でつぶやく。
「せやけど、住所わからへん」
いや違う! わかんなくても人伝えで、なんとかせい! おまえ男だろ! 妹が大事ちゃうんかい! ……などと思う。
誤解を恐れずに言おう。あの年代の関西の人間は、東京や関東を物凄く嫌う。生理的に憎いのだ、たぶん。
だから主人公が「東京」の言葉を聞いただけで拒絶反応を起こす気持ちも、わからなくはない。でも「守りたい者」があれば、知恵が働くのが人間なのではないのか?
「なにもアニメ映画一本にそんなに熱くならなくても」と自分でも思う。だけど、初見で「可哀想に」と泣いた自分をあらためて振り返ってみる。そうするうちに、兄妹の「道行き」の話なのではないかと考えるようになったりする。でなければ「摩耶」で沈んだ父ちゃんが浮かばれないではないの。誰のために命を捨てて海の藻屑になったのか、意味がなくなるじゃないの。
こんな風に生命力がない兄ちゃんに引きずられて亡くなった妹が可哀想だなあ。まあ原作者も映画製作者も、そういうところは無視しているみたいなんで、外野の視聴者は黙るしかないんだけどね。それにもまして、変な団体とか乗っかって「戦争反対」ツールにしてるっていうのがイラつくんだけどね。
この話が西宮が舞台であったとしても、なぜか急に広島にトリップしてくれるストーリーを作って欲しかったなあ。などと、ビデオの向こう側のわたしは思う。
「なろう」はジプリ作品の二次は禁じられてますからね、わたしにも書けません。てへぺろ。
だけど、兄妹がなぜか急に広島にトリップしたら、ちょうど高倉健さんや松方広樹さん、梅宮辰夫さんの映画の世界が待っている(笑)。
分別がつかないがゆえに、わがままで幼い妹のために。
清太にいちゃんは、がんばって広島のどさくさの中を、生きて生きて生き抜いていくのだ。時折は自分の考えを曲げてでも、いくばくかの金銭を握りしめて「ひたすら節子のために」暮らす、そういう根性は「火垂るの墓」本編でも随所に出てくるんだから。
他人に殴られ蹴られても、妹の笑顔があればそれでいい。その一念で毎日を生きていくストーリーの方が、よっぽどカッコいいじゃないか。
「万人に受ける御涙頂戴・戦争反対ストーリー」にはならないかもね。でも、わたしなら確実に泣くけどね(汗)。
名づけて「仁義なき戦い・広島ホタル編!」とか、どうかなあ。いいと思うんだけどなあ。つうか「火垂るの墓」よりも「ガラスのうさぎ」の方を放送してほしいなあ。うん。火垂るの方、飽きちゃったもん。