オリンピックはじまりました
他人様の作品に書き残す「感想」について。又、わたしのスタンスなどを、つらつらと。
本日の(日本時刻)午前四時半から開会式があったっぽいんですが。
……放送観ていないから何とも言えぬ(汗)。
そんな世界的に熱狂する夏がはじまっているのにもかかわらず、わたしは絶不調でございます。あ! そんなこと言っちゃだめだよね。一昨日の未明に投下しはじめた拙エッセイ、ユニアクが一昨日で11人、昨日一日でも21人ありました。
ありがたいことです。精神的な疲労も吹き飛びます。いえいえ本当に。読んでいただいてなんぼ、だと思っております。
さて。
たった今、日本男子体操予選が終わったんですが。
それ観てて思いました。ぼんやりとね。
「小説の評価っていうのも、体操やフィギュアスケートの評価と似てるんだろうか」なんて。
ああいう競技って、サッカーなりバレーボールなりと決定的に違いますよね。「観ている側の考えに任せる」というか。や、わたしの考える採点基準などあやふやなので、取り返しのつかない間違いを書いていたとしたなら、誠に申し訳ないんですけど。
速さや技などが得点につながるスポーツと違い、体操競技とか(冬季オリンピックだけど)フィギュアスケートとかね。テクニカルな部分と共に「美しさ」も問われるというか、わたし個人的な感情だけど「ハードル高いな」と。
前作の寄り道エッセイにも書いたんですが「評価は難しい」、この一言に尽きる。
公募という一発勝負で挑むところが商業出版界であれば、その出版社ならではのフィルターもかかるだろう。アマチュア同士で評価しあうのならばともかく、「はあ?」とこちらが思ってもいなかったところを、バリバリ指摘されて、へし折られることもあるだろうなと。
まあ……でも、ほとんど出来レースかな? みたいな新人賞も、たまに存在することは存じておりますです(汗笑)、そんな中になんのツテもなく、情熱と執念だけで残りに残った方には心の底から尊敬の意を表するばかり。
そこまで自分の文章の上でのテクニカルな部分も、全体的なバランス、美しさを磨いてこれたのって無条件に凄いと思う。「凄い」だよね、本当に。うん。やっぱ思いますよ。文章に対してなんの未練もなかったら、数点まで残るレベルまで行かない。
わたしなんかはヘタレだし、自分の底がよーーーくわかってるから、そんな無謀な戦いなんかしない。その人たちがしてきた努力を素直に認めるし尊敬するけど、自分がその轍(がんばった軌道みたいなもの)をなぞれるかどうかはわからない。たぶん、いや、絶対に無理だろうと思う。
どんな公募であれ、ある程度のところまで残った人たち……ハイレベルになればなるほど、彼らの批評は手厳しい。
こっちの体調が悪い時などに、彼らからの批評のタイミングがぶち当たると最悪の気分になる。それだけ彼らは正鵠を得ているということでもある。誰だって無意味に嫌われたくないのに忌憚なく批評してくれる、評価してくれる。こちらだってそんな真心がわからないわけじゃない。だってわたしの作品を「批評して」「文章に起こして」「送信してくれて」、それだけ手間ヒマをかけても一銭にもならないんだぞ。
真心以外の何物でもないじゃないか。
だからそういうのは素直に聞きたい。できるだけ鷹揚に構えていたい。でも、あちらも生身の人間であると同じように、こちらだって神様じゃない。相手が知らないであろうアキレス腱的な言葉の羅列を並べられたら、どんなに「心を広くしよう」と思っていても、かなわない時は沢山ある。
当然、逆の立場の時もある。
他者の作品の批評をしよう、感想で書こうと思っても「自分だったら、どう思うかな」と置換して考えると、なかなか言い切れないこともある。それどころか当該作の欠点を吹き飛ばすくらい、長所が凌駕しているような気がするときはどうしたらいいんだぜ?
こっちは商業出版社の編集人じゃないし、新人賞の選考委員でもなんでもないんだ。単なるオンノベサイトの、お気楽ユーザー・その他大勢の立場である。
それに実際のところ、書く立場だと様々なことが気になってしまう。ならば最後まで見届けてから、もしくは信頼関係が築けてから「言える範囲を言う」でいいじゃんね、と思うのだ。
でも多分ね、わたしだけじゃなくて、ほとんどの書き手ユーザーは、対外的に見える範囲よりもずっと自己開示はしてないんじゃないかなと思うの。
だからこそ、わたしは言いたい。もしも、自分の超・弱点なり、意味のない批判や非難を不躾に感想欄に書かれて落ち込んでる人に言いたい。
「その人は『表面的な文字』でしか、貴作を理解していない」
文字でしかつながっていない相手、つまり、心と心で結びついてる「同志」だと感じられない人に冷たくされてもいいじゃないかと。
パソコンやケータイの画面越しに「いる」のは互いに生身の人間なのだ。切れば赤い血も出るし、心が傷つくときだってあるだろ、と。そんな簡単なこと、考えられないで手に寄り添えない人は切り捨てたらいいのだ。
余談になるが、わたしが一番嫌いなのは感想欄で叩かれ(と書き手は思ってて)、結局、作品を削除してしまうことだ。それだけはしたくない。と、いうか、他の作品でも一所懸命に対応してたら「たったひとりの誰か」が手を伸べてくれると思うんだ。どんな作品にも作者の血肉を削っただけの神様みたいなものは宿ってる。肝心の時に、宿ったものは必ず書き手の心を癒してくれるに決まってる。
モニタ越しの人のぬくもりを感じられる人と、同志であったらいいじゃないか。