魚臭影
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ついこの間、近くに新しい電車の駅ができあがったのは、みんな知っているかな?
既存の駅に新たな路線がつながり、新たな駅たちが作られていく。世の中の求めに応じて、変化を続けていくのが交通手段。この駅と路線もうまいこと働いてくれるといいのだけどね。
駅といえば古来、荷物と人の行き来する場所として利用されてきた。そこを中心に商売をする人が集まり、定住する人が集まり、とコミュニティ発展のための重要な施設のひとつであることは疑いないだろう。
駅に限らずとも、そこに任務があれば物や人は集まってくるし、トラブルの種もまた舞い込んでくる。その判断がつくかどうか、対処ができるかどうかも、地域を治めるものの器かもしれないな。
先生が昔に聞いた話なのだけど、耳に入れてみないかい?
むかしむかし。
先生の地元は、ちょっと大きい関所があったらしい。当時は戦が多い世の中だったこともあり、他国の間者が侵入しないかどうか目を光らせるのが常だったからね。自由にあちらこちらへお出かけ、ということは難しいことだったようだ。
関所はたいていの場合、そこを任された役人たちによって運営されていたみたいだけど、まれにお殿様からじきじきに命令を賜ることもあった。
その年の夏もお殿様から命令が下されるも、内容は少し妙なものだったとか。
「これより3日の間、魚の臭いがする者あらば必ず呼び止め、その荷をあらためるべし。荷なくばその身をあらためるべし」
密書の疑いであろうな、とうけたまわったものたちは思った。
秘密の手紙のやりとりは、謀略や内応の常とう手段。防諜の観点からも重要視するべきだろうが、なぜ魚の臭いという要素がわざわざ要るのか、と一緒に首も傾げた。
本格的に警戒するのであれば、問答無用で出入り禁止にしてしまい、怪しいものは片っ端からひっ捕らえて詮議をするべきだろう。そのぶん、労力のかかることは否めないが。
――それを、このように条件を指定してくるのだから、いくらか手掛かりはつかめているのだろうか。
役人たちは、そのようなことを考えながら職務へあたっていく。
海から遠い立地ゆえ、魚臭さをかもすとしたらそれを売る商人くらいだろうと、役人たちは当初、たかをくくっていた。
しかし、いざ命令を受けてから往来の者たちを嗅いでみると、じつに8割近くが漁港の近くを通りかかったときのような、独特の臭みをまとっていたんだ。
指示されていた通りに、荷や身体を改めていく役人たち。命令にはあらためろとまでしか書いておらず、防諜目的だろうというのは役人たちの自己判断にすぎない。
実際にあらためていく彼らは歳や貴賤の差も大きく、共通点を見出すことはできなかった。さらに件の命令は、魚の臭いへの言及こそあれ、通行を禁ずる旨は書いていない。
よもや指示に手落ちが? とも思い、殿様のもとへ早馬を走らせて命令の確認をしても、やはりあらためることが肝要であり、それ以上のことはしなくてよいとのこと。
そういわれては、そのように仕事をこなしていくよりなく、皆はどこか腑に落ちない思いを抱きながら、三日間を過ごしていく。
そうして三日目を迎え、いよいよ役所の門を閉ざす時間を迎えんとしたときだ。
このときに働いていた者たちは、いずれも三日間で数えきれないものの荷と身を改めてきた身だった。互いの身体にも、少々湯あみをした程度では落とせない生臭さが漂っていたという。
陽はほぼ山の向こうに没し、空には気の早い星たちがちらほら姿を見せ始め、風もいくらか涼やかになってきていた。門を閉ざす時間である、暮れ六つまでほどなくだろう。
そう皆が思い始めたとき、その場へほのかに漂っていた魚臭さがにわかにその強さを増した。反射的に鼻をつまんでしまうほどだったが、その鼻がたちまちバカになってしまったのか、すぐにさほど感じられなくなる。
門をはさんで、北側からだ。皆がじっと見守っていると、この暗くなりかけている周囲にまじって、一頭の馬をひく男が現れる。
編み笠を目深にかぶったその男は、近づいてくるにつれて、その汚れが目についてきた。
身に着けている一枚のあわせ、下に履いている股引。その袖がぼろぼろにほつれているのはまだしも、他にいくつもある生地が破れた箇所は、どこもつぎはぎなどせず、そのままとなっている。
このとき、比較的夜目のきくものは目に見ている。それらの袖から出ている四肢は確かに人のそれであった。けれどもその破れ目からのぞくのは、およそ手足の色からは遠い、灰色じみたものがのぞいていたと。
連れている馬も、また妙だ。
荷のたぐいを積んでいないばかりか、体中を真っ黒い布で覆っており喪に服しているかのごとき姿。その顔さえも覆っていて、まともに前が見えないだろう状態だった。
「待たれよ、そこの御仁。すでに暮れ六つも間近。ここの関ももはや閉じんところだが、なにゆえ先へゆかんとされるか。その用向きをうかがいたいゆえ、しばし待たれたし」
関の近くまで寄ったきたとき、役人のひとりがそのような意味で声をかけるも、反応はない。ひたすらこちらへ、影たちは寄ってくる。
みたび、同じことを繰り返すも、動きは変わらず。いよいよかがり火の明かりの届くところまで来て、全員が人影の異様さを確認し、その足を止めようと動きかけた。
とたん、そいつは懐から小刀を抜いた。
闇の中でも輝くその光に、一瞬役人たちも身じろぎしたが、こちらが主力は棒。ずっと間合いは上であるし、いざ乱暴な手に出ようものなら囲んで取り押さえる腹積もりだったとか。
が、影は襲い掛かってはこない。その刃を役人たちではなく、自らへ向けたかと思うと、のどの部分をためらいなく一突きした。
血も声も出てこない。しばしの硬直ののち、そいつは連れていた馬もろとも、はじけ飛んでしまったのだ。
爆ぜるというよりも、集まって擬態していた羽虫たちがほうぼうへ散っていくような、飛び方だったとか。しかし、その勢いたるや投石を上回るそれで、影を囲みかけていた者はもれなく被弾。当たらなかった破片もまた、そこかしこへ飛び散った。
恐るべきことだった。その弾を浴びたところは、木といわず、土といわず、たちまち溶け始めてしまったんだ。あの魚の生臭さによくにた臭いを発しながら。
日ごとに着替えていた役人たちの服も、同じように溶けてしまったものの、この三日間を勤め続けて魚の臭いをしみ込ませていた役人たちは、悪くても真っ裸になる程度で済んだという。
不可解な現象の中、命を拾った役人たちは殿様へこのことを報せるも、殿様自身は深くそのことを語らず、これからも仕事に励むよう伝えるのみだったとか。




