第3話 求人票の現実
受付の窓口に呼ばれ、俺は少し背筋を伸ばしながらカウンターの前に立った。別に怒られるわけでもないのに、こういう場所に来ると妙に緊張するのはどうしてなんだろう。窓口の向こうに座っている受付の女性は、落ち着いた雰囲気の人で、書類を手元に揃えながら慣れた様子で話しかけてきた。
「求職者登録は以前されていますよね。お名前、ニコさんでお間違いありませんか?」
「はい、そうです」
「確認できました。前回の登録から半年ほど経っていますので、簡単に現状の確認をさせていただきますね」
そう言って彼女は、手元の書類に目を通しながら淡々と説明を始めた。仕事内容の紹介の前に、まずは希望条件の確認、職歴の更新、現在の就労状況などを一つずつ確認していくらしい。俺はその説明を聞きながら、緊張をごまかすように軽く頷きつつ、つい視線を横へ流した。
窓口の横には、分厚い冊子が置かれている。
求人リストだ。
職業ギルドでは、掲示板に貼られている求人票とは別に、登録されている企業の募集要項をまとめた冊子が用意されている。ページごとに業種別に整理されていて、企業名、勤務地、給与、必要資格、応募条件などが細かく書かれているらしい。
「こちらは現在募集されている企業の一覧になります。よろしければ目を通してみてください」
受付の女性がそう言って冊子を俺の前に滑らせた。
「ありがとうございます」
礼を言いながらページを開く。
……。
……うーん。
こうして改めて見てみると、やっぱり仕事っていうのはたくさんある。
商会の事務職、物流会社の配送管理、魔導機械の整備士、建設会社の作業員、薬品会社の営業、農業組合の職員、宿屋の管理スタッフ、研究所の補助員――とにかく種類が多い。ページをめくるたびに違う職種が現れるから、街の中にどれだけ多くの仕事が存在しているのか、なんとなく実感できる。
国は発展した。
学校で習った通り、この社会は完全に“企業社会”になっている。
魔王と戦っていた時代と違って、今は経済が世界を回している。企業があり、組織があり、人が働くことで社会が動く。だから働き口自体は確かに多い。仕事がまったくないわけじゃないのだ。
……あるにはある。
あるにはあるんだけど。
「……やっぱり、そうだよなぁ」
思わず小さく呟く。
求人票を見ていると、ある言葉がとにかく目につく。
学術院卒。
つまり、学術院を卒業しているってことだ。
この国のいわゆる高等教育機関で、要するに専門分野を本格的に学ぶための場所。魔導学や工学、経済学、薬学、法律学――そういう分野ごとに学部が分かれていて、基礎教育を終えた人間がさらに知識や技術を深めるために進む、いわば上級の教育機関ってやつだ。
大都市にはだいたい一つか二つはあって、規模の大きい都市だと複数の学術院が並立していたりもするらしい。研究設備も整っているし、企業や研究機関との繋がりも強い。優秀な学生は在学中から目をつけられて、卒業後はそのまま企業や公的機関へ就職する――そういう流れも珍しくないと聞く。
つまり、そこを出ているって時点で、少なくとも“頭のいいやつ”って扱いになるわけだ。
……まあ、俺の周りにはあんまりいないタイプの人種だけど。
そして求人票の応募条件には、だいたいこう書かれている。
《応募条件:学術院卒以上》
……。
はい、終了。
ページをめくるたびにこの文字が目に入ると、なんというか、じわじわ精神にくるものがある。
ろくに勉強してこなかったツケが、こういう形で回ってくるとは思わなかった。
別に俺は学校が嫌いだったわけじゃない。ただ、あまり真面目に勉強するタイプでもなかったし、当時は正直なところ、将来のことなんて深く考えていなかった。勇者の血筋だとか、剣の腕だとか、そういう話ばかり周りから言われていたせいで、どこかで「まあ何とかなるだろう」くらいの気持ちでいたのかもしれない。
でも、今こうして求人票を見ていると、その考えがどれだけ甘かったのかよくわかる。
世知辛いというか、何というか。
結局のところ、学歴は強い。
ただ、まあ。
それでも世の中、学歴だけがすべてというわけでもないらしい。
求人票をよく見ると、応募条件の下に定型文みたいな文章が並んでいることがある。
《人間力のある方歓迎》
《仕事に対する熱意を重視します》
《経験より意欲》
……。
なんというか、やたら抽象的だ。
人間力って何だろう。
熱意ってどう測るんだろう。
心の中でそんな疑問が浮かぶが、まあ企業側としても色々事情があるんだろう。学歴だけで人を判断するのは良くないという風潮もあるらしいし、実際、現場では経験や性格が重要になる仕事も多いと聞く。
ただ――。
問題は、その求人のほとんどが中小企業だということだ。
ページをめくると、会社名の横に聞いたことのない商会の名前が並んでいる。町工房、地方物流会社、小規模な魔導工場、農業関連企業、宿泊業、雑貨商会……。つまり、この町や近隣地域で活動している小さな会社ばかりだ。
大企業の求人も、ないわけではない。
ただ、そういうところは条件がはっきりしている。
資格必須。
経験必須。
学術院卒。
つまり、俺みたいな人間は最初から門前払いだ。
仮に応募したとしても、書類選考の時点で落とされるのが関の山だろう。
そもそも、この職業ギルドに掲載されている企業の多くは、地域密着型の会社ばかりだ。大都市の巨大企業は、独自の採用制度を持っている場合が多く、こういう地方のギルドに求人を出すことはあまりない。だからここにある求人は、どちらかと言えば「とにかく人手が欲しい」タイプの会社が多い。
つまり、学歴なんて最初から期待していない職種も多いわけだ。
それはそれで、なんというか、複雑な気分になる。
学歴がなくても応募できる。
でも、それはつまり、誰でも応募できるということでもある。
競争率が低いのか高いのか、正直よくわからない。
俺は冊子のページをめくりながら、なんとなくため息をついた。
仕事はある。
社会も動いている。
でも、その中で自分がどこに入ればいいのか、いまいち見えてこない。
そんなことを考えていると、受付の女性がこちらを見て穏やかに言った。
「何か気になる職種はありましたか?」
俺は一瞬言葉に詰まり、ページを閉じながら曖昧に笑った。
「……いや、まあ、たくさんありすぎて、逆に迷ってます」
それは半分本音で、半分ごまかしだった。
さて。
勇者の孫、二十五歳、無職。
この山ほどある求人の中から、俺にできる仕事なんて本当に見つかるんだろうか。




