第1話 勇者の孫、社会を知る
時代の流れってやつは、本当に早い。
昔は世界を滅ぼしかけたとかいう魔王だの魔族だのがいたらしいが、そんなものは今じゃ歴史の教科書の中にしか存在しない。
街を歩けば商人の呼び声が飛び交い、魔導車が道路を走り、子供たちは学校帰りに菓子屋へ寄り道する。
どこからどう見ても、平和そのものだ。
魔王?
そんなの最初からいなかったんじゃないかってくらい、世の中はのんきに回っている。
そして俺――ニコは、そんな平和な世界のど真ん中で、朝っぱらから布団の上でゴロゴロしていた。
「……今日もいい天気だなぁ」
窓から差し込む日差しがやけにまぶしい。
普通ならここで「よし、今日も仕事頑張るか!」とか言うのが社会人なんだろうけど、残念ながら俺はその“社会人”というカテゴリにまだ正式登録されていない。
簡単に言うと、無職だ。
二十五歳、無職。
……いや、まあ、言い方は色々ある。
求職中とか、人生模索中とか、将来を考える充電期間とか。
でも世間的には、だいたいこう呼ばれる。
働け。
「はぁ……」
天井を見上げながらため息をつく。
こういうとき、昔の俺ならこう思っていたはずだ。
“勇者になるんだ”。
子供の頃の俺は、わりと本気でそう思っていた。
だって仕方ないだろう。
俺の祖父は、あの勇者アルドなんだから。
魔王を倒して世界を救った英雄。
歴史の教科書にも載っている、あの人だ。
当然ながら、俺が子供の頃は周りからめちゃくちゃ持て囃された。
「勇者様のお孫さん!」
「きっとすごい勇者になるんでしょうね!」
近所のおばちゃんはお菓子をくれるし、学校では先生まで妙に優しい。
クラスメイトなんかは、ちょっとしたヒーロー扱いだ。
まあ、そりゃそうだ。
世界を救った男の孫だぞ?
普通の子供より期待されるに決まっている。
俺だって単純なガキだったから、その気になった。
毎日木の枝を剣にして振り回し、
「魔王を倒す!」とか叫びながら森を走り回っていた。
今思えば、かなり痛い子供だ。
でも、当時はそれが夢だった。
勇者になる。
それが俺の将来の目標だった。
……ところがだ。
大人になるにつれて、世の中の空気がだんだんおかしいことに気づく。
まず、誰も魔王の話をしない。
いや、正確にはするにはする。
でもそれは歴史の授業とか、昔話とか、そういう扱いだ。
「昔、そんなことがありました」
くらいのテンション。
もっと言うと、ちょっとした伝説扱いだ。
ドラゴンとか妖精とかと同じカテゴリ。
つまり――
現実感ゼロ。
そして社会が求めている人材は、どう考えても勇者じゃなかった。
世の中の求人票を見ると、だいたいこう書いてある。
・コミュニケーション能力が高い方
・協調性のある方
・グローバル感覚を持つ方
・マネジメント力のある方
・社会人基礎力の高い方
……。
どれもこれも、俺の人生で一度も聞いたことがない能力ばかりだ。
勇者の能力っていうのはもっとこう、わかりやすい。
剣が強い。
魔法が強い。
ドラゴンを倒せる。
だいたいこの三つでいい。
ところが現代社会は違う。
「会議で発言できますか?」
「チームで協力できますか?」
「国際的な視点を持っていますか?」
知らんがな。
俺が知ってるのは、ゴブリンの弱点とオークの倒し方くらいだ。
「はぁ……」
もう一度ため息。
正直、この歳になってようやく理解してきた。
子供の頃に憧れていた勇者像ってやつは、今の世の中じゃ完全に需要外だ。
剣の腕がどれだけ強くても、履歴書に書く場所がない。
魔法が使えても、企業の面接官はこう聞いてくる。
「それは弊社でどのように活かせますか?」
知らん。
むしろ俺が聞きたい。
どこで活かせるんだこれ。
誰よりも強くなりたい。
そんな夢は、今の社会じゃ完全に的外れらしい。
今求められているのは、
・空気を読む力
・人と仲良くする力
・組織で働く力
つまり、いい感じに社会に馴染める人材だ。
……。
俺には無理そうだな。
そんなことを考えながら天井を見ていると、階段を上がる足音が聞こえた。
嫌な予感しかしない。
そして次の瞬間――
バンッ!
勢いよくドアが開いた。
「ニコ!!!」
母親だった。
「いつまで寝てるの!!もう昼よ!!」
「昼!?」
慌てて窓を見る。
太陽、真上。
完全に昼だ。
「いい加減働きなさい!二十五にもなって!!」
ぐうの音も出ない。
母は腕を組んで俺を睨んだ。
「今日は職業ギルドに行くって言ったわよね?」
「あー……」
そういえば言った気がする。
昨日の夜。
母の説教の流れで。
「……行きます」
「今すぐ行きなさい」
「はい」
反論の余地ゼロだった。
俺は重たい体を起こしながら思う。
勇者の孫。
世界を救った男の血筋。
その末裔の現在のミッション。
職探し。
……なんか、スケール小さくない?
まあいい。
俺はのそのそと服を着替えながら、ぼんやり思った。
平和になりすぎたこの世界で、
勇者の血ってやつは――
想像以上に役に立たないらしい。




