第11話 履歴書という試練
応接室の椅子に腰を下ろしてから、まだそれほど時間は経っていないはずだった。時計を見たわけじゃないけど、せいぜい数分程度のはずだ。それなのに妙に時間が引き伸ばされたように感じるのは気のせいだろうか。
目の前には、四角い木製の机。
磨き込まれた天板は淡い光を反射していて、角の部分は長年使われてきたらしく、少し丸くなっている。その向こう側には面接官らしい男性が腰を下ろしていた。年齢は四十代くらいだろうか。作業着の上に落ち着いた色のベストを着ていて、いかにも現場と事務の両方を見ている管理職といった雰囲気だった。
そして、その人の手元には――
俺の履歴書がある。
「……」
いや、別に悪いことをしているわけじゃない。
犯罪を犯したわけでもないし、面接に来ただけだ。堂々としていればいいだけの話だと、頭では理解している。
しているんだけど。
なんというか、こう……。
見られると困る。
面接官の男性は、俺がさっき提出した履歴書を静かな動作でめくりながら、特に表情を変えることもなくゆっくりと目を通している。その動作は落ち着いていて急ぐ様子もなければ、雑に扱う様子もない。
むしろ――
ちゃんと読んでいる。
それが逆に、落ち着かない。
部屋の中は妙に静かだった。
壁際には書類棚があり、窓からは朝の光が差し込んでいる。窓の外には倉庫街が広がっていて、かすかに作業音が聞こえてくる。
ガタン。
木箱を床に置く音。
「おい、そっち持て!」
作業員の声。
荷車の軋む音。
そういった音が、薄い壁越しに断片的に届いてくる。そのはずなのに、どこか遠くの世界の出来事みたいに感じられた。
俺は椅子の背もたれに触れないように背筋を伸ばしながら、内心で考える。
……履歴書、変なこと書いてないよな?
いや、書いてない。
書いてないはずだ。
書いてないはずなんだけど――
こうやって改めて人に読まれているのを見ると、急に不安になってくる。
それに。
もっと綺麗に書けばよかった。
今さらそんなことを思う。
もちろん丁寧には書いたつもりだ。書いたつもりなんだけど、こうして面接官の手元にある状態で見ると妙に気になる部分が増えてくるというか…。
文字の大きさが少し揃っていないところとか、インクの濃さが微妙に違うところとか、行の間隔とか、そういう細かいところがやけに目につく。
最初からもっと落ち着いて書くべきだったんだろうな、と今さらながら思う。
前に面接を受けたときはこんな感じじゃなかった。
人生初の企業面接を受けた時もそうだ。
ザルツブルグの小さな工場の面接で社長がそのまま面接官だったんだけど、その人は履歴書なんてほとんど見ていなかった。紙をちらっと眺めたあと、「体力あるか?」とか「荷物持てるか?」とか、そんな質問ばかりだった。
だから俺は、履歴書なんてその程度の扱いなんだと思っていた。
形式的な書類。
とりあえず提出するもの。
そんな感じの。
でも、どうやら違うらしい。
目の前の面接官は、結構ちゃんと読んでいる。
ページをめくるたびに、視線が止まる。
文章を追う目が、しっかり文字を拾っている。
「……」
……そんなに見ないでほしい。
いや、本当に。
俺は顔には出さないようにしているけど、内心ではかなり落ち着かない気分だった。だって、こうして自分の履歴書を第三者が真剣に読んでいるのを見ると、自分の経歴の薄さがそのまま露出しているみたいで、なんというか……。
恥ずかしい。
正直、履歴書の内容は完全に正直というわけではない。
全部そのまま書いていたら、多分この面接はここまで進んでいないと思う。
学校のことは誤魔化していない。
そこはさすがに無理だ。卒業した学校なんて調べればすぐに分かるし、変なことを書いて後からバレたら余計に面倒になる。
だからそこは、ちゃんと書いた。
王立第三高等学院卒業。
ザルツブルグにある普通の高等学院で、特別に名門というわけでもなければ、落ちこぼれが集まる学校というわけでもない。中央大陸にはこういう学校がいくつもあって、言ってしまえば平均的な学校だ。
問題は、そのあとだ。
学校を卒業してからの経歴。
そこが一番、履歴書を書くときに悩んだ部分だった。
なにしろ俺は――
仕事が続かない。
自分でもよく分かっている。
これは本当に良くないことだと思っている。
でも、どうしても続かなかった。
学校を卒業してから、いくつか仕事をしてきた。
運送会社。
倉庫作業。
農産物市場の荷運び。
建設現場の短期作業。
いろいろだ。
ただ、その中で一番長く続いた仕事でも――
三ヶ月。
それ以上続いたところはない。
ひどいときは一週間。
いや、正確に言うなら五日。
朝早く起きる生活に体が慣れなくて、気づいたら行かなくなっていた。
……我ながら情けない。
三ヶ月続いたところが奇跡みたいなもので、むしろそれが俺の職歴の中では最長記録だ。
そんな履歴書を、正直に書けるか?
書いたらどうなるか。
簡単に想像できる。
「大丈夫かコイツ」
絶対そう思われる。
俺だって履歴書を見る側だったら思う。
この人、どこも続いてないじゃんって。
だから――
まあ。
嘘も方便ってやつだ。
履歴書にはこう書いた。
セントラル物流サービス
倉庫管理補助
勤務期間:6年
……。
いや、もちろん完全な嘘じゃない。
この会社は実在する。
ザルツブルグにいた頃に働いた会社だ。
ザルツブルグの河港物流区に拠点を置く中規模の運送商会で、倉庫管理と街道輸送を主な業務にしている会社だった。俺が三ヶ月続いた、あの運送会社だ。
会社名も職種も本物。
ただ。
期間だけが違う。
本当は三ヶ月。
でも履歴書には六年。
高校卒業から今まで、ずっとそこで働いていたことになっている。
こうすれば職歴は一つで済むし、「仕事が続かない人間」という印象も多少は薄くなる。
……まあ。
薄くなるだけで、完全に消えるわけじゃないんだけど。
「……」
面接官はまだ履歴書を見ている。
俺は内心で祈っていた。
どうか。
どうか。
深く突っ込まないでください。
せめて。
あまり詳しく質問されませんように。
そう思いながら、俺は背筋を伸ばしたまま、じっと次の言葉を待っていた。




