7.再び
知らない人について行ったらだめよ。
子どもの頃、親からも学校の先生からも、よくそう言われていた。破るつもりなんてなかった。
だって、知らない人ではなかったのだ。
実際、誘拐犯として捕まった男は、生協か何かの配達の仕事をしていて、田渕の家やその他あちこちで見かけたことがあった。
タロの墓参りをしていてその男に声をかけられ、タロがよく駆け回っていた空き地に綺麗な花が咲いていると聞いて、その場所を教えてくれると言うからついて行ったのだ。
そして、人気のない場所に来たところで、いきなりナイフを突きつけられ捕まった。
「たつみくん! たつみくんをはなせ!」
「お前も大人しくついて来い! じゃないとこのガキがどうなっても知らないぜ」
「だめだ! はやくにげろ! うぐっ⋯!?」
「たつみくん!」
早く逃げて、大人に知らせて!
そう叫ぼうとした巽は、犯人に殴られたかして意識を失った。
泣き叫ぶような声が、ずっと耳に残っていた。
――――⋯⋯
また、夢を見た。
誘拐された時の夢。これもまた、今までずっと忘れていた。
この夢が本当にあったことなら、自分が先に犯人に捕まったことになる。自分さえ捕まらなければ、麻里も誘拐されることはなかったかもしれない。
巽は頭を抱えた。
花火のことだけじゃない。あの誘拐事件すら、自分のせいだった。
麻里の願いを聞いて、付き合って、結婚して。
だけどそれだけでは、到底償いきれないほどのことを、自分は麻里にしてしまったのかもしれない。
麻里はもういない。もう何をしてやることも出来ないのに、自分はいったい、どう償えばいいのか⋯。
✦✦✦
空が明るくなる頃、巽はスマホの着信音で目が覚めた。画面を見ると、委員長の名前が表示されている。
何だろう、昨日の店に忘れ物でもしてしまっただろうか。
「もしもし」
『あ、古賀? 悪い朝から』
「いいけど、なんかあった?」
委員長の声はひどく焦っているようだった。嫌な予感がする。
『昨日さ、一次会の後、橋本さんどうしたか知ってるか?』
「橋本? 迎えが来るって言ってたけど」
『迎えって誰とか言ってた?』
「いや、それは聞いてない。親か彼氏じゃないのか?」
『⋯いなかったんだって』
「え?」
いなかった、とは。
『彼氏さんが迎えに来た時にはもういなくて、家にも帰ってないって』
「⋯連絡は?」
『つかない』
サーッと血の気が引いた。巽は飛び起きて、すぐに家を出る支度をする。
『悪い。古賀、最後に話してたから何か知ってるかと思ってかけただけだったんだけど』
「いいって。今から行くから」
通話を切り、家を出て駅に向かっているところで、今度は弓弦から電話がかかってきた。
『たつ兄、香菜ちゃんのこと聞いた?』
「ああ。今向かってる」
『俺も行く』
車を出すと言う弓弦と待ち合わせをして、巽はまた、あの町へ向かった。
✦✦✦
町内では、香菜の両親や婚約者、友人などが捜しているらしいが、未だ見つかっていないそうだ。
いなくなってからまだ半日ほどであることと、もう大人だからと、警察は動いていないらしい。
巽はどうしてか、過去の誘拐事件と繋がりがあるように思えてならなかった。
「なんでそう思うの? 香菜ちゃんは何も関係なくない?」
「そう、なんだけどな⋯」
旅館で殺されたかるかんとも無関係なのだ。巽にも説明がつかない。それでも繋がっているように思えてしまうのは、今朝たまたま夢を見たからなのだろうか。
誘拐事件なら身代金の要求があるはず。
皆はそう思っているようだが、巽たちが誘拐された20年前の事件でも、身代金の要求はなかったらしい。
「弓弦、ちょっと、行ってほしい場所があるんだけど」
「⋯わかった」
巽がそう言って弓弦に伝えたのは、タロのお墓から少し先にある空き地だった。
「ここって⋯」
夢で見たのと同じ光景。その更に先に、雑木林がある。巽はそこへ入って行く。
「たつ兄、また何か思い出したの⋯?」
「⋯今朝、夢を見た」
見覚えがあるようにも思える林の中を、巽はどんどん進んでいく。しかし、少しすると突然迷子になったかのように、進む方向がわからなくなった。
巽は周囲を見回した。
夢の中で、巽は犯人の男に殴られ気を失っていた。もしあれが過去の記憶なら、この辺りで気絶させられたから、この先の道がわからないのかもしれない。
「たつ兄、こっち」
「え? 弓弦?」
立ち止まってしまった巽の代わりに、今度は弓弦が先導する。しばらく歩くと、倉庫のようなものが見えた。
「っ! あれ、は⋯」
見覚えのない場所なのに、頭の中に答えが流れ込んでくる。あそこは、誘拐された自分たちが閉じ込められていた場所だ。
2人は周囲を警戒しながらそこに近付き、聞き耳を立てる。まさか、香菜もここに閉じ込められているのだろうか。
壁に耳を押し当てるが、何の音も聞こえない。
「弓弦」
「うん」
弓弦と目配せをして、扉に手をかける。少し力をいれると、僅かに隙間が開いた。鍵はかかっていなそうだ。
静かに深呼吸をして、巽は一気に引戸を引いた。
誰かが出てくる様子はなく、恐る恐る中を覗くと、倉庫の中は誰もいなかった。ほっと息を吐き出す。
「ここじゃなかったか⋯」
やはり、香菜とあの誘拐事件は無関係なのだろうか。
「弓弦、なんでここ知ってるんだ?」
弓弦は迷うことなくここへやって来た。最初から知っていたとしか思えない。
「⋯事件のことは、姉貴とも何度か話したからね」
「そう、か⋯」
そう言えば、犯人が捕まるまで少し時間がかかったと、この前田渕が言っていた。自分が忘れてしまっていた分、警察は麻里の方に色々話を聞きに行っていたのかもしれない。弓弦もそれを覚えていたのだろう。
ともかく、今は香菜を探すのが最優先だと、来た道を戻ろうとしたところで、スマホに委員長から電話がかかってきた。
「もしもし」
『古賀? 橋本さん見つかったよ!』
「ほんとか!?」
委員長の電話の声が聞こえたのだろう。弓弦もほっとした表情を見せた。
『怪我とかもしてないし、一応今は病院にいる。ありがとな』
「無事なら良かった。俺もそっち向かうよ」
通話を切って長く息を吐く。
「香菜ちゃん無事なんだね」
「ああ」
「良かった〜」
弓弦は心底安心したようで、その場にしゃがみ込んだ。巽も自然と笑みが溢れた。
しかし――。
巽は、もう1度倉庫の中を覗き込む。
かび臭い、冷えた空気が漂っている。天井付近に格子のはまった小さな窓があった。
物はほとんどなく、古びた農作業の道具と、茣蓙のようなものが置かれている。
巽は眉を顰めた。
「たつ兄?」
「⋯ここへ来れば、また何か思い出すと思ったんだけどな」
だが、わかったこともある。
ここは、夢で見たのと同じだ。怯えて震える麻里と自分。あれは、ただの夢ではなく過去の記憶だった。
「たつ兄は、どうしてそんなに思い出したいの?」
「それは⋯、なんとなく、思い出さないといけない気がして⋯」
かるかんが殺された時、自分が思い出さなければ、また同じ事件が起きるような、そんな気がした。
それに、あんな事件でも麻里との思い出の一つだ。麻里との思い出はもう増やすことが出来ない。あんなに大きな出来事だったのに、忘れてしまっていることがずっと心に引っかかっている。
「じゃあ、あの時と同じこと、してみる?」
「え?」
同じこと?
弓弦は、何かに吸い寄せられるように、倉庫の中に入った。
「一晩、ここで過ごすの。あの時みたいに。裸で」
「は?」
唖然とする巽を放って、弓弦は土足のまま、床板を敷いて一段高くなっているところへ上がり、窓から外を眺めた。
「見つかった時、寒かったみたいで、裸で抱き合ってたって聞いたよ?」
「え? 嘘、マジ⋯?」
全く覚えていない。本当だろうか。しかし、夜はまだかなり冷える季節だった。
「嘘だと思うなら、母さんたちに聞いてみたらいいよ。で、どうする? もう姉貴はいないから、代わりに俺と」
「冗談、だろ⋯?」
思い出したいとは思うが、そんなことをしなくても。
じっと弓弦の顔を見つめると、弓弦は肩をすくめて笑った。
「冗談だよ」
「弓弦」
「たつ兄があんまり思い詰めた顔してるから。それより、病院行くんでしょ。早く戻ろ」
「⋯ああ」
勢いよく倉庫の戸を閉めた弓弦は、再び巽を先導して来た道を戻り始める。
巽は、1度倉庫を振り返った後、その背を追った。




