生活保護
十一月の中旬、私は生活保護を申請した。
そう書くと、ひどく簡単な出来事のように見える。
でも実際の記憶は、霧がかかったみたいに途切れ途切れで、感情だけが先に残っている。
寒かった。
とにかく、寒かった。
身体の中心から冷えていく感覚があり、布団に包まっていても、安心できなかった。眠れているのか起きているのか分からない時間が長く続き、食べ物を口にしても、吐いてしまうことがあった。頭の中は常にざわざわしていて、何かを考えようとすると、すぐに疲れ切ってしまった。
働くことは、もうできなかった。
貯金も、ほとんどなかった。
「このままでは生活できない」
その事実だけは、はっきりしていた。
市役所に行くまでの過程は、あまり覚えていない。どうやって決心したのか、誰とどんな話をしたのかも、曖昧だ。ただ、行かなければならないという感覚に背中を押されて、窓口に座っていた記憶がある。
生活保護の申請は、思っていたよりも事務的だった。
責められることも、詰問されることもなかった。淡々と質問が続き、私はそれに答えた。答えながら、自分がいかに何も持っていないかを、言葉にしていく作業だった。
家庭訪問もあった。
部屋の中を見せ、生活の様子を説明した。恥ずかしさがなかったと言えば嘘になる。でもそれ以上に、もう取り繕う元気がないという感覚の方が強かった。
申請が通るかどうか分からない時間は、長かった。
電話が鳴るたびに、心臓が跳ねた。
落ちたらどうしよう、という不安が、頭の中を占領していた。
この頃の私は、常に怯えていたと思う。
お金がなくなること、住む場所を失うこと、社会から完全に切り離されること。
それらが一気に押し寄せてくるような感覚の中で、ただ時間だけが過ぎていった。
そして、連絡が来た。
生活保護が決まりました、と。
その瞬間、劇的な喜びがあったわけではない。
泣き崩れた記憶もない。
ただ、身体のどこかで、張りつめていた糸が少しだけ緩んだのを感じた。
振り込みでお金を受け取るようになった。
口座に数字が並んでいるのを見て、ようやく現実感が湧いた。
これで、生きていけるんだ。
そんな考えが、自然と浮かんだ。
生活保護を受けることは、敗北だと思っていた時期もあった。
自立できなかった証明みたいに感じていた。
でも、このときの私は、勝ち負けを考える余裕すらなかった。
これはまさしく救済であり、生き延びるための、最低限の支えであることがよく分かった。
鬱が一番強かったのは、確かに十一月だったと思う。
記憶が曖昧なのは、そのせいだ。
日付も、会話も、順序も、ところどころ抜け落ちている。
助けを求めることは、簡単じゃないが、助けを求めなければ、生き残れない時もある。
十一月の私は、ほとんど何も覚えていない。
けれど、市役所の窓口に座っていた私、電話の前で震えていた私、口座を見て息を吐いた私、それらは、確かに存在していた。
今、この文章を書いている私がここにいるのは、あのときの私が、諦めずに申請したからだ。
生活保護は、私の人生を良くしてくれたわけではない。
ただ、壊れきる前に、時間を止めてくれた。
十一月は、そういう月だった。




