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大食漢になりたい人生だった!  作者: 月蜜慈雨


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退職





 九月、私は会社に入社した。



 大学院を中退し、とりあえず進路を決めようと動いた結果、ご縁のあった会社だった。研究者になる道から降りた直後で、正直、心も身体も万全ではなかった。それでも、働かなければならないと思った。生活のためでもあり、自分が社会とまだ繋がっていることを確かめるためでもあった。



 入社して一週間ほどで、体調に異変が出た。



 朝、起きられない。

 身体が鉛のように重い。

 吐き気がして、帰りの道端で吐いた。



 最初は、週に一度くらい休むだけだった。疲れが出たのかもしれない、慣れれば大丈夫だろうと、自分にも周囲にもそう説明していた。実際、会社に行けた日は、ちゃんと仕事をしていたと思う。



 でも、十月に入ると、状況ははっきりと悪化した。



 会社に行ける日より、行けない日の方が多くなった。朝、支度をしようとしても、途中で動けなくなる。身体は休んでいるはずなのに、回復しない。むしろ、休むたびに、罪悪感と焦りが積み重なっていった。



 最終的には、一週間に一度しか出社できなくなった。



 会社の人たちは、鬱に対して深い理解があったわけではないと思う。それでも、無視したり、突き放したりすることはなかった。どうにか寄り添おうとしてくれていた。「無理しなくていいよ」「できる範囲で」と声をかけてくれる人もいた。



 その優しさが、逆につらかった。



 頑張りたい気持ちは、確かにあった。

 迷惑をかけたくなかった。

 せっかく採用してもらったのに、と思っていた。



 でも、どうにもならなかった。



 会社に行けない理由を説明しようとするたび、言葉が薄くなる気がした。体調が悪い、と言うしかないのに、その悪さを正確に伝える手段がなかった。説明できないことは、信じてもらえないような気がして、何度も自分を責めた。



 十一月の初め、私は退職の連絡をした。



 電話をかける手は、震えていた。

 申し訳なさと、情けなさと、ほっとしてしまう気持ちが、同時にあった。



「すみません。退職します」



 その一言を言うまでに、ずいぶん時間がかかった。

 言ってしまえば、あとは淡々と話が進んだ。



 電話を切ったあと、しばらく何も考えられなかった。

 失敗した、という感覚はあった。でも、それ以上に、これ以上壊れなくて済むという安堵の方が、はっきりしていた。



 働くことができない自分は、社会から脱落したように思えた。

 同時に、働こうとして壊れていく自分を、これ以上放っておけないとも思った。



 この退職は、努力不足の結果ではなかった。努力しようとした末の、限界だったのかもしれない。



 九月に入社し、十一月の初めに辞めた。

 たった二ヶ月ほどの出来事なのに、その中身は、ひどく濃かった。



 大学院を辞め、会社を辞め、私はまた一つ、肩書きを失った。

 残ったのは、疲れ切った身体と、どう生きればいいのか分からないという感覚だった。



 でも、この退職は、次の選択につながっていく。

 生活保護という言葉が、現実の選択肢として、輪郭を持ち始めるのは、このあとだ。



 十一月の冷たい空気の中で、私はまた、立ち止まっていた。

 止まらなければ、もう前にも後ろにも進めなかった。





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