親の離婚
七月の半ば、あまりにも唐突に、それは決まった。
両親が離婚する、と。
前触れがなかったわけではない。けれど、決定として告げられたその日は、まるで雷が真上に落ちたみたいだった。音はしなかった。ただ、世界の輪郭が一瞬で歪んだようだった。
私はそのとき、大学院生だった。研究のこと、将来のこと、自分がこの先どこへ行くのか、就職活動どうしよう、そういう問いを抱えながら、必死に日々をやり過ごしていた時期だ。そこへ、家庭という、戻れる場所が、音もなく崩れ始めた。
あとから聞いた話だ。
私はその頃、一人暮らしをしていて、実家の空気を日常的に知っていたわけではなかった。家の中に張りつめた空気があったことも、すべて妹や母から伝え聞いたものだ。何気ない言葉の積み重ねが、後になって意味を持ち始めた。
それでも私は、どこかで思っていた。
離れて暮らしているからこそ、実家は変わらずそこにあるものだと。
多少ぎくしゃくしていても、家族という形は簡単には壊れないものだと。
それは希望というより、思い込みに近かったのかもしれない。
自分の生活を保つために、そう信じていた、と言った方が正しい。
実は、この突然の離婚の前に、父と私は一度、大きく言葉をぶつけ合っている。
内容は、細部を正確に思い出したくない。ただ、互いに譲らず、感情だけが先に立った会話だった。 電話越しに聞いた父の声は硬く、私は逃げて、ずっとラインで対応していた。
そのやり取りのあと、妹から連絡が来た。
「もしかしたら、離婚あるかも」
あまりにも軽く、ぽつりと落とされた言葉だった。
まるで天気の話でもするみたいに。
私は笑って受け流した。
まさか、そんな、と。
離婚が結びつく実感はなかった。多少長く続いてきた関係は、ひびが入っても、そのままの形で続くものだと思っていた。
それに何より、私は呑気だった。
自分が関わった口論が、家族の形そのものを揺るがすとは、本気で考えていなかった。
だからこそ、七月半ばに離婚が決まったと聞いたとき、現実感がなかった。
予兆はあった。言葉も、警告も、確かに存在していた。
それでも私は、それらを起こらない未来の箱に押し込んでいた。
まさか、が、本当に起きる。
人生には、そういう瞬間がある。
離婚の話を聞いたとき、まず頭に浮かんだのは感情ではなく、現実だった。
これから、どうなるんだろう。
お金は? 住む場所は? 学費は?
感情が追いつくよりも先に、生活がぐらつく予感があった。
父は経済的な支援を続けない意向を示した。母は私の味方でいてくれたけれど、母自身もまた、先の見えない不安の中にいた。私は大人で、もう自立すべき年齢だった。でも同時に、まだ何者でもなかった。
家族が二つに割れるというのは、不思議な体験だ。
誰かが悪者になるわけでもなく、ただ続けられなくなったという事実だけが残る。その事実が、私の足元を少しずつ削っていった。
大学院での研究は、もともと順調とは言えなかった。指導教員との関係、理解が追いつかない数式、積み重なっていく焦り。そこに家庭の崩壊が重なり、私の中のバランスは、静かに、しかし確実に崩れていった。
勉強をしているはずなのに、頭に何も入らない。
未来の話をされるたびに、胸が締め付けられる。
頑張れば何とかなるという言葉が、遠くの言語のように聞こえた。
両親の離婚は、直接私を責めるものではなかった。でも、間接的に、私の選択肢を一つずつ奪っていった。余裕がなくなり、踏ん張りがきかなくなり、希望を描く力が弱っていった。
七月の暑さの中で、私は失うという感覚を初めて現実の重さで知った。家族の形が変わることは、思っていた以上に、私の人生の前提を書き換えてしまった。
三日三晩泣いて、布団から出れなかった。
後になって思う。
この離婚は、私の人生を壊した出来事ではない。
でも、確実に、私を一度立ち止まらせた出来事だった。
この七月を境に、私の人生は、少しずつ、予定調和から外れていく。
大学院中退、退職、生活保護、断薬期間、そのすべては、このとき既に、静かに連なり始めていた。
あの夏、私はまだ知らなかった。
自分が普通に食べて、普通に生きることを、これほどまでに切実に願うようになるなんて。




