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王国爆死録 ヴァルハイト王国 暗殺連鎖〜爆破テロ  作者: 南蛇井


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事件発生 ― 崖下の惨劇

――午後四時。空は、まるで誰かが墨を流し込んだように暗く沈んでいた。

昼までは確かに陽が差していたはずだ。だが今は、厚い雲が王都南方の空を覆い尽くし、遠くの稲光が山々の輪郭を鈍く照らしている。

その峠――グレイス峠は、王都へと続く唯一の道。

石畳は長い年月で角が削れ、ところどころ苔が張り付き、雨に濡れて滑りやすくなっていた。

片側は底の見えない断崖、もう片側は岩壁。その岩の裂け目に、古びた祠がいくつも口を開けている。

風が、息を潜めていた。

ただ、雨だけが静かに、しかし確実に力を増していく。最初は霧雨だったものが、次第に叩きつけるような暴風雨に変わっていった。

馬車の鉄輪が石畳を軋ませ、雷鳴が頭上を割る。

御者が手綱を締めながら、思わず顔をしかめる。

「――殿下、ここを越えれば峠は抜けます!」

「そうか。」

短く応じたルークの声は、嵐の音に呑まれながらも不思議と落ち着いていた。

彼は窓の外を見やり、黒く垂れ込める雲の向こうに、ほんの一瞬の光を探すように目を細める。

雷が再び走り、崖の縁を白く照らした。

その光の中で、道端の何か――金属の欠片が、一瞬、鈍く光を返した。

だが、それに気づいた者はいない。

風が吠え、馬が鼻を鳴らし、次の瞬間、雨脚がさらに強まった。

グレイス峠。

王都へ戻るはずの道。

だがこのとき、誰も知らなかった。

その石畳の下で、すでに何かが仕掛けられていたことを――。

――轟、と空が裂けた。

雷鳴の残響が山を揺らし、グレイス峠を吹き抜ける風が馬車の幌を激しく叩く。

車内には、わずかに揺れるランプの灯。

ルークは外套を膝にかけ、じっと窓の外を見つめていた。

黒雲が渦を巻くように山を覆い、光を拒むように空を閉ざしている。

「殿下、このまま進まれては危険です。少しでも雨宿りを――」

近衛騎士のひとりが声を上げる。

ルークは短く首を振った。

「いや……もう少しで峠を抜ける。ここで止まれば、かえって危ない。」

その声音には焦りよりも、静かな決意があった。

外の暗闇を見据える瞳は、何かを測るように細められている。

突然、車輪が泥に取られ、馬車が大きく傾いた。

御者が「くそっ……!」と叫び、手綱を強く引く。

馬の蹄が滑り、鉄の音が鋭く響く。

「殿下、お下がりを!」

騎士が身を乗り出すが、ルークはわずかに手を上げて制した。

次の瞬間――。

稲光が走り、世界が一瞬だけ白く塗りつぶされる。

その閃光の中、道端の影がきらりと反射した。

まるで誰かが残した刃のように、金属の楔がぬかるんだ石畳の端で鈍く光っていた。

だが、誰もそれに気づかない。

轟く雷鳴が、崩れ落ちる前触れのように山を震わせていた。

――その瞬間だった。

「ギィッ――ガラン!」

甲高い金属音が、嵐の喧騒を貫いた。

車体が突如として激しく跳ね、ルークの視界が一瞬で傾く。

外で馬が悲鳴を上げ、御者の怒号がかき消される。

「殿下、掴まってくださいッ!」

騎士の叫びも、次の轟音に呑まれた。

車輪が軋み、砕ける。車軸が裂ける。

地を蹴る馬がもつれ合い、鉄具の鎖が空を切る。

雷光が再び閃いた瞬間――世界が斜めに崩れ落ちた。

車体が滑る。

石畳を削り、泥を巻き上げ、馬の脚が宙を掴む。

重力が一気に反転したかのように、身体が宙へ浮かぶ。

ルークの目に、崖の向こうの“空”が一瞬だけ映った。

灰色の雲、遠くに光る稲妻。

その中心に、ふとアランの横顔が脳裏に浮かぶ。

――すまない。

そう呟いたのか、それとも心の中の声だったのか。

次の瞬間、車体は崖下へと吸い込まれた。

轟音。

折れた木々の悲鳴。

土砂と雨が渦を巻き、黒い谷底がすべてを飲み込む。

そして、静寂。

雨だけが、残骸の上に降り注いでいた。

まるで、すべての音と命を覆い隠すように――。

豪雨が、崖を叩き続けていた。

松明の火は風に揺れ、光と影が泥に濡れた地面を歪める。

王都から駆けつけた王宮警備局長カミラは、濡れた外套の裾を払うこともなく、崩れかけた峠道を進んだ。

「……これが、現場か。」

谷底には、見るも無惨な光景が広がっていた。

木々をなぎ倒して転げ落ちた馬車の残骸。

鉄枠がねじ曲がり、板片は雨水に浮かんでいる。

黒焦げた荷箱がひとつ――落雷か、それとも衝突の際に火が走ったのか。

「殿下のご遺体は……」

「こちらです。」

兵が泥の中で跪く。

その腕に抱かれているのは、破れた外套の切れ端。

枝に引っかかっていたというそれは、まるで最後まで空へ伸びようとしていたかのように風に揺れていた。

カミラは一瞬だけ目を閉じ、息を整えた。

冷たい雨が、額を伝う。

彼女は言葉もなく谷底を見下ろした――その瞳には、哀悼よりも“分析”の光があった。

「……車軸の破損は?」

「軸そのものが折れていました。ですが……」

報告に応じた若い兵士が、何かを掘り起こす。

カミラは膝をつき、手にした松明の炎を近づけた。

泥の中から、鈍く光るものが顔を出す。

それは、指ほどの大きさの金属製のくさび

「……これは?」

兵が首を振る。

「車軸の固定具に、外部から打ち込まれた跡がありました。自然に折れる角度ではありません。」

カミラは楔を指でなぞり、無言のまま立ち上がった。

雨がまた強くなる。

その背後で、稲妻が空を裂いた。

一瞬、谷底のすべてが白く照らされる。

――まるで、神がその“真相”を暴こうとしているかのように。

だがカミラの表情は動かない。

彼女は小さく呟いた。

「……事故、では済まぬな。」

その言葉は、雨音にかき消された。

けれど確かに、ここから“何か”が動き始めた。

カミラは泥に膝をつき、革手袋をはめ直した。

雨に打たれる指先で、泥の中の“それ”をゆっくりと掘り出す。

金属が、鈍く光った。

掌に乗せた瞬間――ずしりとした重みと、指先に残る微かな焦げ臭。

長年使われていないはずの鉄が、なぜか新しい傷を帯びている。

「……車軸固定具と同型。」

副官が口を開く。

カミラは黙ってうなずき、楔を持ち上げた。

雨粒が落ちるたび、表面に刻まれた金属の線が光を弾く。

だが、その角度がおかしい。

本来なら水平に打ち込まれるはずの部品が、まるで“横からねじ込まれた”ように、斜めの方向で地面に突き刺さっている。

「……偶然、とは言い難いな。」

カミラの声は低く、雨音に溶けた。

副官が息をのむ。

彼女は視線を崖の上へと向けた。

そこには、雨に洗われた岩肌――しかし一部だけ、不自然に削られた面が覗いていた。

さらにその近くには、雷では説明できない黒い焦げ跡。

(火薬……? いや、もっと小規模だ。だが確実に“人の手”が入っている。)

稲光が一閃、空を裂いた。

その光に照らされて、一瞬だけ浮かび上がる峠道の輪郭。

細工の跡は確かに、事故を“演出”するためのものだった。

カミラは濡れた髪を払い、松明を高く掲げる。

「この道は――崩されていた。」

兵たちがざわめく中、彼女だけが静かに立ち尽くしていた。

その眼差しは、すでに“誰かの手”を追っていた。

松明の火が、雨に打たれてじりじりと音を立てた。

崖下の空気はまだ生臭く、焦げた木片と濡れた土の匂いが入り混じっている。

カミラは泥だらけの外套を払うこともなく、ゆっくりと立ち上がった。

背後から、副官がためらいがちに声をかける。

「……局長。報告は、“事故”ということで、よろしいのですか?」

短い沈黙。

風が吹き、松明の炎が横に流れる。

カミラは表情を変えず、濡れたままの髪を指で払った。

そして、低く答える。

「――今は、だ。」

その声には、わずかな苛立ちと、深い警戒が滲んでいた。

「王宮が混乱すれば、次は“誰”が落とされるかわからん。

 ……敵の狙いが見えるまでは、口を閉ざせ。」

副官は息を呑み、ただ黙ってうなずいた。

周囲の兵士たちも、雨の音に掻き消されるように動きを止める。

カミラはその沈黙を確かめるように、視線を崖の下へと落とした。

――谷底で、破れた外套の布が風に揺れている。

それがまるで、亡き王子の魂がまだ“何か”を訴えようとしているように見えた。

「……承知しました。すべては局長の指示に。」

副官の声を背に、カミラはそっと懐を探る。

そこには、まだ濡れたままの金属の楔。

冷たい鉄の感触が、確かな“異物”として胸の内に残る。

カミラは静かにそれを握り締めた。

「隠すなら隠せ。……私は、掘り返す。」

その小さな呟きが、雨に溶けて消えたとき。

遠くで再び雷鳴が轟いた。

まるで、真実そのものが――目を覚まそうとしているかのように。

轟――。

雷鳴が、山全体を揺らした。

雨は途切れることなく降り続き、崖下を流れる濁流が、落ちた馬車の残骸を飲み込んでいく。

カミラの足元で、泥が波のように崩れた。

兵たちが松明を掲げ、声を張り上げる。

しかし、そのすべての音が――雷と雨に、ゆっくりと呑まれていった。

カメラは崖下から、静かに上空へと昇っていく。

砕けた木々、散らばる鉄片、ぬかるんだ大地。

そのすべてがひとつの**“痕跡”**として、重く沈黙していた。

やがて視界の端に、遠く霞む王都の影が現れる。

厚い黒雲が空一面を覆い、その中心で――まるで渦を巻くように、不吉な闇が広がっていく。

――その日、王国の均衡は音もなく崩れ始めた。

雨の帳の向こうで、稲光が一閃。

その瞬間、王都の尖塔が白く浮かび上がり、再び闇に沈む。

そして、アランがその“歪み”に気づくのは――

まだ、数時間後のことだった。

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