確信の狂気 ― 「温度のない破壊」
赤光が揺れる。
その光の向こう、ルークの瞳が静かにこちらを捉えていた。
アランは息を忘れる。
そこに映るのは、かつて弟の眼に宿っていた“熱”ではない。
怒りも、悲しみも、葛藤の色も――跡形もなく消えていた。
瞳の表面に、赤光が金属のような反射を走らせる。
まるで人の眼ではなく、構造体のレンズのようだった。
光を受けても、返ってくるのはただの冷たい反射。
そこには“感情”という温度が存在しない。
アランの脳裏に、戦場の記憶がよぎる。
かつて怒りに燃えていた少年――理不尽を憎み、涙を見せた弟の面影。
だが今、そこに立つのは違う。
炎が昇華され、純粋な理論だけで形作られた何か。
「……ルーク。」
声を出すことが、なぜか痛かった。
呼吸するたび、胸の奥が焼けるように熱い。
その一方で、ルークの瞳は凍てついたように微動だにしない。
ただ正確に、無慈悲な観測者として兄を見据えている。
ナレーション(静かに):
「そこにあるのは狂気ではなかった。
狂気よりも、もっと厄介なもの――“確信”だった。」
その確信は、理性の奥で光を失い、
やがて信念と狂気の境界を曖昧にする。
アランの背筋を、ひとすじの冷気が這った。
アランの胸の奥を、氷の刃のようなものが静かに貫いた。
それは“恐怖”だった。
だが、その恐怖は死へのものではない。
弟に殺されるかもしれない――そんな本能的な怯えではなかった。
「……違う。」
心の奥で、アランはかすかに呟く。
「こいつは、怒っていない。」
そう、怒りがあるなら、まだ人間だ。
悲しみがあるなら、まだ届く余地がある。
感情があるなら、言葉で触れられる可能性がある。
だが――今、目の前に立つルークには何もない。
燃え尽きた後の灰のように、感情の残滓すら見当たらなかった。
瞳の奥には、計算と構造、ただ“結果”だけを求める冷たい光。
その目は、怒りも憎しみも超越した破壊の理屈そのもの。
アランは息を吸うことすら怖くなった。
ルークの眼差しが、世界の価値を一瞬で測り、
不要と判断したものを、ただ除去するだけの“観測者”になっているのを悟ったからだ。
「こんな目で……世界を見ているのか……。」
呟きは、震えるほど静かだった。
言葉が息に変わる前に、胸の奥で凍りつく。
その瞬間、理解が落ちる。
この冷たさ――この感情の消失こそが、
弟が“人間を超えようとした証拠”なのだと。
兄としての痛みが、静かに心を締め付けた。
それは怒りでも悲しみでもない、失われたものへの弔いに近かった。
ルークの視界に、赤光がわずかに揺れた。
魔導陣の反射がアランの頬を照らし、その皮膚の下で脈打つ血流の鼓動までが、彼には正確に“見えた”。
心拍数、呼吸の乱れ、瞳孔の収縮――すべてが、数値として脳裏に並ぶ。
「……やはり、変わらない。」
ルークは静かに思う。
兄はまだ、“情”という曖昧なものに縋っている。
理ではなく、信じたいものだけを見つめる――それが、彼の本質だ。
ルークにとって“情”とは、構造を蝕むノイズだった。
最適化を妨げ、計画を歪ませるエラー信号。
優しさは、判断を曇らせる甘い毒。
救いを望む限り、人は再び愚行を繰り返す。
けれど――かつて、彼はその“毒”に救われた。
まだ幼かった頃、アランの手が自分の頭に触れた温もり。
無力な自分を抱きしめてくれた夜の匂い。
その優しさに包まれた瞬間だけ、自分は“人間”でいられた。
記憶の底から浮かび上がるその感触を、ルークは即座に切断する。
思考のノイズとして、処理対象から除外した。
「兄上の優しさは、美しい。」
心の奥底で、微かな残響が生まれる。
だがその次の瞬間、冷たい演算が上書きした。
「だが――それは、滅びゆく種の美学だ。」
ルークの瞳が細く収束し、光の反射が金属のように硬化する。
そこにはもはや温度がない。
ただ、かつて愛した“優しさ”を、冷徹に否定する確信の光だけがあった。
赤光が、ゆっくりと色を変えていった。
燃えるような朱ではなく、冷えた硝子の内側で揺らめくような青白さ。
それは炎の姿を借りながら――もはや、熱を持たない。
魔導陣の紋様が脈打つたび、ルークの輪郭が淡く滲む。
彼の身体を包む光は、まるで“炎を模した氷”。
燃焼の形をしていながら、そこにあるのは熱ではなく、絶対零度の輝きだった。
アランの頬に、その光が触れる。
一瞬、皮膚の下を冷気が這うような錯覚。
光が照らすたび、血が引いていく――
まるで、世界そのものが発熱を止めていくかのように。
アランは息を呑む。
目の前の弟は、もはや“怒り”の炎を燃やしていない。
そこにあるのは、情の尽きた破壊衝動――いや、それすら超えた静謐な演算。
ナレーション:
「彼の語る破壊は、怒りではなかった。
それは、氷のように静かで――炎よりも速い、確信だった。」
ルークの瞳が、最後の残光を呑み込む。
赤光は青白い線へと変わり、世界が一瞬、音を失った。
アランが、わずかに前へと足を出した。
その一歩には、戦うための意志ではなく――まだ救いたいという、微かな祈りが込められていた。
五年前に失った弟を、いま目の前の“機構”の中から、もう一度取り戻せるかもしれない。
その希望だけが、彼を動かしていた。
だが、ルークの視線が――それを止めた。
言葉も、魔力も使わず。
ただ、見るだけで。
その視線には、力よりも冷たい支配があった。
まるで「重力」そのものがアランの動きを封じたかのように、世界が一瞬、静止する。
アラン(内心):
「……この距離を、越えられない。」
「もう……ルークには届かないのか。」
赤光が二人の間でわずかに脈動する。
それは呼吸にも似た律動だったが、同調することはない。
アランの息が熱を帯びるほど、ルークの呼吸は冷たく、無音になっていく。
ルーク(内心):
「観測完了。兄上は、まだ“希望”を捨てられない。」
「だからこそ、あなたは――時代に取り残される。」
その瞬間、アランの胸に“痛み”が走る。
それは弟の言葉ではなく、断絶そのものに対する痛み。
息を吸うたび、目に見えない壁が厚くなる。
――呼吸はある。
だが、届かない。
それがいまの彼らの「関係」だった。
赤光が、音もなく裂けた。
まるで見えない刃が通り抜けたように――兄弟を繋いでいた光の帯が、中央で静かに分断される。
裂け目から漏れ出すのは、二つの異なる輝き。
片方はわずかに橙を帯び、空気に温度を与える。
もう片方は青白く、熱を奪い、空間を凍らせる。
それらは互いに交わることなく、
アランとルーク――それぞれの足元に定着していく。
同じ魔導陣から生まれた光であるはずなのに、
今やその波長は完全に異なっていた。
暖かい光がアランの肩を包み、
冷たい光がルークの頬を滑る。
その境界線は、肉眼で見えるほど明確だった。
もはや二人は、同じ光の下に立ってはいない。
「狂気とは、激情の果てではない。
理性が熱を失ったときに、人はそこへ至る。」
赤と蒼――その二色の光が、静かに場を支配する。
言葉はもう届かず、残されたのは“信念”と“確信”だけ。
世界が二つの思想に分かれた瞬間、
魔導陣の中心で――完全な沈黙が生まれた。




