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王国爆死録 ヴァルハイト王国 暗殺連鎖〜爆破テロ  作者: 南蛇井


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静かな夜 ―「赤い波長」

 王城の時計塔が、最後の鐘を打ち終えた。

 その余韻が夜霧に吸い込まれていく。


 深夜の外壁。

 風が絶え間なく吹き抜け、旗がはためく音だけが闇の中を渡っていった。

 王都の灯は霧の向こうにぼんやりと瞬き、まるで誰かが遠くで息をしているように、かすかに明滅している。


 人の気配はない。

 見張りの兵すら引き上げたこの高みには、風と石と、そして沈黙しか存在しなかった。


 それでも――何かがそこに「息づいて」いた。

 空気の奥に、目には見えぬ律動が潜んでいる。

 風のうなりの合間、耳を澄ませば、微細な震えが鼓膜の裏で脈打つ。


 その正体を知る者は、まだ誰もいない。

 ただ、王城の夜がどこか呼吸をしているように感じられた。


 夜霧が、王城の外壁をゆっくりと飲み込んでいた。

 その中を、一つの影が静かに歩いていく。


 ルーク――。

 彼の足音は、霧と風のあいだで溶けるように掻き消え、ただ外套の裾がはためく音だけが残った。

 雲に隠れた月が、時おり薄くその輪郭を照らし出す。だが、顔までは決して明らかにしない。


 彼は外壁の縁に立ち、遠く王都の方角を見下ろす。

 無数の灯が、霧の底で淡く瞬いている。生きている都市の鼓動。だが、それすらもどこか遠い。


 風が吹き上げ、外套の裾が大きく翻った。

 そのたびに、腰のあたりで小さな金属音が鳴る。

 ――澄んだ音。それは、静寂の中に落とされた一滴の始まりのようだった。


 世界は、息を潜めていた。

 まるで「何かが動き出す瞬間」を、永遠に待っているかのように。


 ルークは、静かに懐へ手を差し入れた。

 指先が触れたのは、冷たい水晶の感触――掌に収まるほどの小さな球体。


 それを取り出すと、夜霧の中で淡い青の光が灯った。

 球体の内部には、蜘蛛の巣のように張り巡らされた魔力回路が脈打つように走っている。

 薄く、規則的な鼓動のような波動。

 ――その波長を、ルークは知っていた。


 模型の“爆心”と同じだ。

 あの夜、兄と向き合った机の上で、赤く滲んだ光。

 それとまったく同じ周波を、この小さな装置が発している。


 彼は手の中でそれをゆっくりと転がし、微かな笑みを浮かべた。


 > 「青は静止、赤は鼓動。……あの人が言った通りだ。」


 風が再び、外壁を吹き抜ける。

 その一瞬、光が揺れた。

 青が、赤へ。

 霧の中で、脈動するように一度だけ――生き物の心臓が息を吹き返したかのように。


 ルークの掌の上で、それは確かに“呼吸”をした。

ルークの指先が、装置の中央にある小さな突起をなぞった。

 わずかに盛り上がった円形――明らかに“押す”ための形。

 ほんの一押しで、回路のすべてが目を覚ますのだと、彼は理解していた。


 風が外套を叩き、霧が足元を這う。

 世界は、ただその一点――ルークの指先の動きに呼吸を合わせているようだった。


 押せば、何かが始まる。

 押せば、終わりが訪れる。


 だが、指は動かなかった。

 ルークの瞳が、淡い赤光を映したまま静止する。

 その表情には迷いよりも、待機する知性の静けさがあった。

 まるで、舞台の幕が上がる“正しい瞬間”を、正確に測っているかのように。


 彼は、低く呟いた。


 > 「……まだだ。まだ“心臓”は目を覚ましていない。」


 言葉は風に紛れ、闇の中へと溶けていった。

 恐れではない。ためらいでもない。

 それは――計画の鼓動を、まだ早すぎると知る者の声だった。

 ルークは、装置を掌の中でひと呼吸ほど見つめたのち、静かに懐へ戻した。

 魔力の微光が布の奥に沈み、外壁の上に再び夜の闇が戻る。


 彼は欄干に片手を置き、視線を王都の方角へ落とした。

 遥か下、霧の切れ間に浮かぶ無数の灯火――それはまるで脈打つ心臓の血管。

 家々の灯が細くつながり、街路が赤い線のように夜を走る。


 ルークの口元が、わずかに歪む。

 笑みというより、計算が整ったことを確認する者の表情。

 そこに情動の影はなく、ただ冷ややかな確信だけがあった。


 「彼の笑みは、迷いか確信か。

>  ただ一つ確かなのは――その夜、王都の空がわずかに震えたということだけ。」


 風が霧を裂き、静かな震動が空気をかすかに撫でていく。



 高い城壁の上、ひとり立つルークの影。

 その背後、夜霧の層の中を、一筋の赤い波長がゆらりと漂い――

 まるで、目に見えぬ鼓動の予兆が空を這うようだった。


 夜は完全に落ちていた。

 王城を包む霧は海のように濃く、その上に浮かぶ尖塔群が、まるで沈みゆく巨船の帆のように影を落としていた。


 音はない。

 風も止み、旗も揺れず、世界そのものが呼吸を忘れたかのよう。


 ――その時。


 上空、霧の裂け目で赤い光が一度だけ瞬いた。

 音も閃光も伴わず、ただ一点の光が空を染め、消える。

 けれど次の瞬間、空気がかすかに震えた。

 耳で聞こえるのではない。皮膚の裏側で感じる、極めて微細な共鳴。


 それが何の合図なのか、誰にも分からない。

 信号か、警告か、それとも――心臓の鼓動なのか。


 「爆薬は、どこにも“存在しない”。

   だが、城そのものが――その代わりになりつつあった。」


 霧が再び閉じ、赤光は完全に飲み込まれる。

 残るのは、沈黙だけ。

 それはまるで、眠れる獣が初めて息を吸い込んだ直後のような、深い静寂だった。


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