不意の発見 ―「残された紙片」
夜明け前の王城は、まだ眠っているように静まり返っていた。
封鎖が続く廊下を抜け、アランはわずかな灯りだけを頼りに歩を進める。
目的地は――弟ルークの私室。
扉を押し開けた瞬間、わずかな空気の揺れが頬を撫でた。
長く人の出入りがなかった部屋の匂い。
薄明の光がカーテンの隙間から差し込み、細かな埃が銀色の粒となって漂っている。
机の上は、まるで展示室の一角のように整えられていた。
筆記具は一本一本、角度まで揃えられ、書物の背表紙も均等に並んでいる。
それは几帳面を通り越した「意図的な整然」――
何かを隠すための“秩序”のように見えた。
アランはその違和感に眉を寄せた。
背後から、付き従う侍従が低く囁く。
侍従:「殿下……、ここは、よろしいのですか。」
アランは一瞬だけ振り返り、淡々と答える。
アラン:「今さらだ。――あいつは、すでに“鍵”を握っている。」
言葉の意味を測りかねて、侍従は口を閉ざした。
アランは机に歩み寄り、静かに引き出しを開けていく。
一段目、二段目――書簡と記録帳ばかり。
だが、最下段の奥で、指先が「違う感触」を捉えた。
硬い木板の裏、わずかに浮いた縁。
息を殺して押し込むと、カチリと音がして板が外れる。
現れたのは、黒く焦げた羊皮紙の束だった。
かすかな魔力の残滓が、焼け跡の周囲で鈍く脈打っている。
アランは慎重に紙束を持ち上げた。
その指先に伝わるざらりとした質感が、なぜか心を冷たく締めつける。
「……やはり、隠していたか。」
微かな呟きが、埃の舞う静寂に吸い込まれていった。
紙束を広げた瞬間、空気が変わった。
古びた羊皮紙から立ちのぼる焦げの匂い。
わずかに触れるだけで、指先に粉のような灰がこぼれる。
封筒の表面には、薄く掠れた文字が残っていた。
『魔力波形制御理論/記録抄』。
アランは無言で封を切り、慎重にページを繰っていく。
数式と波形図が連なり、行間には精密な注釈が書き込まれていた。
魔力の流れを「音」として捉え、特定の周波数で制御する――
それは、爆薬を“起こす”理論そのものだった。
ページをめくる指が、ある箇所で止まる。
末尾に、明瞭な筆跡で署名が記されていた。
『研究記録:第四王子クロヴィス・エルデン』
侍従が、息を呑む音を立てた。
侍従:「クロヴィス殿下……! 亡くなられた“学術の王子”の……?」
アランはゆっくりと頷く。
彼の視線は紙面に釘付けのまま、声を発しない。
だが次のページに進んだ瞬間、その無表情にかすかな影が差した。
クロヴィスの記述の下――追記のように刻まれたもう一つの署名。
『試作監修:L・E』
その筆跡を見つめるアランの瞳が、わずかに揺れる。
唇が動き、かすれた声が漏れた。
アラン:「……ルーク・エルデン。」
その名を口にした途端、室内の静寂がひときわ深く沈む。
窓の外で風がわずかに鳴り、机上の紙片が一枚、音もなく舞い上がった。
灰を含んだその紙片は、ゆっくりと落ちて、アランの足元で静止する。
そこには――赤くにじんだインクの一点。
まるで“心臓”のように、今もなお脈打っているかのようだった。
部屋の空気が、急に重たく沈んだ。
窓の外の光はまだ淡く、朝とも夜ともつかない灰色の時間。
その曖昧な静けさの中で、アランはページの上に視線を固定したまま、息をすることさえ忘れていた。
胸の奥に、冷たい理解が走る。
それは理屈ではなく、感覚として突き刺さる確信。
「ルークは――“先人の研究”を継いでいた。」
ただ学び、敬意を抱いていたわけではない。
彼は“再現”していたのだ。
亡きクロヴィスの理論を、現実に蘇らせるために。
アランの指先が、紙の上でわずかに震える。
クロヴィスの筆跡と、ルークの署名が並ぶその光景は、まるで二人が時を越えて机を並べていたかのようだった。
死者と生者、師と弟子、理想と狂気――それらが一枚の羊皮紙の上で共鳴している。
ページの端に残る焼け跡が、静かに黒く滲んでいくように見えた。
アランは小さく息を吸い込み、目を閉じた。
瞼の裏に浮かぶのは、かつて少年だったルークの姿。無邪気に機構を分解し、光を宿した眼で未来を語っていたあの顔。
――あれが、“模倣”ではなく“継承”の始まりだったのか。
冷たい汗が背を伝う。
理解すればするほど、その“才能”が恐ろしく思えた。
そして何より、弟がいまどこまで踏み込んでいるのか――その答えを、知るのが怖かった。
「死者の理論と、生者の手が結ばれた時――
王城は、沈黙のまま呼吸を始めた。」
ナレーションが終わると同時に、室内の空気がふっと震えた。
微かな風もないのに、机の上の羊皮紙がかすかに揺れる。
――チッ。
魔導灯が一度、青白く明滅した。
まるで、その名が呼ばれたことに応じるかのように。
アランは反射的に顔を上げた。
光はすぐに安定を取り戻したが、先ほどまで均質だった明かりの色が、どこか赤味を帯びている。
羊皮紙の端に、熱を帯びたような影が落ちていた。
彼は手を伸ばし、灯に手をかざす。
だが、そこに魔力の流れは感じられない――“感じられない”というそのこと自体が、不気味だった。
沈黙。
そして、ゆっくりとした鼓動のような微かな光の脈動。
王城の片隅で、まだ見ぬ何かが目を覚ましつつある。




