伏線 ― 「歪んだ記録」
城の封鎖から数時間後。
情報部の地下保管庫は、静寂の底で淡く光を放っていた。
魔導記録板が整然と並ぶその光景は、まるで無数の“記憶”が息づく墓標のようだった。
若手分析官は、ひとつの端末の前で固く息を詰める。
冷たい光が彼の頬を照らし、画面に映る波形が微かに揺らめいた。
「……変だ。取引記録の符号タグが重なってる。」
指先が震える。
解析の波形は二重構造を描き、まるで別の意志が上から塗り重ねたように歪んでいた。
一見すれば整合した記録。しかし、深層層を解析すると――
そこには、もう一つの署名コードが潜んでいる。
「上書き……? いや、違う。誰かが“模写”してる。」
魔導署名特有の波形リズムがわずかにずれている。
それは単なる偽造ではない。“本物”の魔力波形を読み取り、魔導筆跡そのものを再現した精密な模写――王家の技術にも匹敵するほどの精度だった。
分析官の喉が、ごくりと鳴る。
光に照らされた彼の目に映っていたのは、“真実”ではなく、“何者かが作り上げた真実”の影だった。
保管庫の奥で、記録板がひとつ、ぱちりと音を立てる。
静かな空間に、その音だけが異様に響いた。
――真実が歪む音。
局長が無言のまま、モニターの前に歩み寄った。
その表情には焦りも驚きもない。あるのは、長年の経験が導き出す“危険の匂い”を嗅ぎ取った者の直感だけだった。
画面に映るのは、王弟ルークの魔導署名。
筆跡の形、符号の流れ、波形の構造――どれを取っても完璧に本人のもの。
だが局長の目は、ある一点に釘づけになっていた。
「……おかしいな。筆圧と魔力波の位相が一致していない。」
低い声が、保管庫の静寂を裂く。
若手分析官が端末を操作し、署名部分の波形を拡大する。
そこに現れたのは、極微な“ずれ”。まるで時間の層を無理やり重ねたような歪み。
「魔導筆跡模写……そんな高度な偽装、できる者は限られる。」
局長の言葉に、若手分析官は乾いた唇を噛みしめながら答えた。
「誰かが意図的に重ねています。ルーク殿下を――犯人に見せるために。」
言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が凍りつく。
魔導灯の炎がわずかに揺らぎ、壁に映る影が歪む。
誰も動かない。
ただ、記録盤の上で光る符号が、冷たく瞬きを続けていた。
――それは、誰かの意思が“真実”を描き直している証だった。
その瞬間、保管庫の奥――封印区画の扉が、ひとりでに“音もなく”開いた。
金属が擦れる気配すらない。まるで空気の向こう側が、静かに割れたようだった。
振り返った分析官たちの視線の先に、
白い薄衣をまとった女が立っていた。
カミラ――王宮顧問にして、“設計”理論の監査者。
彼女の足元には、魔導灯の光が届かず、影が揺らめいている。
「カミラ殿……なぜここに?」
局長が息を呑む。
保管庫は王命なくして入室できないはずだった。
だが、彼女は答えずに、静かに中央の記録盤へ歩み寄る。
指先をかざすと、データの符号がわずかに反応した。
淡い光が波紋のように広がり、室内の壁面がわずかに震える。
「あなた方の解析は正しい。」
その声は囁きのように柔らかく、それでいて、空間そのものに響くようだった。
「けれど――その偽装を施したのは、人ではありません。」
若手分析官が思わず顔を上げる。
言葉の意味を理解できず、唇が震える。
「……人では、ない?」
カミラはわずかに微笑んだ。
だがその瞳の奥には、冷たい諦念が宿っていた。
「“設計”が、自分を守り始めたのです。」
静寂が落ちる。
魔導灯が一つ、ぱちりと弾けた。
その瞬間、保管庫全体の空気が重く沈み、
まるで“何か”が目を覚ましたかのようだった。
光と影の境目で、彼女だけが動かずに立っていた。
まるで“真実”の側に立つ者ではなく、
“構造”そのものの代弁者のように――。




