情報部の発見 ― 「裏の記録」
王都情報局の地下階――解析室。
昼夜の区別もないこの部屋では、魔導水晶の淡い青光だけが唯一の時を示していた。
無音に近い空間に、規則的な魔力波形の音だけが響く。
若手分析官の指先が水晶盤の上を走る。
ふと、ひとつの波形が不規則に跳ねた。
「……あれ?」
指を止め、再生を巻き戻す。
波形の中に、微かに異なる魔力の層――二重の送金経路。
そのひとつが、王族資金監査の監視網を迂回していた。
「主任、これ……」
隣の主任分析官が顔を寄せ、水晶盤を覗き込む。
ルーク殿下の研究費名義。だが、裏に小さく“別の転送アドレス”が刻まれている。
主任の目が細まる。
「裏商会の符号パスだ。王家の資金が……民間の黒市場を経由してる?」
若手分析官が震える指で別の層を展開する。
交易明細が青白く浮かび上がり、そこには見慣れぬ単語が並んでいた。
《硝石》
《符文触媒(第Ⅱ級)》
「……これ、表向きは鉱石供給契約。でも実際には――硝石の密輸ルートです。」
声が、室内の空気をひとつ分割した。
主任が息を吸い込み、即座に追加照合を行う。
結果が出るまでの数秒が、異様に長く感じられた。
そして――。
「送金先、確認できた……議会派の……失踪者の名義だ。」
若手が硬直する。
主任の喉が、ごくりと鳴った。
「……死人の名前を使ってるのか?」
「いえ、送金時点ではまだ“失踪扱い”です。」
短い沈黙。
魔導盤の波形が、ゆっくりと揺らめく。
それはまるで、何かが息を潜めて見ているようだった。
青白い光が、二人の顔を冷たく照らす。
部屋の空気が急速に凍りついていくのを、誰も止められなかった。
――この瞬間、“疑念”という名の火が、静かに灯った。
静寂。
魔導盤の青白い光だけが、沈黙の部屋を切り裂いていた。
主任の手が、最終行の符号列をなぞる。
そこには、微細な魔力の揺らぎ――王族しか持たぬ“個人印章コード”が刻まれていた。
それは単なる署名ではない。
魔力の波長、脈動、そして意識の癖までもが刻印された、“存在そのものの印”。
「まさか……」
若手分析官が、喉の奥で何かがひっかかったような声を漏らす。
震える指先が、光の列を指し示した。
「これ……殿下の署名が入ってます。」
誰も動かない。
空気が、まるで凍りついたようだった。
主任が口を開きかけて閉じる。その代わりに、重い足音が響く。
扉の向こうから、情報局長が現れた。
冷徹な灰色の瞳が、盤面を一瞥する。
そして、わずかに目を伏せた。
――ほんの一秒だけ。
それは“疑念”を飲み下すための、短すぎる沈黙だった。
「……この件は外部に漏らすな。」
低く、命令が下る。
「即時、極秘報告書を作成。魔力封印階級“紅”で提出だ。」
分析官たちが一斉に動き出す。
音もなく水晶盤が光を増し、文字列が報告書の形を取っていく。
淡い光の帯が、暗闇の中で流れるように文字を紡ぎ出す。
それは、美しかった。
整然とした文字列が次々と浮かび上がり、封印の呪文が結ばれる。
しかし、その美しさは――冷たく、無慈悲だった。
封印完了の印が、鈍い音を立てて盤面に沈む。
局長はその光を一瞥し、静かに呟いた。
「……この署名が“真実”であることを、願おう。」
室内に、誰の息遣いもなかった。
ただ、記録された魔導署名だけが淡く脈打ち続けていた。
まるで、それ自身が何かを主張しているかのように――。
報告書の最終封印が施されると同時に、局長は魔導端末へ手を伸ばした。
送信先は王宮回線――王太子アラン直轄の通信層。
光の符が一列に並び、魔力回路が静かに唸りを上げる。
「送信、開始。」
淡い青光が線となり、宙を走る。
その刹那だった。
――ノイズ。
かすかな干渉波が、報告波形に重なった。
ほんの一瞬、しかし確かに、異なる魔力の律動が紛れ込む。
「……何だ?」
若手分析官が慌てて波形を拡大する。
モニター上の魔力層が、ゆらりと歪んだ。
解析タグが瞬時に浮かび上がる。
発信元――王城内・補佐官詰所。
ルーク殿下直属の通信端末。
室内の温度が、一気に下がったように感じられた。
「誰かが、こちらの動きを察している。」
分析官の声が、かすれた。
だが局長は、すでに全てを理解していた。
画面を見つめたまま、短く、低く呟く。
「……速いな。やはり、見ているか。」
わずかに目を細め、手を止めることなく符号列を再入力する。
封印を二重に、経路を三重に。
干渉を振り切るように、魔導波が唸りを上げて加速する。
光が一点に収束し、送信完了の印が浮かび上がった。
局長は息を吐くこともせず、その光が消えるのを見届ける。
報告書は、王太子アランの手元へ――。
その瞬間、魔導盤の残光がゆらめき、
まるで何者かが“こちらを覗き込んでいる”かのように、
淡く、ひどく静かに、震えていた。
報告を終えた情報部の解析室には、静寂が戻っていた。
だが、その静けさは休息ではなく、嵐の前の呼吸のようだった。
机上の魔導端末が微かに熱を帯び、淡い光が脈打つ。
若手分析官はその光を見つめたまま、かすれた声で呟いた。
「……これが、真実なんでしょうか。」
彼の目には、不安と迷い、そしてわずかな希望が入り混じっていた。
真実を掴んだという誇りよりも、それを掴んでしまった恐れが勝っていた。
局長は、端末を閉じる手を止めずに答える。
「真実とは、誰が最初に掴んだかで決まる。」
その声音には、確信でも正義でもない、
ただ長い年月を情報の海で生き延びてきた者の“疲労した現実”が滲んでいた。
光を放つ文字列が、ゆっくりと消えていく。
残されたのは、書類でも報告でもなく、
ただ“疑念”という名の火種だけ。
やがて、魔導端末の熱が冷めると同時に、
その火種は目に見えぬまま城中へと広がっていった。
「光を放つ文字列は、もはや記録ではなかった。
それは“疑念”という名の火種。
この夜、王城は静かに――燃えはじめた。」




