「残る二つの座」
月光の落ちる階段を、アランは一段ずつ確かめるように登っていた。
石の手すりはひどく冷たく、触れた指先がそのまま現実を確かめるための境界のように思えた。
塔の上へ行くたびに、音が消えていく。
自分の足音さえ、世界から切り離されていくように。
扉の前で一瞬、呼吸を整える。
錆びた蝶番が軋み、扉を押し開けると――夜風が音もなく彼を包んだ。
展望の間。
王都の全てを見下ろす高さ。
ここから見える灯は、いくつもの小さな呼吸のように、夜の底で瞬いていた。
だが、その明滅には生の気配がなかった。
まるで、誰かの意志によって律動する巨大な機構の心臓――。
アランは無言で、その光景を見つめた。
「この国の夜は静かだった。
だが、その静けさの底では、確かに何かが動いている。」
風がゆるやかに流れ、マントの裾が翻る。
彼の影が月光の中でわずかに揺れ、
その背に映る王都の灯が、脈を打つように淡く滲んだ。
アランの瞳は冷たいが、その奥にはわずかな光がある。
それは希望ではなく、確信の色。
――この沈黙の下で、何かが確かに“形”を取り始めているという確信だった。
彼は塔の縁に歩み寄り、両手を欄干に置く。
月光が白く手の甲を照らす。
その光の向こうで、王国のすべてが眠りについているように見えた。
しかし、アランは知っている。
この静寂は、終焉の前触れだと。
「夜は静かだ。けれど沈黙の底で、
“設計”が息をしている。」
彼は目を閉じた。
そして、風の中でただひとつ――かすかな心音のような鼓動を聞く。
それが、まだ目に見えぬ“王冠”の呼吸であることを、
アランは理解していた。
アランは塔の縁に立ち、
冷たい風を受けながら王都の光を見下ろしていた。
街は深い眠りの底にあり、
その灯りはまるで、誰かが描いた図面の線のように整然と並んでいる。
静寂の街――それは今や“生きた設計図”だった。
アランの視線は遠く、塔の影の向こうへ。
そこにはきっと、もう一人の王――ルークが同じ夜を見上げているはずだ。
互いに触れぬ距離で、同じ光を見つめ、同じ沈黙の中に立っている。
胸の奥で、何かがかすかに軋む。
それは迷いではなく、問いの形をした痛みだった。
「王家の“理性”と“狂気”、
どちらが王座に辿り着くか……。」
その言葉は、風の中で形を失っていく。
夜気に溶け、塔の石壁を滑り、どこにも届かないまま消えた。
だが、アランにはわかっていた。
この問いを飲み込んだのは夜ではない――
塔そのものが、答えを持たぬまま沈黙を選んだのだ。
風が止む。
時間が凍りついたような静寂の中、
アランはただ立ち尽くす。
そして、
遠くの王都の灯が――まるで心臓の鼓動のように、一度だけ脈打った。
遠くで、王都の鐘が鳴った。
一度。――低く。
二度。――重く。
そして三度目に、わずかな間を置いて響く。
その音は、時を告げるよりもむしろ、
何かの“始まり”を静かに宣告しているようだった。
アランはゆっくりと視線を落とす。
足元、塔の縁から落ちる影が、月光に照らされて地上へと長く伸びていた。
夜風が吹くたびに揺れ、その黒が石畳の上で微かに震える。
ふと――その影が、二つに分かれた。
一本は王都の中心、玉座の方角へ。
もう一本は、外縁の暗い区画、誰も知らぬ闇の中へ。
アランは息を止める。
光が変わったわけではない。
塔が動いたわけでもない。
「塔の影が裂けたのではない。
運命の線が、静かに分岐したのだ。」
風が一層冷たくなる。
鐘の余韻が、遠くで溶けていく。
アランはその影を見届けるように、ただ目を細めた。
その瞳に宿る光は、決意ではなく“覚悟の観測者”のもの。
やがて、塔の上に再び沈黙が戻る。
それは夜の静寂ではなく――
王冠が次に誰を選ぶのかを見届ける、“設計の呼吸”そのものだった。
夜の王都は、深い呼吸を忘れたように静まり返っていた。
高塔の上、アランはただ一人、闇に沈む街を見下ろしている。
月光は薄く、風は音もなく。
遠くで、最後の鐘が――ゆっくりと、確かに鳴った。
「残る王は、二人。
どちらかが立てば、どちらかが消える。
“設計”が描いた最終の座標――
それは、玉座に他ならなかった。」
その言葉は声ではなかった。
胸の奥で、確信として形を持った思考。
理性の終着点であり、狂気の起点でもある“真の中心”。
風が塔を抜け、アランのマントを揺らす。
その黒い影が地へと落ち、
やがて――二つに裂けた塔の影と重なった。
まるで、運命がその一致を待っていたかのように。
月が雲に隠れ、世界がわずかに暗くなる。
光の消えた瞬間、王都の灯がひとつ、またひとつと瞬きを止めた。
そして最後に、完全な沈黙。
「設計の終幕は、いよいよ“玉座”に到達しようとしていた。」
風も止まり、夜そのものが息を潜める。
まるで――この国が、次の“王”の名を待っているかのように。




