「同じ波長」
情報局・魔導解析室。
淡い照明が、無数の水晶盤の表面を静かに照らしている。
音はほとんどなく、魔導波形の律動だけが、呼吸のように室内を満たしていた。
誰も声を上げない。
――“事実”を発見することが、最も恐れられている場所だった。
技師Aは、薄青く脈打つ水晶盤に目を凝らしていた。
前夜、議会派議員の失踪直前に発せられた通信波形。
その記録を解析していた彼の手が、不意に止まる。
「……おかしいな。これ、重ねてみてください。」
隣の技師Bが別の記録を呼び出す。
画面上に、二つの波形が並ぶ。
一つは議員の最後の通信――そしてもう一つは、王宮からの定期通信として登録された波形。
送信元は、ルーク殿下の私室。
波形が重なった瞬間、二人は息を呑んだ。
完全な一致。誤差は、魔導理論上ありえないはずの“ゼロ”。
「……見てください、この波形。振幅が完全に一致してる。」
Bが低く言う。
Aは喉を鳴らしながら、もう一度数値を確認する。
結果は変わらない。
「偶然じゃない……同期型の魔導信号です。」
「……同期型?」
「はい。つまり、同一の“意図”で生成された信号――命令を送る側と、応答する側が同一設計式を使ってる。」
沈黙。
Aが小さく息を吐いた。
そして、口の中で絞り出すように言った。
「……これ、爆薬起動装置と同じ……波長ですよ。」
空気が凍った。
魔導盤の微かな唸りだけが、現実を保っているかのように響く。
二人はしばらく互いを見た。
その視線の中には、理解と恐怖が同居していた。
Bが、震える指で報告書の作成を始める。
だがその瞬間、通信端末の上に“自動更新”の表示が現れる。
画面が一度暗転――再点灯した時、報告データのウィンドウは消えていた。
「……あれ? 今、保存したはず……」
Aが慌ててログを遡る。
だが、ファイル名も、作成記録も、バックアップも存在しない。
まるで最初から――なかったかのように。
室内の光が、ひとつ、またひとつと落ちていく。
通信回線が自動遮断され、解析室は沈黙に包まれた。
青く残った水晶盤の残光だけが、静かに明滅する。
「証拠は、記録の中で最も静かに殺された。」
そしてそのとき、誰も気づかなかった。
その光の脈動――波長の端に、微かに刻まれていた“王冠の符号”に。
技師AとBは、震える手で次々に報告内容を打ち込んでいった。
数値の一致、波長の照合結果、通信源の特定――
どの項目も、王族に関わる機密としてはあまりに危うい。
それでも彼らは、記録を“残さなければならない”と信じていた。
「……よし、これで送信します。」
Aが確認のために端末を操作する。
宛先は情報局上層、暗号封印済み。
Bが頷き、送信キーに指を伸ばした――その瞬間。
端末の水晶盤に、淡い光が走る。
《システム更新を開始します》
という文字が、無機質に浮かび上がった。
「……更新? 今じゃない、手動にしたはず――」
画面が一瞬、暗転。
解析室の照明も、同時にわずかに明滅する。
魔導波が干渉したのか、全ての水晶が一拍遅れて再起動した。
「よし……戻ったな。」
Aが息を吐きながら端末を覗き込む。
だが、表示されたフォルダには――何もなかった。
「……え? 今、保存したはずだろ……」
彼の声が、静かな室内に吸い込まれる。
ファイル名も、バックアップログも、アクセス履歴さえも消えている。
どこを探しても、データの影ひとつ残っていなかった。
Bが震える声で呟いた。
「……最初から、存在しなかった……みたいだ。」
室内を流れる空気が、急に重くなる。
水晶盤の表面に映る二人の顔が、青白く歪む。
その青光だけが、何かの“意志”のように――微かに脈動していた。
地の文:
「記録は、記録そのものによって消された。
まるで“見えない監視者”が、手を伸ばしたかのように。」
「局長に報告を――」
技師Aが慌てて通信端末へ手を伸ばした、その瞬間。
端末の水晶がひとりでに淡く光り、短い電子音を立てて――
通信回線が自動的に遮断された。
「……何だ? ロックが――勝手に……?」
Bが顔を上げるが、返答の代わりに、
室内を満たしていた青い光がひとつ、またひとつと静かに消えていく。
水晶盤の列が連鎖的に沈黙し、
やがて残るのは、解析室の中央にある一枚の記録盤のみ。
その盤もまた、ゆっくりと光を失い――
最後に、かすかな呼吸のような“ノイズ”だけを残して消えた。
沈黙。
まるで誰かが、記録の中から“証拠”だけを摘み取ったかのように。
技師Aの喉が、乾いた音を立てた。
彼はまだ端末を握ったまま、動けない。
「証拠は、記録の中で最も静かに殺された。
その死には音も痕跡もなく、ただ“設計”の意志だけが残った。」
青光の消えた室内で、唯一残るのは――
データが消える直前に表示されていた波長の残像。
それは、確かに見覚えのある形をしていた。
爆薬起動装置と同じ――、そして“王冠”の波長と完全に一致していた。
「……波長は、嘘をつかない。」
「――王冠の起動は、すでに始まっている。」
再び訪れた沈黙の中、
魔導解析室の空気だけが、わずかに震えていた。
それは“証拠”ではなく、“予告”のように。




