二人だけの晩餐 ― 「残る王冠」
王都の鐘が、十度、静かに夜を打った。
その余韻が石壁に染み込むように消えていく。
王城の大食堂は、今夜も不自然なほどの静寂に包まれていた。
百人が座れる長大な食卓。
だが、席にいるのは二人――アランとルークだけ。
他の席は黒い喪布で覆われ、蝋燭の灯がその布地を淡く照らしている。
ゆらめく光が銀器に反射し、壁へと長い影を伸ばす。
まるでこの広間そのものが、王家の死を祀る祭壇になったかのようだった。
アランは手元のワインを静かに注いだ。
液体が赤い線を描いてグラスに満ちていく。
その音さえも、広間の空気に吸い込まれ、形を失っていく。
ルークが微笑を浮かべ、軽く肩をすくめた。
「兄上が疲れたら、僕が王になりますよ。……冗談ですけど。」
その声もまた、壁に吸われるように消えていった。
広い食堂の中央で、ただナイフとフォークが皿を叩く音だけが残る。
アランはフォークを置き、わずかに息をつく。
遠くの蝋燭が弾け、短い火花が飛んだ。
その光が、一瞬だけルークの横顔を照らす。
無邪気な微笑――
だが、その奥に潜む何かが、アランの目に引っかかった。
長すぎる食卓は、もはや“儀式の台”に見えた。
まるで、王家の残された二つの命を天秤にかけるように。
沈黙が、死者の名を呼ばぬまま、二人の間に座っていた。
ルークがフォークを置き、軽く微笑んだ。
「兄上が疲れたら、僕が王になりますよ。……冗談ですけど。」
言葉の端に、柔らかな笑みが乗っていた。
だがその声には、軽口にしては“深すぎる響き”があった。
それは冗談では済まされない、何か確かな意志の残響。
アランは笑わなかった。
ただ、手にしたグラスをゆっくりと傾け、赤い液面越しに弟の顔を見つめる。
光が揺れ、ワインの色がルークの瞳を染めてゆく。
沈黙が二人の間に落ちた。
外では風が鳴り、どこか遠くで衛兵の槍が鳴る音がした。
蝋燭のひとつが小さく“コッ”と弾け、火の粉が瞬く。
その刹那、アランは見た。
ルークの瞳の奥に――
理性でも、恐怖でも、忠誠でもない、別の何かが光っているのを。
それは、信仰にも似た確信。
あるいは、もはや人の理屈を超えた“王の運命”を信じる目だった。
アランの喉がわずかに鳴る。
だが言葉は出ない。
沈黙だけが、この晩餐の真実を物語っていた。
その目は、恐怖を知らなかった。
そして、王冠を戴くことを――“宿命”として受け入れているように見えた。
アランは、息を潜めるようにルークの瞳を見つめた。
蝋燭の灯がわずかに揺らぎ、その瞳の奥で光が反射する。
静寂の中で、時間だけが音を立てて流れていく。
――あの目は、恐怖を知らない。
理性では測れない“何か”を信じている目だ。
胸の奥で、鈍い痛みのような違和感が広がる。
それは怒りでも不安でもない。
むしろ、冷たい確信の始まりに似ていた。
かつて、彼が兄弟の中で最も柔らかく、誰よりも人間らしいと思っていたその少年の瞳に――
今、人の輪郭ではないものが宿っている。
(まさか……)
アランはグラスを静かにテーブルへ置いた。
音が、広間にひとつだけ響く。
(ルークは、この“設計”を知っているのか?)
その考えが浮かんだ瞬間、背筋に氷のような感覚が走った。
まるで誰かが、その思考を覗き込んでいるかのように。
蝋燭の灯が再び揺れ、ルークの微笑を淡く照らす。
その笑みは――まるで、自分の推論を肯定するように見えた。
ルークは、何も言わなかった。
ただ、静かに――まるで呼吸するように笑った。
その笑みは、どこまでも穏やかで、透き通っていた。
だが同時に、それは“人の感情”という枠から、ほんのわずかに外れていた。
温度がない。
悲しみも、喜びも、存在しない。
ただ、完璧な形だけがそこにある。
背後の喪布がふと揺れる。
風もないのに、黒い布が波のように震え、二人の間に影を垂らした。
その影が、テーブルの中央で重なり合い――まるで、見えない何かが“線”を引いているようだった。
アランは動けなかった。
言葉を失ったのではない。
この沈黙そのものが、言葉より雄弁に「何か」を告げていたからだ。
彼の目の前で、ルークの微笑がわずかに深くなる。
それは“理解”の笑みでも、“敵意”の笑みでもない。
ただ一つの確信――
「彼の微笑みの奥で、何かが静かに“設計”を完成させようとしていた。」
王都の鐘が、十度、静かに夜を打った。
その余韻が石壁に染み込むように消えていく。
王城の大食堂は、今夜も不自然なほどの静寂に包まれていた。
百人が座れる長大な食卓。
だが、席にいるのは二人――アランとルークだけ。
他の席は黒い喪布で覆われ、蝋燭の灯がその布地を淡く照らしている。
ゆらめく光が銀器に反射し、壁へと長い影を伸ばす。
まるでこの広間そのものが、王家の死を祀る祭壇になったかのようだった。
アランは手元のワインを静かに注いだ。
液体が赤い線を描いてグラスに満ちていく。
その音さえも、広間の空気に吸い込まれ、形を失っていく。
ルークが微笑を浮かべ、軽く肩をすくめた。
「兄上が疲れたら、僕が王になりますよ。……冗談ですけど。」
その声もまた、壁に吸われるように消えていった。
広い食堂の中央で、ただナイフとフォークが皿を叩く音だけが残る。
アランはフォークを置き、わずかに息をつく。
遠くの蝋燭が弾け、短い火花が飛んだ。
その光が、一瞬だけルークの横顔を照らす。
無邪気な微笑――
だが、その奥に潜む何かが、アランの目に引っかかった。
長すぎる食卓は、もはや“儀式の台”に見えた。
まるで、王家の残された二つの命を天秤にかけるように。
沈黙が、死者の名を呼ばぬまま、二人の間に座っていた。
ルークがフォークを置き、軽く微笑んだ。
「兄上が疲れたら、僕が王になりますよ。……冗談ですけど。」
言葉の端に、柔らかな笑みが乗っていた。
だがその声には、軽口にしては“深すぎる響き”があった。
それは冗談では済まされない、何か確かな意志の残響。
アランは笑わなかった。
ただ、手にしたグラスをゆっくりと傾け、赤い液面越しに弟の顔を見つめる。
光が揺れ、ワインの色がルークの瞳を染めてゆく。
沈黙が二人の間に落ちた。
外では風が鳴り、どこか遠くで衛兵の槍が鳴る音がした。
蝋燭のひとつが小さく“コッ”と弾け、火の粉が瞬く。
その刹那、アランは見た。
ルークの瞳の奥に――
理性でも、恐怖でも、忠誠でもない、別の何かが光っているのを。
それは、信仰にも似た確信。
あるいは、もはや人の理屈を超えた“王の運命”を信じる目だった。
アランの喉がわずかに鳴る。
だが言葉は出ない。
沈黙だけが、この晩餐の真実を物語っていた。
その目は、恐怖を知らなかった。
そして、王冠を戴くことを――“宿命”として受け入れているように見えた。
アランは、息を潜めるようにルークの瞳を見つめた。
蝋燭の灯がわずかに揺らぎ、その瞳の奥で光が反射する。
静寂の中で、時間だけが音を立てて流れていく。
――あの目は、恐怖を知らない。
理性では測れない“何か”を信じている目だ。
胸の奥で、鈍い痛みのような違和感が広がる。
それは怒りでも不安でもない。
むしろ、冷たい確信の始まりに似ていた。
かつて、彼が兄弟の中で最も柔らかく、誰よりも人間らしいと思っていたその少年の瞳に――
今、人の輪郭ではないものが宿っている。
(まさか……)
アランはグラスを静かにテーブルへ置いた。
音が、広間にひとつだけ響く。
(ルークは、この“設計”を知っているのか?)
その考えが浮かんだ瞬間、背筋に氷のような感覚が走った。
まるで誰かが、その思考を覗き込んでいるかのように。
蝋燭の灯が再び揺れ、ルークの微笑を淡く照らす。
その笑みは――まるで、自分の推論を肯定するように見えた。
ルークは、何も言わなかった。
ただ、静かに――まるで呼吸するように笑った。
その笑みは、どこまでも穏やかで、透き通っていた。
だが同時に、それは“人の感情”という枠から、ほんのわずかに外れていた。
温度がない。
悲しみも、喜びも、存在しない。
ただ、完璧な形だけがそこにある。
背後の喪布がふと揺れる。
風もないのに、黒い布が波のように震え、二人の間に影を垂らした。
その影が、テーブルの中央で重なり合い――まるで、見えない何かが“線”を引いているようだった。
アランは動けなかった。
言葉を失ったのではない。
この沈黙そのものが、言葉より雄弁に「何か」を告げていたからだ。
彼の目の前で、ルークの微笑がわずかに深くなる。
それは“理解”の笑みでも、“敵意”の笑みでもない。
ただ一つの確信――
地の文:
「彼の微笑みの奥で、何かが静かに“設計”を完成させようとしていた。」
食事は、淡々と終わった。
最後のグラスの音が静寂に溶けると、二人の間に残るのは、空虚な呼吸だけだった。
アランは椅子を静かに引き、立ち上がる。
銀の脚が床を擦る音が、広間に長く響く。
彼は言葉を交わさず、食卓の端を回ってルークの背後を通り抜けた。
その瞬間――
蝋燭の光が、ルークの手元に反射する。
目に映ったのは、小さな透明の水晶。
指先で弄ばれるように転がされ、まるで何かの“鍵”を握るように静かに光っていた。
青白い光が一瞬、ルークの頬を照らす。
その輝きは、ただの通信具とは思えないほど、鋭く冷たい。
アランの足が止まる。
言葉が喉の奥で凍りつく。
だが、彼は何も言わなかった。
一歩、また一歩――その場を離れていく。
扉が閉まる瞬間、背後でルークの指が水晶を軽く叩いた。
“コツン”――と、金属のような硬い音。
地の文:
「その微かな光が、後に王都全体を焼き尽くす“起動波”と同じ色であったことを、
この夜のアランはまだ知らない。」
蝋燭の灯が揺れ、長い影が壁を這う。
無人の席に並ぶ銀器が、冷たく光を返す。
アランは扉の前で一度だけ振り返った。
その視線の先――広大な食卓の中央に、
二つの皿だけが並んでいる。
ひとつは彼の前。
もうひとつはルークの前。
それ以外の席は、すべて空白。
黒布が覆い、名を失った椅子たちが沈黙の中に並んでいた。
ルークは微笑んだまま、動かない。
まるでこの静止そのものが、何かの“儀式”であるかのように。
アランの胸に、確かな言葉が浮かぶ。
「残る王冠は二つ。
だが、戴ける頭はひとつしかない。」
地の文:
「その事実が、沈黙の食卓を冷たく満たしていた。
そして、その沈黙こそが――この国の終わりの音だった。」




