残る二人
夜の王城は、まるで世界そのものが息を潜めたように沈黙していた。
王族専用の東廊下――かつて笑い声と足音が交錯し、未来の夢が語られた場所。
今、その長い回廊には、ただ蝋燭の炎が震え、黒布に覆われた肖像画が並んでいる。
アランは一人、ゆっくりと歩いていた。
靴音が石床を叩くたび、冷たい反響が遠くへと消えていく。
手には数枚の報告書。けれど視線は紙ではなく、何も映さぬ虚空へ向けられていた。
壁に掛けられた肖像画の列。
かつて兄弟たちが並んで描かれた絵の中には、今では皆、黒い布が掛けられている。
誕生日の夜、兄弟全員でこの廊下を歩きながら――
未来の王について、無邪気に笑い合った日々。
その記憶が、いまはこの暗い廊下の中で、冷えた影のように沈んでいた。
蝋燭の光が、彼の頬を淡く照らす。
アランは足を止め、黒布の前に立つ。
黒の下には、もう二度と会えぬ兄弟の姿がある。
指先が、布の端に触れかけ――けれど、そこで止まった。
「この廊下を通るたび、王家の声がひとつずつ消えていく音が聞こえる気がした。」
彼の心に、その言葉が静かに沈む。
生者の足音だけが、まだこの城に残っている。
そしてその音さえも、いずれ――消えるかもしれなかった。
アランは、長い廊下の中ほどで足を止めた。
蝋燭の炎がわずかに揺れ、闇に沈んだ肖像の列の中――
一枚の黒布の前で、その指先が止まる。
その下に眠るのは、第六王子アドリアン。
かつて理論と誇りを語り合った兄弟。
だが今、彼の存在は“死”という名の布の下に封じられている。
アランの指が、布の端を掴みかけた。
けれど――途中で止まる。
息を吸い、静かに呟いた。
「……まだ、終わっていない。」
その瞬間、蝋燭の炎がふっと強く揺れた。
壁に伸びたアランの影が、黒布を覆う肖像の輪郭と重なる。
それはまるで、生者と死者の境界をなぞるようだった。
沈黙の中、微かな震えが空気を走る。
城の石壁の奥から――
低く、澄んだ音が響いた。
魔力の残響。
それはアランが工房で見た、あの“王都全体の共鳴”と同じ波形。
人が死しても消えぬ、設計された鼓動。
「死の痕跡が、まだこの城のどこかで脈打っている。」
アランの瞳が、闇の奥を見据える。
王家を覆う沈黙は、ただの静寂ではなかった。
それは――“生きた沈黙”。
何者かの意思が、なおこの城を動かしている。
アランは、静まり返った廊下を抜けていった。
長い影が石床に寄り添い、蝋燭の灯が彼の背を淡く照らす。
やがて、廊下の果て――巨大なアーチ窓の前に立つ。
外は夜。
雨上がりの空に雲はなく、王都全体が穏やかな光に包まれていた。
家々の灯、街路を縁取る灯火、塔の尖端に瞬く信号灯。
それらが、ひとつの意志を持つかのように規則正しく並んでいる。
アランは無言で窓に手を触れ、目を細めた。
「……あれは、偶然ではない。」
街路の光が描いていたのは、円弧を基調とした幾何学の模様。
王城を中心に放射し、正確な角度で結ばれた光の輪。
――まるで、天に描かれた“星図”が地上に転写されたようだった。
彼は思い出す。
かつて工房で見た魔力共鳴の波形。
あの構造は、王都全体をひとつの「装置」として組み上げるための設計。
今、目の前の街がその完成形を示している。
「この国は、生きた設計図の上で動いている。」
アランの瞳が、遠く王城の中心――玉座のある塔を射抜く。
灯火の輪はそこへ収束し、まるで見えない手が“王”という一点を描き続けているようだった。
「そして、その図を描いた者は……まだ、筆を止めていない。」
夜風が吹き抜け、蝋燭の灯が消える。
廊下の闇の中で、窓の外の光だけが残り、
王都という名の“魔導陣”が、ゆっくりと脈打ち始めた。




