アランの気づき ― 「王族狩りの連鎖」
深夜の工房。
壁の時計はすでに零時を回り、長針がわずかに震えたまま止まっている。
蝋燭の光は短く、炎は細い糸のように揺れていた。
外では風が窓を叩いているが、その音さえも遠く、夢の底のように聞こえる。
アランは机に広げた紙束の前に、沈黙のまま座っていた。
眼前には二枚の図――ひとつは王家の血統図、もうひとつは王国全土の地図。
事件ごとの記録、死亡日時、現場の座標が、細かい文字でびっしりと記されている。
赤いインクの線が、幾重にも交錯し、複雑な網の目を描いていた。
アランは細いペン先で、線を一本引く。
次いで、その線を少し削り、別の角度で引き直す。
何度も、何度も。
まるで、自らの思考を実験台にかけているかのようだった。
背後の魔導装置が低く唸りを上げる。
熱を帯びた魔力の脈動が、壁を通して空気を震わせる。
しかし次第に、その振動は――心臓の鼓動のように聞こえ始めた。
「……これは、偶然じゃない。」
彼の声は、蝋燭の火よりも小さく震えた。
アランは指で、血統図の王子たちの名をなぞっていく。
第一王子、第二王子、第五王子、第六王子――
そして、それぞれの事件発生地点へ線を伸ばす。
ペンの音が止む。
アランの手が、紙面の上で静止した。
視線の先――そこに描かれていたのは、ただの線の羅列ではなかった。
幾つもの死が、まるで方程式のように配置されている。
整然と、冷徹に、ひとつの形を成すように。
「数式のように死が並ぶ。
血の順列、王権の階層、そして――選ばれた滅び。」
言葉とともに、部屋の空気がわずかに軋む。
背後の装置の鼓動が強まり、まるでこの“法則”に反応するかのように、低い音を立てた。
アランは、紙の上に描かれた線の交点を見つめた。
――その瞬間、彼の表情が固まる。
何かに“気づいた”のだ。
ペン先が震え、机の上に小さな黒い点を落とす。
その一点は、他のどの線よりも強く、深く刻まれた。
そして、彼は息を呑む。
「……この配置……まさか。」
蝋燭の炎が揺れ、机上の影がひとつの模様を浮かび上がらせる。
その形は――**古代魔導陣**の外郭と酷似していた。
アランの瞳に、光が宿る。
恐怖と理解が交錯する瞬間。
それは、設計された死の連鎖が“意味”を持つ瞬間でもあった。
アランの手は止まらなかった。
血統図の上に置かれた地図の端を丁寧に重ね、ペン先で一点ずつ印を結んでいく。
クロヴィス王子が爆死した研究施設。
エリアス王子が毒に倒れた晩餐会場。
そして、アドリアン王子が暗殺された北方の迎賓館――。
それぞれの点が、赤い線で繋がっていく。
最初はただの偶然に見えた。
しかし、線が三本、四本と重なるうちに、図は自ずと形を帯び始める。
角度、距離、方位――そのどれもが、まるで計算されたように整っていた。
アランは息を詰め、地図の中央に残された空白を見つめた。
そこには、王都の中心――王城が位置していた。
ペン先が、震える。
理性で拒もうとする思考が、胸の奥から浮かび上がる。
「……この配置……見覚えがある。」
アランは小さく呟き、書棚の奥から一冊の古い文献を引き抜いた。
厚い埃が舞い、蝋燭の炎がかすかに揺れる。
開かれた頁に記された図形は、まさに彼が描いたそれと同じ構造を持っていた。
「“オルド・レティキュラム”――
王国建国以前、封印された祭式陣……?」
その名を口にした瞬間、工房の空気が変わった。
静寂が深く沈み込み、外の風がぴたりと止む。
机上の地図を包む光が、ふと揺らいだ。
アランは無意識に地図を持ち上げ、蝋燭の灯にかざした。
薄紙越しに透けた線が、淡く、規則的に脈動する。
呼吸するように、まるで生きているかのように。
光の中で、赤い線がひとりでに繋がりを強めていく。
それはまるで“誰かの手”が、彼の思考を導いているようだった。
「……導かれている? いや、違う――最初から、設計されていた。」
アランは地図を握りしめる。
蝋燭の火が彼の瞳に反射し、炎のような光を宿す。
その視線の先で、地図の中心――王城の印が、かすかに脈動した。
まるで、“次はここだ”と告げるように。
アランは、机の上の地図を見つめたまま動かなかった。
赤い線が織りなす紋様が、まるで心臓の鼓動のように淡く光を返す。
それは偶然ではない。
誰かの意思が、何かの意図が、この国の構造そのものに指を伸ばしている。
ペン先が紙の上をゆっくり滑る。
彼は震える筆跡で、ひとつの言葉を書き込んだ。
「座」
その文字を見つめながら、アランは低く息を吐く。
声にならない呟きが、夜気に溶けた。
「狙われているのは……王家そのものじゃない。」
「“王の座”――この国の理性そのものだ。」
その言葉と同時に、ランプの炎がかすかに揺らいだ。
まるで、部屋そのものがその悟りに反応したかのように。
窓を打つ風が、一瞬だけ止まり、蝋燭の火が細く伸びて、震える。
アランは背筋を伸ばした。
音も、光も、息遣いさえもが、何かの視線に縫いとめられたような錯覚を覚える。
目には見えぬ“意志”が、彼の思考を監視している――そんな感覚。
「……誰だ。
いや、“何”が、これを設計している?」
心の底に、冷たいものが流れ込む。
理性を信じ、理屈で世界を測ってきた彼の脳裏に、初めて“恐怖”という言葉が形を取った。
それは理性の反対側にある、もっと根源的なもの――
“理解不能な設計”への恐怖だった。
ランプの炎が再び揺れ、工房の壁に映る影がふたつに割れる。
ひとつはアラン自身。
もうひとつは――誰のものとも知れぬ、揺らぐ“影の設計者”。
アランは机に額を押しつけた。
冷たい木の感触が、微かに汗ばんだ肌を撫でる。
指先が震える。
握りしめた拳の中で、爪が掌に食い込むのも構わず、彼は呼吸を殺した。
――静寂。
だがその沈黙の底で、別の声が蘇る。
あの、皮肉と好奇心を混ぜ合わせたような、少年の声音。
「もしこの城が丸ごと消えたら――面白くないですか?」
ルーク。
あの言葉が、まるで呪文のように脳裏で反響する。
彼の無邪気な笑いが、今になって背筋を冷たく撫でた。
アランの目が見開かれる。
脳裏で散らばっていた点が、音もなく結び合う。
事件の配置、血の系譜、封印された陣形――
それらが、ひとつの“設計”として姿を成していく。
「……まさか。」
「最初から、これは“儀式”として――」
言葉が終わるより早く、背後で“コツン”と音が鳴った。
壊れたはずの時計の針が、一度だけ跳ねる。
止まっていた時間が、何者かの手によって“動かされた”ように。
アランは振り返らない。
ただ、静かに息を吸い、震える声で呟いた。
「……ルーク。
お前は、何を――どこまで見ていた……?」
外では、夜風が鳴った。
その音はまるで、失われた友の笑い声が闇に混じったかのように、
淡く、どこまでも遠くへ消えていった。
アランは、動けなかった。
地図の上に指を置いたまま、ただ、そこに刻まれた線を見つめている。
円と交点、血と名。
すべてが“ひとつの形”を作り上げていた。
机の上の蝋燭が、最後の息を吐くように小さく揺れ、
やがて――音もなく燃え尽きた。
闇。
それは思考の終わりではなく、むしろ始まりのようだった。
部屋の隅で、魔導装置の残光が淡く瞬く。
その光が地図の中央――“王都”の位置を照らし出す。
光は、まるで呼吸しているかのように脈打った。
赤でも青でもない、何か不気味な“理性の光”が、静かに広がっていく。
「設計は、生きている。」
その言葉が、アランの胸の奥で形を持った。
死者の意思ではない。陰謀の残響でもない。
それは、理性そのものが“自らを滅ぼすために組まれた方程式”のようだった。
「王家の滅びを――ひとつの“完成図”として描くために。」
暗闇の中、アランの瞳が光を映した。
その目に宿るのは、絶望ではなく、理解の兆し――
そして、理性が“ひび割れる”直前の、危うい静寂。
外では、夜が更けていく。
だがその夜は、もはや“ただの夜”ではなかった。
世界が音を失い、理性が形を失う夜――
アランの中で、何かがゆっくりと崩れ始めていた。




