― 技術の闇 ―
ユリウス王子の爆発から、一週間。
王都は、沈黙の仮面をかぶっていた。
街の広場には人々の行き交う姿が戻り、店の灯もともり始めている。
だが、その光はどこか冷たく、風の中には焦げた灰の匂いがまだ漂っていた。
軍部の詰所では警備命令が再三改訂され、議会の塔では「責任」の名のもとに告発と弁明が交錯する。
そして――そのすべての中心、王族の間では、目に見えぬ緊張が確実に膨らみつつあった。
「平穏」という名の表面張力が、いまにも音を立てて弾けそうだった。
王都南区、霧の残る丘の上。
かつて学者と錬金師の夢を集めた《王立魔導研究所》の塔が、黒ずんだ残骸をさらしている。
焼け焦げた壁面にまだ薄い煤の痕が残り、崩れた天窓からは曇天の光が鈍く差し込んでいた。
静寂の中、風が吹き抜けるたびに、焦げた金属片がかすかに鳴る。
「知の殿堂」は、いまや“灰の墓標”と化していた。
場面は切り替わる。
王都北区、アランの工房。
机の上には、研究所から持ち帰った焦げ跡の資料と、光を反射する魔導結晶の欠片。
窓の外には、午後の薄灰色の空。
一見、静かな王都の午後――だが、その静けさの奥底で、何かが軋み、動き始めていた。
「設計者の影」は、確実に王家の中心へと滲み寄っている。
アランは静かに椅子を引き、記録帳の表紙を開いた。
その手つきは、理性の人間のそれでありながら、どこか、迷いを隠しきれぬ震えを帯びていた。
「――この国の理性が、またひとつ崩れた。」
蝋燭の炎がわずかに揺れ、机の上の影が長く伸びていった。
火は、夜明けまで消えなかった。
その炎は、技術と理性の結晶を呑み込み、ただの“灰”に変えた。
王都南区、《王立魔導研究所》。
未明、濃い霧を切り裂くように、爆音が空を裂いた。
地を震わせる衝撃とともに、白銀の塔が炎に包まれる。
瞬く間に夜空を焦がした光柱は、魔力の奔流を孕み、まるで“理性の悲鳴”のように渦を巻いた。
やがて爆風が王都の石畳を叩き、遠くの衛兵詰所の窓を砕いた。
炎上の中心は、第三区ラボ――クロヴィス王子の私設研究室。
研究テーマは、次代の王国を担うべき《魔力制御炉》の安定化。
その実験室が、最初に、そして完全に吹き飛んでいた。
「制御炉が……暴走したのか?」
「いや、波形が……おかしい。これは内部爆発じゃない――!」
駆けつけた警備部隊が炎の中で叫ぶ。
魔導結晶が砕ける音が耳を裂き、赤と青の光が交錯する。
焼け落ちた梁の下からは、焦げた書類片が舞い上がり、夜風に散る。
どの紙片にも、残された文字はなかった。
ただ、炭と灰の匂いだけが、研究者たちの夢の跡を物語っていた。
「データ・コアも破損。……魔力反応、完全消滅。」
報告する声が震える。
解析班が拾い上げた魔導結晶の破片は、すべて“過熱崩壊”を起こしており、記録波形の読み取りは不可能だった。
その夜の終わり、王立塔の時計は四度止まり、再び動き出すことはなかった。
焦げた鉄の匂いが王都の風に混じり、朝靄とともに街を覆っていく。
「――王家の理性が、またひとつ燃え落ちた。」
炎の残滓が空を染めながら、
王国の“知”の象徴は、静かに崩れ落ちていった。
夜明けの王都は、まだ煙の匂いを抱えていた。
王立魔導研究所の跡地では、崩れた壁の隙間から魔力の残滓が青く揺らめき、焦げた鉄と薬品の臭気が漂っている。
そこに設置された臨時調査室では、報告書と焦げた証拠物が次々に積み上げられていた。
「――確認できた遺体、四名。身元不明、三。」
「だが、名簿上では、研究員が六名……足りない。」
報告を受けた軍務省の調査官が眉をひそめる。
魔力検知装置の波形は不安定に揺れ、まるで“何かを隠している”ようだった。
失踪者の名簿には、五人の名が残る。
いずれも《第三区ラボ》の主要技術班――制御炉研究の中核を担っていた人物たちだ。
そのうち一人の名に、アランは息を呑んだ。
《セリオ・カイン》
――かつて、自分が教え、導いた若き研究員。
調査報告書の束をめくると、そこに異常通信の記録が貼り付けられていた。
爆発直前、複数の暗号化魔導信が発信されている。
宛先は不明。内容も解読不能。
「軍は議会派の介入を主張しています」
「技術奪取のために内部協力者を使ったと?」
報告官の声に、室内の空気が張り詰めた。
だが、議会側の声明はまるで鏡のように反転していた。
『軍が研究の暴走を隠すため、証拠を“消した”のではないか』
双方の声明が、炎のように互いを煽る。
一枚の報告書が机に叩きつけられ、インクが飛び散る。
レオンは沈黙していた。
軍の制服の襟元を整えながら、報告書の束を見下ろす。
彼の目には、一瞬だけ迷いが過った。
「……技術は、人を守るために造られるはずだった。」
「だが、いったん兵器に変われば、それを止める理屈など、誰も持たない。」
部下の視線を受け、レオンはその言葉を飲み込む。
軍務次官としての立場が、彼に“沈黙”を強いた。
同じ頃、アランの机上では、名簿の片隅に小さく書かれた名が滲んでいた。
“セリオ・カイン”――若くして理論魔術に長け、誰よりも研究を愛した青年。
「……彼が、消えるはずがない。」
アランの声は、誰に届くこともなく沈む。
焼け焦げた書類の上で、黒い灰が静かに崩れ落ちた。
「データの裏に、何かがいる。
誰かが、この“消失”を設計した。」
霧が再び窓の外を覆う。
見えぬ敵の影が、王都の上にゆっくりと伸び始めていた。
午前の光は鈍く、アランの私室の窓を曇らせていた。
壁に掛けられた懐中時計の針が、静かに時を刻む。
机の上には未整理の書類が散らばり、昨夜からの作業の跡がそのまま残っている。
扉が二度、控えめに叩かれた。
アランが応じる前に、扉はわずかに開き、黒い外套を羽織ったカミラが姿を見せる。
情報局の印章を隠すように胸元を閉じ、彼女は足音を立てずに入室した。
「……こんな時間に来るのは、公式な話じゃないな。」
アランの声は乾いていた。
カミラは頷き、手にしていた封筒を静かに差し出す。
「非公式ルートからの報告です。
第三区ラボの研究データ――“一部が意図的に消去されていた”形跡がありました。」
アランの眉がわずかに動く。
封筒を開き、中の紙束を指先でめくる。
焼け焦げた記録片の複写。その隙間に、人工的な“改竄痕”が浮かび上がっていた。
「単なる爆発ではない。
……何者かが、結果を“導いた”んです。」
カミラの声は冷静だった。だがその瞳の奥には、揺れる確信の光があった。
「ルーク殿下の馬車事故。
ユリウス殿下の飛行場爆発。
そして、クロヴィス殿下の研究室――」
彼女は一枚の報告表を差し出し、指先で波形を示す。
三件の事件、それぞれの魔力波形が並ぶ。
だが次の瞬間、カミラがボタンを押すと――三つの線が重なり、ひとつの形を描いた。
「まるで、違う“筆致”で描かれた同じ絵です。
……これを、ひとりの“設計者”が指示しているとしたら?」
部屋に静寂が落ちる。
蝋燭の炎がわずかに揺れ、壁に影を走らせた。
アランは唇を結び、視線を落としたまま動かない。
彼の中で、理性が警鐘を鳴らす。
だが、その理性を貫こうとするほどに、胸の奥から“名前”が浮かび上がってくる。
兄弟たちの名。
血と誇りを分け合った者たち。
「……まさか、王族の中に――」
その言葉を口にした瞬間、空気が震えたように感じた。
カミラは答えず、ただ目を閉じて頷いた。
「あなたにしか、たどれない線があります。
でも、辿る先が“血”の中にあるなら……覚悟が要る。」
彼女の声は、告発ではなく、警告だった。
アランは深く息を吸い込み、封筒を閉じる。
指先に、紙の端の冷たさが残る。
「……理性を捨てた瞬間、真実も見えなくなる。
だが今は、それでも――目を逸らすわけにはいかない。」
窓の外では、雲が王都の空を覆い始めていた。
灰色の光が、机上の波形データを淡く照らす。
「理性の探偵」は、初めてその理性に刃を向けられた。
夜は、静かに降りていた。
王都の喧噪が遠く消え、工房の屋根を雨が叩く音だけが響いている。
油の匂いと金属の残り香が混じる室内で、アランはひとり机に向かっていた。
ランプの灯りが、小さな作業台を孤島のように照らす。
彼の指先には、細いピンセットと木製のパーツ。
それらを、まるで祈るような手つきで組み合わせていく。
机の上には、建物の断面を正確に写した図面。
組み上がりつつあるのは、クロヴィス王子が研究を行っていた――
王立魔導研究所第三区ラボの精密模型だった。
「理性は、感情の上に築かれた薄氷だ。
そして今、その氷に、初めてひびが入った。」
声に出すでもなく、胸の内でそう呟く。
針のような集中が、わずかに震えた指先で揺らいでいる。
眠気も、空腹も、もう感覚としては遠い。
ただ“確かめたい”という執念だけが、彼を支えていた。
模型の中央部――クロヴィスの私室を模した小さな空間に、
アランは黒ずんだ結晶片をひとつ、そっと置いた。
それは、焼け跡の中から拾い上げた“ただの破片”だった。
だが、ランプの光を受けた瞬間――
青白い閃光が、模型全体を走った。
机の上の王立研究所が、ほんの一瞬、呼吸をするように脈打つ。
光の波形が、アランの記憶の中のデータと一致していく。
ルークの事故。
ユリウスの爆発。
そして、クロヴィスの死。
全てを繋ぐ“同一波形”。
誰かが――意図的に、同じ設計を繰り返している。
だが、その瞬間、アランの手が止まった。
指先のピンセットが音を立てて机に落ち、
彼の視線は模型の中央、青く明滅する結晶へと釘付けになる。
「……これを、世に出せば、王家が壊れる。」
理性が囁く。
だが、沈黙すれば真実もまた、死ぬ。
蝋燭の火がわずかに揺れ、模型の壁を照らす。
まるで小さな研究所そのものが、炎に包まれているかのように。
アランはその光を瞳に映し、ゆっくりと息を吐いた。
「誰が設計し、誰が壊した?
……この国は、誰の手の中にある?」
言葉は炎に吸い込まれるように消えていく。
ランプの灯が一度だけ明滅し、再び静寂が戻る。
机の上には、まだ温もりを帯びた小さな模型。
その中心にある結晶だけが、かすかに脈動を続けていた。
夜は、とうに更けていた。
工房のランプは、燃え尽きかけた命のように淡く瞬く。
机の上の模型――わずか前まで青白い魔力の光を放っていたそれは、
今は沈黙を取り戻し、ただ無機質な影を落としている。
焦げた結晶片が、冷たく光を失っていく。
木片と金属片が組み上げられた小さな研究所は、
まるで“理性”そのものの墓標のようだった。
「技術は、理性の象徴である。
だが、その理性さえも、人の“意図”に従う。
――それを操る者を、人はまだ知らない。」
アランの胸の奥で、その言葉が形を持たずに響く。
指先に残る魔力の微熱が、彼に問いを突きつけていた。
“設計”とは何だ。
“意図”とは誰のものだ。
理性は、常に誰かの手の中で形を変える。
そしていま、王国の理性そのものが、見えぬ設計図の上で歪み始めている。
ランプの火が小さく爆ぜ、
模型の光がふっと消えた。
暗闇の中、窓のガラスにアランの影が映る。
その背後――
一瞬だけ、別の影が重なった。
誰もいないはずの工房で、
空気がひときわ重く沈む。
外の通りでは風が止み、
世界そのものが息を潜めたように静まり返る。
そして――
蝋燭の炎が、最後の火花を散らして消える。
暗転。
漆黒の画面に、白い文字が浮かび上がる。
《G:設計者の輪郭》
──闇の中で、見えない手が再び線を描き始めていた。




