アランの行動 ― “独自捜査の始まり”
王宮北棟の地下――記録塔。
夜更けの王城を包む戒厳の鐘は、すでに三度鳴った。
外では雨が音もなく降り続け、地下に届くのはその鈍い振動だけ。
長い石段を降りた先、鉄の扉が静かに軋んだ。
湿った空気と、古紙の乾いた匂いが混ざり合い、蝋燭の炎がゆらりと揺れる。
アラン・フォルティスは、灯りを手にして歩みを進めた。
重厚な棚が迷路のように並ぶ記録塔――昼でさえ薄暗いその空間は、
今や、蝋燭の反射が石壁に沈黙の波紋を描くばかりだった。
棚の隙間を抜ける風が、微かに紙をめくる音を立てる。
金属と墨の匂い、記録の埃――どれも彼にとっては馴染み深いものだ。
「沈黙の王城。その最奥で、ひとりの男だけが夜を拒んでいた。」
彼は立ち止まり、手元の鍵束から一本を抜いた。
封印指定の棚の前で、わずかに息を整える。
その眼差しに宿るのは、哀悼でも恐れでもない。
理性――そして、理性の果てに生まれる執念の光だった。
石造りの廊下に、ひとつの足音が響いた。
厚い扉が軋みを上げて開くと、そこから淡い灯りが漏れ出す。
情報塔。
夜気を閉じ込めたその空間に、黒衣の青年が一歩踏み入れる。
ランプを掲げて待っていた男が、驚きに目を見開いた。
淡金の髪、疲労を隠しきれぬ顔――《リオネル》。王立情報部所属。
かつて、アランと共に改革派の中枢を支えた旧友だ。
「……まさか、殿下自ら来られるとは。」
リオネルは声を潜め、周囲を見回す。
「ここは今、閲覧制限が――軍部が厳重に封鎖を――」
アランは彼の言葉を遮るように、低く言った。
「だからこそだ。」
蝋燭の炎が、彼の横顔を照らす。
その瞳は冷えた光を湛え、わずかに揺れる炎を睨み据えるように続けた。
「私の名で記録を隠す者がいる。……確かめねばならない。」
その声音には、威圧も怒りもなかった。
ただ、真実を突き止めるために必要な“確信”だけがあった。
リオネルは短く息を吐き、頷く。
「……分かりました。」
二人は並んで棚の奥へと進む。
古い鍵を回し、封印指定の木箱を開ける。
取り出されたのは一冊の台帳。
革装の表紙には、淡く刻まれた文字があった。
《軍用飛行艇〈アーク=ファルクス〉整備台帳》
――空を落とした記録が、今、闇の中で再び開かれた。
蝋燭の灯が、古びた台帳の頁を淡く照らしていた。
アランとリオネルは並んで腰を下ろし、指先で一行ずつ記録を追っていく。
搬入経路、部品管理、整備責任者の署名――。
だが、ある箇所でリオネルの手が止まった。
「……ここを見てください。」
その指が示す欄には、わずかな間があった。
記載があるべき日付が飛び、整備記録が連続していない。
さらに下の行――登録番号「E-741」。
だが、名義の欄は空白のまま、誰の署名もなかった。
リオネルは眉を寄せ、急ぎ別冊の登録簿を引き出す。
数頁をめくり、該当の番号を探す。
だが――どこにも存在しない。
「この番号……登録簿にはありません。」
声が震える。
「名義も記録も、まるで初めから“書かれていない”。」
アランは頁の上に影を落とし、静かに呟いた。
「存在しない整備兵が、存在する飛行艇に触れていた――ということか。」
彼の瞳に、蝋燭の炎が小さく揺らめく。
その光は怒りでも悲しみでもなく、確信の兆しだった。
――紙の上の空白ほど、雄弁な証拠はない。
それは、“書かれなかった意志”の痕跡。
アランは頁を閉じ、硬く結ばれた口元で低く言った。
「……誰かが、この記録を“削った”。」
リオネルは周囲を一瞥し、密やかに外套の内側から小さな魔導結晶を取り出した。
薄青い光が、彼の掌でかすかに明滅する。
「……非公式の写しです。上層部には報告していません。」
声を落とし、結晶を机の中央に置く。
アランが無言で頷くと、リオネルは投影符を展開した。
淡い光線が天井へと伸び、宙に白黒の映像が浮かび上がる。
滑走路。列をなす整備兵たち。
その背後――一人だけ、異質な影がいた。
フードを深く被り、顔の輪郭すら曖昧な男。
アランは前のめりになり、映像に目を凝らす。
ユリウス王子がその人物に何かを問い、
次の瞬間、男が小さく手を差し出した。
掌の上には、光を吸うような小片。
そして、ほんの刹那――魔導炉の光が脈打つ。
「……その瞬間、魔導炉が反応している。」
アランの声は、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。
「この国では、偶然は続かない。
二度起これば――それは“設計”だ。」
リオネルは息を呑み、顔を上げる。
「第二王子の……あの事故と同じ、と?」
アランは視線を外さず、わずかに頷いた。
「構図が、似すぎている。
――誰かが、意図的に“同じ図面”を描いているんだ。」
映像の光が二人の顔を交互に照らし、
その明滅は、まるで真実の鼓動のように静かに脈打っていた。
アランは静かに机の上へ手を伸ばした。
そこに置かれていたのは、長らく封印していた鉄片――
かつて崖下で拾い上げた、第二王子ルークの墜落機からの残骸。
黒ずみ、歪み、今なお焦げた匂いを宿すその断片。
指先で撫でると、表面に微かな魔力の痕が触れた。
脈打つような波――まるで、誰かがそこに“鼓動”を刻んだかのように。
その瞬間、映像の投影が再び動き出す。
爆発の直前。
空を切り裂くような閃光が映し出される。
アランの瞳が細まった。
映像の閃光と、鉄片に残る魔力の脈動――
その明滅の周期が、寸分違わず一致している。
「……この波だ。」
掠れる声が、密やかに空気を震わせた。
リオネルが息を飲み、顔色を変える。
「まさか……同じ術式が使われていたと?」
アランは答えず、ただ鉄片を見つめる。
長い沈黙ののち、低く呟いた。
「“同じ手”が動いている。」
その言葉は、蝋燭の炎を震わせ、
闇の中に潜む見えざる影を、確かに指し示していた。
アランは机上に散らばった書類を静かに集め、蝋燭の光の下で一枚一枚を封筒へと収めていった。
羊皮紙が擦れる音だけが、石壁に反響する。
やがて、封筒を指先で整えながら、低く言う。
「――誰にも渡すな。これらは私が検証する。」
その声音には、静かながらも揺るぎない力があった。
リオネルは息を呑み、目を伏せる。
「また一人で背負うつもりか、アラン。」
その問いには、長年の友としての痛みが滲んでいた。
アランは短く息を吐き、わずかに口元を緩めた。
それは笑みとも、諦めともつかぬ表情。
「背負わねば、形にならない。」
彼の言葉は、まるで自分自身への誓いのように響いた。
封筒を懐に収め、アランは灯を手に立ち上がる。
炎が彼の横顔を照らし、長い影が石床に伸びていった。
――理性の仮面の裏で、確信が音を立てて形を成していく。
夜の王都、その最も深い闇の一点に、
再び“設計者の影”が浮かび上がり始めていた。
蝋燭の炎が、ふと揺れた。
その瞬間、机上に置かれた鉄の楔が光を弾き、
宙に投影された白黒の映像と――一瞬、同じリズムで明滅する。
アランは動かない。
ただ、指先でその金属片をなぞりながら、光の周期を目で追った。
崖下で拾ったあの日の残響が、
今、王都の地下で再び息を吹き返している。
「第二の閃光。
それは、偶然ではなく――“連鎖”の始まりだった。」
映像が闇に沈む。
最後に残るのは、楔の冷たい輝きと、
それを見つめるアランの、凍てついた瞳だけ。
やがて画面は完全に暗転する。
――次に映し出されるのは、理性の捜査が踏み込む「設計された闇」。
その入口に、静かに、確実に、王国の運命が傾き始めていた。




