早朝の二人
バルトの計画が可決された翌日の早朝。
「ああっ!」
ガシャンッと音を立てて杖を落とし、その場に倒れるヒカル。
「もうやめてください!勇者様!」
メグが静止しようと腕を伸ばすが、それを振り払う。そして杖を掴んでもう一度立ち上がり、廊下の壁に沿って歩き出そうとする。
ヒカルの足の診断の結果は完全に元に戻ることはないというものだった。さらに、この世界の技術は元の世界ほど進んでいないため、手術も簡易的なものしか受けることができなかった。再び元に戻る僅かな可能性に縋り、ヒカルは自分で歩行訓練をしていた。
一歩進もうとしては倒れ、一歩進もうとしては倒れを繰り返す。うまく受け身を取ることもできず、鼻血がポタポタと垂れる。
メグは痛々しいその光景をただ眺めることしかできない。この時間帯はまだ貴族たちは起きておらず、二人の影だけが廊下の壁に映る。
「なんでこんなことを…?また怪我をしちゃいますよ。」
「…なんでなんだろうな。」
また起きあがろうとするヒカルは弱々しく答える。
「こんなことをしても効果があるのかわからないし、元のように足が動くようになったところで勇者はもう帰ってはこないのにな。ほんと意味わかんねえよ。」
そう言うと再び一歩を踏み出そうとする。
(どうすればいいの?私にできることは…?そうだ!)
鼻血で血まみれになったヒカルの顔を見て、何かを思いつく。自分の着ていたお気に入りのスカートの裾を破ると、目の周りの血を拭き取る。
「…っ!」
ヒカルは少し嫌な顔をするも、黙ってメグの自分を想った行動を受け入れる。
「はい、綺麗になりました。」
やっとヒカルの役に立てたメグは嬉しそうに笑う。
「お前は俺に付き合わなくていいんだぞ、メグ。」
強めの口調で声を掛けるヒカル。
「私は勇者様を手助けることが楽しみですから。」
メグは当然かのように答える。
(こいつは俺の姿が変わっても態度は変わらねえな。)
バランスを崩しかけ、メグに支えられながら、ヒカルは出会った頃のメグを思い出していた。
「今日からここで暮らすんだ。」
部屋の前で廊下の曲がり角にいるメグに声を掛ける。ヒカルのことを警戒している。すると、後ろからやってきた貴族に驚く。慌ててヒカルの方へ走っていくと、そのままヒカルをスルーして部屋の中へ入っていった。
戦争で親を失い、孤児院で生活していたメグ。出会った時から人見知りが激しく、すぐに物陰に隠れようとしていた。同じ場所で暮らすのに慣れさせるために、ヒカルは出来る限りのことをした。
暖かいスープで食卓を囲み、綺麗な服を貴族から貰ったが気に入らず、結局前世でバルトと共に鍛えた裁縫で何着も服を作って気に入るものを探した。
ヒカルに徐々に慣れてきた頃、メグはヒカルに一つの質問をした。
「なんで、私を選んだのですか?あそこにはもっといい子がいたはずです。」
ちょうど夜ご飯を食べようとしていたヒカルはフォークを置き、メグの初めての質問に答えた。
「正直俺もよくわからないけどなぁ。孤児院にいた他の子はみんな笑ってた。でもメグだけが誰にも見えないところで泣いてた。俺はメグに笑って欲しかったのかもしれないな。」
「私が笑ってもあなたには意味がない。」
「意味ならあるじゃないか。こうやってふたりでご飯が楽しく食べれてるし。」
ぽかんとした顔をするメグ。
「私が笑えばあなたが楽しい。理由はそれだけ?」
「自分が獣人だから」という理由で力仕事を任され、孤児院のみんなからは怖がられた。今回もそれが答えだと思っていたため、予想外の答えに困惑する。
「えっダメか?あっ!メグは楽しくなかったのか?!なっ何が原因だ?!どうすれば…!」
慌て始めるヒカルがおかしくてメグは笑いだす。
「私も楽しいですよ。」
賑やかな二人きりの食事。メグはその後、ヒカルに対して積極的になる。そして、三年後には家事を覚え、ヒカルの身の回りのことを完璧にこなすスーパー従者になっていく。
メグの明るさに少し勇気を取り戻すヒカル。うまく動かない右足を懸命に前へ運ぶ。使い慣れない杖で体を支え、体重を乗せる…。
ついにバランスを崩さずに一歩を踏み出す。
「はぁ、はぁ。やっと…。」
安心した瞬間、気づかなかった疲労がヒカルを襲う。視界が斜めに傾いた瞬間、メグがヒカルを抱き抱える。
「お疲れ様です、勇者様。」
「メグ…。」
覗き込んだヒカルの顔に笑顔が一瞬見えたような気がした。メグは目に涙を溜めながらヒカルに言う。
「もう少しだけ安静にしていましょう。でも次にこれをしたい時には私がそばにいるので。」
(そうか、私も勇者様の笑顔が見られたら嬉しい。勇者様が何でこんなことをするのかは私にはわからない。でも、お手伝いができるのなら!それで勇者様が喜ぶなら!)
三年前の穏やかさが二人を包む。
一方、ヒカルのいた医務室には一人の客人が訪ねていた。