明日に任せて
しばらく沈黙が続いた。ヒカルは頭を下げるシータをただ見つめている。
目に映っているのは王都での、あの時の光景。
襲いかかる魔族。潰される足。失望の目線。
「ヒカル様。大丈夫ですよ。」
優しくメグの腕に抱かれたことで現実に戻って来る。
「その…。バルトとか…他に教えられる人はいないのか?」
必死に冷静そうに振る舞う。その声はかすかに震えていた。
シータは頭を上げて答える。
「今のバルトはそんなことするはずないし、それ以外だと誰も戦い方を覚えていないの。」
「…っ。そうか…。」
剣の振り方、体の動かし方はしばらく戦っていなくても五体に染み付いている。
確かにヒカルは教えるだけなら最高の人材だ。
「うう…。でも…。王都は…王都は…。」
半分パニックになってしまっているヒカルに変わってメグがシータと話し始める。
「シータさんはいつまでここにとどまるつもりなんですか?」
「馬車の御者には話をつけてあって、三日は馬車を止めてくれるみたい。だから、今日を入れて三日間ね。」
「じゃあ、帰る日に改めて答えてもいいですか?」
「別に大丈夫よ。というか長丁場を覚悟して来てるからね。」
今決断する必要はない。それが分かり、少し落ち着く。
「俺が三日待たせた挙句断ることになるかもしれない、それでもいいのか?」
「もちろん。私はヒカルの決断を尊重するわ。」
「そうか…。ありがとな。じゃあ返事はシータが帰る日の朝までに決めておくことにするよ。」
ほっと胸を撫で下ろす。先延ばしになっただけだが、とにかく今は考える時間が欲しかった。
「その件について他に伝えておきたいことはあるか?できれば今のうちに聞いておきたい。」
判断材料になるかもしれない。情報はできる限り欲しい。
「当たり前なんだけど、ヒカルとして王都に戻ることはできないから変装して王都に侵入することになるわね。その姿を知ってるのは一部の人間だけだからもう変装してるといっていいと思うけど。」
「あくまでも俺は謎の助っ人ってことか。」
「そういうこと。あと王都の滞在期間は一ヶ月ぐらいを想定してるわ。」
一ヶ月の間、謎の少女が兵士に稽古をつける。光景を想像してみたがあまりにも滑稽だ。
「聞けば聞くほど無謀な作戦だな。多分元の俺でも渋ってる。」
「時間もないし適任も居ないから必然的にこうなっちゃったの。まあ、このことも考慮して返事を考えてくれると嬉しいわ。」
ヒカルはため息をついて机に突っ伏してしまう。
(第一、今の俺はその兵士たちよりも力がない。そんな俺を兵士は信頼してくれるのか?それに今の俺の精神状態じゃ何をしようが絶対に無理だ。)
考えれば考えるほど今の自分には荷が重い。
お腹の中で色々な感情が湧き上がり、渦を巻く。
(あっまずい。)
再びパニックになりかけ、首を振って感情を抑える。
「少し疲れたから休んでもいいか?メグもシータと話したいことあるだろ。」
メグはヒカルの意図を読みとり、「わかりました。」とヒカルが離れた椅子に座る。
「色々と伝えたけどそんなに気負わなくていいわよ。無理に返事されるとこっちも困っちゃうし。」
シータは優しくヒカルに声をかける。
「ああ、ありがとな。」
簡単に返事をするとベッドに横になった。嫌な感覚が抜けない中、力を込めて瞼を閉じる。
明日の自分に全てを任せて意識を暗闇に落とした。
しばらくの間シータとメグは世間話も交えながら話し続けた。久しぶりの再会だ。積もる話はいくらでもある。
いつのまにか暗くなり出していた。
「もうこんな時間、ちょっと夕食の準備をして来ます。」
メグが席を立つ。
「私は馬車の中で寝泊まりするつもりだからあなたたちは無理して私をもてなさなくて大丈夫よ。食料もあるし。」
「そう言わずに食べてください。シータさんに料理が上達したんだって自慢したいですし。」
「うっ…。それなら仕方がないわね…。」
以前、シータはよくヒカルの料理を食べるために王宮の部屋まで会いに来ていた。
ある日のこと、いつものようにシータも部屋に入ってご飯を食べに来た。しかし、ちょうどその日はメグが料理の練習で夜ご飯を作っていた。
一口食べてシータはこう呟いてしまった。
「あら?今日は料理失敗しちゃった?」
ヒカルの料理は店を出せるレベルのものなので比較対象が悪いのだが、それでもメグにとってはショッキングな言葉だった。
その後謝ってはいるが、メグはこのことを根に持ちシータの舌を唸らせるぐらい美味しい料理を作ってやろうと練習し続けていた。
次々と並べられていく豪華な料理たち。家の中を食指をそそる匂いが満たしていく。
「さあシータさん。全部食べてください!」
明らかに圧を感じる中シータは料理を口に運んでいく。
「ん!これ美味しい!腕を上げたわね。」
メグも一口食べてみようと料理に手を伸ばす。選んだのは大皿に盛り付けられた麻婆豆腐もどきだ。豆腐の代わりにざく切りした野菜が入っている。レシピはヒカルが考えたものだ。
「うん、味つけも上手い!もうヒカルの料理より美味しいんじゃない?」
「えへへ〜。まだまだヒカル様には敵いませんよ。レシピもヒカル様から教えてもらってますし。」
「えっ!いつも作ってた料理ってヒカルのオリジナルだったの?!どうりで見たことがないと…。」
前世の世界のレシピにはこの世界にはないものも混じってる。ヒカルはメグを喜ばせるために前世の記憶を絞り出し、この世界に合うようにアレンジしていた。
「昔のヒカル様はほんと何でもできました。」
かつてのヒカルの姿が遥か遠い過去のように思えてしまう。強く、頼りになるあの大きな後ろ姿は今や自分の後ろをついていくので精一杯なほど小さなものになってしまった。
「だから私に頼ってくれた時はすっごく嬉しかったんです。」
口を綻ばせてヒカルの寝姿を眺める。穏やかな寝顔がこちらを向いている。
「少し関係性は変わってしまったかもしれないけど、それでもヒカル様が私を信頼してくれていて。だから、私が代わりに支えたいって思えた。」
ヒカルの方へ歩き出すと隣にしゃがんで頭をゆっくりと撫でる。
「今は苦しみの中にいても、体も心も変わっても、なぜかヒカル様には期待をしてしまう。だからシータさんもここに来た。」
「そうね。」
シータ自身も何度もヒカルに命を救われている。ヒカルなら何とかしてくれる。その気持ちは痛いほどわかる。
「今回の件はきっとヒカル様にとって大きな選択だと思います。でも、今回は私も手伝うつもりです。ヒカル様には後悔しない選択をしてほしいから。」
メグは何となくヒカルは何がしたいのかを察していた。今のヒカルはきっとその選択をすることに恐れを感じている。
自分に何ができるのか。メグも明日考えることにして、食器を片付けようとヒカルから離れた。




