温泉探しに迫る危機 下
「メグ!」
間一髪でヒカルに覆い被さり、茂みから飛び出した"何か"からの攻撃をメグが受ける。
背中が切り裂かれ、服には血が滲んでいる。
「くっ!離れて!」
もう一度攻撃をしようとした"何か"をなんとか突き飛ばす。木漏れ日に照らされ、その"何か"の姿がはっきりと見えた。
メグは目を疑う。
人型で、左右非対称な歪んだ角に鋭い爪。空いた口からは唾液がだらだらと垂れ、鋭い牙があらわになっている。
(魔族?!何でこんな山の中に?!)
魔王がいなくなってから魔族の襲撃はピタリと止んだ。そのためもう魔族には戦う力が残っていないものだと思われていたが、この魔族は明らかに敵意を示している。
「落ち着いてください!私たちにはあなたに危害を加える気はありません!」
メグが魔族に向かって対話を試みる。メグの言葉を無視し、魔族は呻き声をあげて再び攻撃の態勢を整える。服はぼろぼろでほとんど原型を留めておらず、目は完全に白目を剥いており、知性はかけらも感じられない。
(どういうこと?!これじゃあただの獣みたい!)
「ヒカル様!逃げますよ!」
ヒカルの方に顔を向けて逃亡を促す。ところが、ヒカルの様子がおかしいことに気がついた。
「あっ…ああ…うああ…。」
過呼吸で目の焦点が定まらない。杖を持とうとしても震えてしまい掴むことができない。どうやらパニックに陥っているようだ。
「…っ!ヒカル様!」
ヒカルの方に意識を持っていってしまった瞬間。魔族が奇声を発しながらメグに突進する。
爪を利用して引っ掻いて来るが受け止める。しかし、魔族はその勢いのまま腹に向かって頭の角を突き立ててきた。
「うぐっ!」
足に入る力が弱くなり、あっという間に組み倒されてしまう。そして、無防備になった首に噛みつこうと構えをとった。
ゴン!
鈍い音が森に響く。メグが強烈な頭突きをかましたのだ。魔族がよろめいた隙に立ち上がる。
(このままだと二人ともこいつに殺される!どうすれば…。)
背中の傷から血が止まらない。時間がかかるだけこちらが不利な状況だ。
(こうなったら…。)
メグは一度ヒカルの顔を見る。パニックに陥りながらもなんとかヒカルは顔を上げた。
ごめんね
ヒカルにはメグの口がそう動いたように見えた。
「…っ!ひやだ!」
ヒカルはメグが何をしようとしているのかを理解した。止めようと叫ぶが震えているせいで呂律が回らない。再びメグは魔族に向き直る。魔族はすでに頭突きの衝撃から目覚め、今にも飛びかかろうとしていた。
(魔族がさっきみたいに私がいる方向に突進して来るなら、その勢いを利用して私の後ろにある谷に落とす。もしかしたら私も谷に落ちてしまうかもしれないけど、そうすれば絶対にヒカル様は助かる!)
覚悟を決め、魔族を迎え撃つ。
想定通り魔族はメグの真正面に突進してきた。頭の角を掴んで受け止める。魔族の力は凄まじく、その勢いのままメグを後ろへ押していく。その先には谷が口を開けて二人を待っていた。
メグが魔族と一緒に谷に身を乗り出そうとした瞬間。
「くっそぉ!動けぇ!」
ヒカルが震える手を必死に押さえると持てる力全てを使って石を投げた。石は魔族の後頭部に命中し、魔族は思わず足を止める。
標的がヒカルに移ったのか、魔族はメグを振り払うと、ヒカルの方へ再度突進する。
「いやぁ!」
恐怖でうずくまるヒカルに魔族が迫る。しかし、魔族に追いついたメグが頭をつかみ、それを許さない。
「どこへ行こうとするんですか?」
メグの頭の中はヒカルを攻撃しようとした魔族への怒りで支配される。今までに経験したことがないぐらいの力が身体には入っていた。
「死ね。」
躊躇なく生まれて初めて使う言葉を魔族に浴びせる。そして、頭を鷲掴みにしたまま容赦なく木に叩きつける。あっという間に木の表面は赤く染まる。叩きつけるたびにメグの心は怒りが発散されていく快感で満たされていく。
魔族が抵抗して腕に爪を立てるが全く動じない。簡単に引き剥がすと全身の力を拳に込める。
メグの右ストレートが魔族の顔に直撃した。空中で何回か回転した後、泉に水柱を立てて落ちる。浮かんできた魔族は完全に伸びてしまったのか、ピクピクと痙攣して動かない。
「はっ!あっあれ?私…?」
魔族が目の前からいなくなったことに気づき、頭にのぼった血が引いていく。冷静になり、忘れかけていたヒカルのことを思い出した。
「あっヒカル様!お怪我はありませんか!」
ヒカルの元へ駆け寄る。すると、ヒカルがメグを見るなり声を荒げる。
「メグのばかぁ!なんで死のうとするのさ!自分のことも心配してって言ったじゃん!」
「もっ申し訳ございません!」
「もう…本当に…本当に…。」
ヒカルはメグを思いっきり抱きしめる。目からは涙が次々とこぼれ落ちていく。
「無事でよかった…。本当は俺がメグを守るべきなのに…パニックになっちゃって…メグにだけ痛い思いさせて…ごめんなさい…。」
「ヒカル様…。」
魔族からあれだけ酷い目に遭わされても誰かを助けることを優先してしまう。改めてヒカルは勇者なんだと気づかされる。
「私を守ってくれてありがとうございます。さすがヒカル様です。」
「守れてないよ!こんなに傷だらけになって…。」
「この程度私にとってはかすり傷です。」
「そんなわけないじゃん!すぐに帰って手当だ!」
無理やり平気そうに笑うメグを見るたびに胸が痛む。元の力があれば無傷で誰にも心配されずに魔族を倒すことができたことが悔しさを倍増させていた。
(もう俺のせいで誰かを傷つけさせたくない。)
ヒカルには勇者になったばかりのような強い決心が芽生え始めていた。
やがてその芽は大樹となり世界を変えることとなっていく。




