あなたが欲しいものは
兵士が医務室から去ってから何時間が経過しただろうか。窓の外はすっかり暗くなっている。
ヒカルはその場から動かない。眼には涙が浮かんでは消えていく。時々鼻水を啜る小さな音が静寂をかき消した。
メグは倒れかかってくるヒカルを体で支え、前を向いている。そして、ヒカルが自分に手紙の内容を話してくれるのをただひたすらに待っていた。
「メグ…。俺は…。」
ヒカルがついにその重い口を開く。メグは一言一句聞き逃さないように耳に全ての神経を集中させる。
「近いうちに。ここを…。王宮を出ることになった…。表向きは療養のためだけど、もう俺の存在が王国には必要なくなったから…だと…思う…。」
一気に鼻水を啜り、掠れる声を元に戻す。
「俺が負けたから。こんな姿だってことがバレたから…。きっと…国民の士気を下げないために…。」
バルトの手紙には書かれていない理由があると、なんとなく理解していた。
「でも…。メグ…。お前には関係ない。俺だけのせいだから…。お前は…ここに残ってくれ。」
メグはヒカルの涙ながらの命令を黙って聞く。
「お前は俺について行きたいと言うと思う。でも、俺はせいでお前にまで不自由な思いをさせたくない。知り合いはたくさんいるから誰かはきっと面倒を見てくれる…。これが…主人としての最後の命令だ。」
「いやです!」
ヒカルが言い終わると同時にメグが口を開ける。今までに聞いたことがないぐらいその言葉には力がこもっている。
「なんで今更強がるんですか!今のあなたは歩くだけで精一杯なんですよ!今のあなたから私がほんの少しでも離れると思いましたか?!」
久しぶりのメグの強い口調に圧倒されながらも諭すように話す。
「メグが俺のそばから離れたくないのは承知の上だ。でも分かってほしい。もう俺は誰からも必要とされていないんだ。そんな俺について来ても、もう勇者として期待されているようなことはできない。」
「私はあなたが勇者だからここまでついてきたわけじゃない!!」
音圧で周りの物が落ちてきてもおかしくないぐらいの大声にヒカルは思わずメグの顔を見る。
浅く深呼吸をしたメグはまた、普段と変わらない口調に戻ってゆっくりと話し始める。
「最近の勇者様は私ではなくても従者は務まるとおっしゃることが増えてきていました。おそらくその時の勇者様は望む物全てを手に入れることができたから。私以外の優秀な従者も、勇者様自身の喜びすら。正直とても悲しかった。
でも、私は知っています。勇者様は私が、手を差し伸べた人が笑ってくれるのを何よりも喜んでいたことを。
勇者様が一番ほしいものは出会った時からずっと変わっていないと信じてきたから。だから、私が笑うと勇者様も楽しいと言われた時から、ずっとこの思いは変わっていません。今朝、やっとそれに気がつきました。」
ヒカルを腕で抱き寄せる。ヒカルからの抵抗はない。
「私はあなたが笑うのをそばで見たいから。それが私にとって一番の楽しみだから。私があなたのそばに居たい理由はこれだけです。
あなたの姿が変わろうと、最強の勇者じゃなくなってしまっても、体に大怪我を負ってしまっても、私はあなたから離れません。
あなたと私の楽しみを簡単に奪わないでください!」
全てを言い切ったメグもヒカルに倒れ掛かる。
「やっと…。言えた…!」
顔には涙が光り輝いている。
ヒカルは眼を閉じる。メグの言葉全てが心に沁みていく。
メグと共に居たい。
勇者としての強がりで抑えていた本音が込み上げる。飲み込もうとするが、涙となって出てきてしまう。大粒の涙が医務室のベッドにぽたぽたと垂れていく。
「分かったよ。一緒に行こう。」
メグの腕に抱かれながらさっきの命令を取り消す。
「ありがとうございます。勇者様。」
「もう"勇者様"じゃない。メグと対等な、いや、王国を追い出されたそれ以下の存在だ。呼び捨てでもいいぐらいだよ。」
「では、ヒカル様でどうでしょう。」
「だから…"様"は…、まあそれでもいいよ。」
医務室を笑い声が満たす幸せな時間を過ごす。やがて疲れ切った二人は深い眠りへと落ちていった。
麗らかな天気の中、王国の中心である王都の門の下。慣れない杖をついて、馬車に乗り込むヒカルの姿があった。足に巻かれた包帯は無くなっている。
どすんという音と共に馬車が揺れる。メグが担いできた荷物を詰め込んでいる。
「ずいぶん多くなっちゃったなぁ。こんなに入るかな?」
独り言を呟きながら荷物を詰めていく。
「ヒカル様!準備が終わりましたよ!」
メグが明るくヒカルに伝えると、馬車に乗って隣に座る。運転手である御者に準備ができたと合図を送る。
目指すはロズウェード。王国の端、誰も領主がいない辺境の土地。もはや王国から追放されたといっても過言ではない。
大きく伸びをしたメグは早速昼寝の体制を整え始める。ヒカルは離れていく王都から眼を離さない。
今、王都ではバルトの宰相就任式が大々的に行われていた。人々の笑い声や歌声が小さくなっていく。
「さようなら。ドリベルト王国。」
やがて馬車は木々が生い茂る道に入り、王都は隠れて見えなくなった。
この日、バルトの輝かしい就任式の裏で(元は)誰もがその強さを信じ、崇め立てた最強の勇者様が王国を離れていった。




