第84話「変革の実感」
書類の山が、男の手を震わせた。
「これが……新しい評価基準か」
王都の魔術師ギルド支部。一人の男性魔術師が、信じられないという表情で評価シートを見つめている。
知識開放法の施行から一週間。社会のあちこちで、変化が始まっていた。
「性別の記載欄がない」
隣にいた女性魔術師も驚きの声を上げる。
「実技試験の内容も、完全に実力重視になってる」
レオンは執行官として、現場の視察に訪れていた。
制度は作った。
しかし、それが実際にどう機能するか――運用の現実を、自分の目で確かめる必要がある。
『レオン、第三地区の評価結果が出ました』
アルフィが報告する。
『男性の合格率が、前年比で三倍に上昇しています』
「三倍……」
それは予想以上の数字だった。今まで、どれだけの才能が埋もれていたのか。
「執行官」
ギルドの新任評価官が近づいてくる。
「問題が発生しています」
「どんな問題ですか」
「一部の試験官が、まだ旧来の基準で評価しようとして」
やはり、という思い。制度を変えても、人の意識はすぐには変わらない。
「詳しく聞かせてください」
評価官の案内で、試験会場に向かう。そこでは、ちょうど実技試験が行われていた。
「火炎魔術の制御、不合格」
試験官の女性が、冷たく告げる。
「でも、完璧に制御できていました」
受験者の男性が抗議する。
「威力が足りません」
「新基準では、制御精度が重視されるはずでは」
「私の判断では、不合格です」
レオンは眉をひそめた。明らかに、新基準を無視している。
「失礼」
レオンが前に出る。
「知識開放制度執行官のレオン・グレイです」
試験官の顔が青ざめる。
「執行官……」
「今の評価について、説明していただけますか」
「それは、その……」
言葉に詰まる試験官。
『レオン、この試験官の過去の評価記録を分析しました』
アルフィが告げる。
『男性受験者の合格率が、女性の半分以下です。統計的に明らかな偏りがあります』
「試験官」
レオンの声が厳しくなる。
「新基準に従って、再評価を行ってください」
「しかし」
「これは命令です」
試験官は渋々ながら、評価をやり直した。結果は、当然ながら合格。受験者の男性は、涙を浮かべて礼を言った。
「ありがとうございます。やっと、公正な評価を受けられました」
執務室に戻ると、エリーゼが待っていた。制度改革担当大臣として、彼女も多忙な日々を送っている。
「どうだった?」
「予想通り、抵抗は根強い」
レオンは視察の結果を報告する。
「でも、確実に変化は起きている」
「そうね」
エリーゼも資料を広げる。
「私の方でも、いくつか成果が出ているわ」
彼女が示したのは、各地からの報告書だった。
「地方都市で、男性魔術師による新しい研究成果が次々と」
「商業分野でも、男女混合チームの業績が向上」
「教育現場では、性別に関係ない能力別クラス編成が好評」
明るいニュースが並ぶ。
しかし――
「問題もあるのよね」
エリーゼの表情が曇る。
「既得権益を失った人たちの反発」
「職を失う恐怖からの抵抗」
「変化についていけない人たちの混乱」
『社会変革には、必ず痛みが伴います』
アルフィが分析する。
『重要なのは、その痛みを最小限にしながら、改革を進めることです』
その時、扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、かつて保守派だった女性議員だった。
「ヴァレリー議員」
エリーゼが驚く。
「何か御用ですか」
「実は、相談があって」
ヴァレリー議員は、迷いを見せながら話し始めた。
「私の娘が、新制度で不合格になりました」
「それは……」
「でも」
彼女は顔を上げる。
「評価内容を見て、納得しました。娘には、本当に才能がなかった」
涙が頬を伝う。
「今まで、性別だけで優遇されていたんです。それが分かって、ショックでした」
レオンとエリーゼは、黙って聞いていた。
「でも、娘も言うんです。『これで本当の自分が分かった』と」
ヴァレリー議員は、深く息を吸う。
「改革に、協力させてください。遅すぎるかもしれませんが」
「遅すぎることはありません」
レオンが手を差し伸べる。
「一緒に、新しい時代を作りましょう」
議員は、その手を握った。
夕方、レオンは街を歩いていた。変化を、自分の目で確かめたかった。
市場では、男性の商人が堂々と魔術を使って商売をしている。
以前なら、隠れてこそこそとしていただろう光景が、今は当たり前のように広がっていた。
「いらっしゃい! 新鮮な野菜だよ!」
保存魔術を使って、野菜の鮮度を保つ。客も、当たり前のようにそれを受け入れている。
広場では、子供たちが遊んでいた。男の子も女の子も、一緒に魔術の練習をしている。
「僕だって、魔術師になれるんだ!」
男の子の嬉しそうな声。
「当たり前でしょ。頑張れば誰でもなれるよ」
女の子が励ます。
『レオン、素晴らしい光景です』
アルフィも感動している様子。
『子供たちの意識は、もう変わり始めています』
「ああ」
レオンは微笑む。
「これが、僕たちが目指した世界だ」
しかし、すべてが順調なわけではない。
路地裏で、数人の男たちが話し込んでいるのを見かけた。
「俺たちの仕事を奪いやがって」
「改革なんて、結局は既得権益の奪い合いだ」
不満の声。職を失った保守派の関係者たちだろう。
レオンは立ち止まる。
彼らの苦しみも、理解できる。
変化は、必ず誰かを傷つけるのだから。
『レオン、彼らにも救済措置が必要です』
アルフィの提案。
『職業訓練や転職支援など、セーフティネットの構築を』
「そうだな」
レオンは決意を新たにする。
「誰も置き去りにしない改革を目指そう」
執務室に戻ると、一日の報告書がまとめられていた。
成功例:
・男性魔術師の就業率が20%上昇
・混合チームによる研究成果が3件発表
・地方での改革支持率が60%を超える
課題:
・一部試験官の抵抗継続
・失業者への対策不足
・意識改革の地域格差
「まだまだ、やることは山積みね」
エリーゼがため息をつく。
「でも、確実に前進している」
レオンは窓の外を見る。夜の街に、希望の灯りが灯り始めている。
変革は、まだ始まったばかり。
だが、この小さな灯りが、やがて世界を照らす光になる――そんな予感が、確かにあった。




