第83話「新時代の扉」
「それでは、採決を行います」
議長の声が、静まり返った議場に響く。
保守派の最後の抵抗も、市民の声によって打ち砕かれた。ヴァルター侯爵は憤怒の表情で席に着いているが、もはや流れを変えることはできない。
「知識開放法案に、賛成の議員は起立してください」
最初に立ち上がったのは、改革派の若手議員たちだった。次いで、中立派の議員たちが一人、また一人と立ち上がる。
そして――
「私も、賛成します」
保守派の席からも、議員が立ち上がり始めた。良心に従えなくなった者たち。真実を知って、もはや旧体制を支持できなくなった者たち。
『レオン、見てください』
アルフィの声に感動が滲む。
『あなたの言葉が、彼らの心を動かしたのです』
議場の四分の三以上が、立ち上がっていた。
「賛成多数により」
議長が槌を打つ。
「知識開放法案は、可決されました」
その瞬間、傍聴席から歓声が爆発した。
「やった!」
「ついに改革が実現する!」
「レオン様、万歳!」
市民たちの喜びの声が、議場を包み込む。
レオンは立ち尽くしていた。長い戦いが、ついに実を結んだ。しかし、喜びよりも先に感じたのは、重い責任感だった。
「レオン」
エリーゼが肩に手を置く。
「おめでとう。私たちの勝利よ」
「いや」
レオンは首を横に振る。
「これは始まりに過ぎない」
議場を見回す。敗北した保守派議員たちの顔には、怒りと絶望が浮かんでいた。彼らとの和解も、これからの課題だ。
「議員諸君」
レオンは演壇に立つ。
「法案は可決されました。しかし、真の改革はこれから始まります」
議場が静まる。
「私たちは、敵と味方に分かれて戦ってきました」
保守派の席を見る。
「しかし、新しい時代には、その対立を乗り越える必要があります」
ヴァルター侯爵が鋭い視線を向ける。
「敗者に情けをかけるつもりか」
「違います」
レオンは静かに答える。
「協力を求めているのです。新しいシステムを作るには、あなた方の経験と知識も必要なのです」
意外な提案に、議場がざわめく。
『賢明な判断です、レオン』
アルフィが評価する。
『排除ではなく、統合。それが真の改革です』
「馬鹿な」
別の保守派議員が立ち上がる。
「我々を利用するつもりか」
「利用ではありません」
エリーゼが前に出る。
「共に新しい時代を作るのです。過去の恨みを越えて」
彼女の言葉には、説得力があった。家族と決別してまで改革を選んだ彼女だからこそ、その言葉に重みがある。
「考えさせてくれ」
意外なことに、ヴァルター侯爵がそう言った。
「すぐには答えられない」
レオンは頷く。
「もちろんです。時間はあります」
議長が再び槌を打つ。
「本日の議会は、これにて閉会とします」
議員たちが次々と退場していく中、レオンたちは議場に残っていた。
「本当に、あの人たちと協力できると思う?」
エリーゼの問いかけ。
「分からない」
レオンは正直に答える。
「でも、試してみる価値はある」
『データ分析によれば』
アルフィが口を挟む。
『保守派の中にも、改革に理解を示す可能性のある人物が複数います』
「そうね」
エリーゼも同意する。
「全員が頑固な守旧派というわけではない」
その時、議場の扉が開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、王室の使者だった。
「陛下より、レオン・グレイ議員に謁見の召しがございます」
レオンとエリーゼは顔を見合わせる。
「今すぐに?」
「はい。至急とのことです」
何か重要な話があるのは間違いない。
王宮への道すがら、レオンは考えていた。法案は可決された。しかし、実際の制度設計はこれからだ。
『レオン、緊張していますね』
アルフィが察する。
『女王陛下が何を求めているのか、不安ですか』
「正直、そうだ」
レオンは認める。
「法案の可決を喜んでいるのか、それとも……」
「大丈夫よ」
エリーゼが励ます。
「陛下は改革を支持してくださっているはず」
謁見の間に通されると、女王アリシアが玉座に座っていた。その表情は、穏やかだが真剣だった。
「よく来てくれました、レオン・グレイ」
女王の声は優しい。
「そして、エリーゼ・ローゼンも」
二人は深く頭を下げる。
「法案の可決、おめでとうございます」
女王は微笑む。
「長い戦いでしたね」
「陛下のご理解があってこそです」
レオンが答える。
「しかし」
女王の表情が引き締まる。
「真の試練は、これから始まります」
予想通りの言葉だった。
「新しい制度を作り、運用していくには、多くの困難が待ち受けているでしょう」
「覚悟しております」
エリーゼが力強く答える。
「そこで」
女王は立ち上がる。
「あなた方に、正式な役職を与えたいと思います」
レオンとエリーゼは驚いて顔を上げる。
「レオン・グレイ」
女王の声が響く。
「あなたを、知識開放制度の初代執行官に任命します」
「執行官……」
「新制度の設計と運用の全権を委ねます」
重大な責任だった。
「エリーゼ・ローゼン」
女王はエリーゼに向き直る。
「あなたには、制度改革担当大臣の職を」
エリーゼが息を呑む。大臣職。それは貴族でも稀にしか就けない要職だ。
「お受けいただけますか」
二人は顔を見合わせ、そして同時に跪いた。
「謹んでお受けいたします」
「よろしい」
女王は満足そうに頷く。
「期待しています。新しい時代を、共に作っていきましょう」
謁見を終えて王宮を出ると、夕日が街を染めていた。
「執行官と大臣か」
レオンが呟く。
「責任重大ね」
『でも』
アルフィが言う。
『これで改革を確実に進められます』
「そうだな」
レオンは空を見上げる。
「新しい時代の扉が、今開いた」
街の方から、祝いの鐘の音が聞こえてきた。市民たちが、改革の成立を祝っているのだ。
明日から、本当の戦いが始まる。
新時代の扉は開かれた。しかし、その先に何が待っているのか、まだ誰にも分からない。




