第82話「最後の障壁」
「議長!」
ヴァルター侯爵が突然立ち上がる。その手には、封印された書類が握られていた。
「法案採決の前に、重大な告発をさせていただきます」
議場にざわめきが広がる。改革派の勝利が見えていた中での、突然の動き。
「何の告発ですか」
議長が眉をひそめる。
「レオン・グレイ議員の、重大な犯罪行為についてです」
レオンの顔から血の気が引く。身に覚えのない告発。しかし、ヴァルター侯爵の表情は自信に満ちていた。
『レオン、落ち着いてください』
アルフィが警告する。
『これは計画的な罠です。感情的になってはいけません』
「証拠をご覧ください」
ヴァルター侯爵は書類を掲げる。
「三年前、レオン・グレイは王立図書館から貴重な文献を盗み出しました」
「何を言っているんだ」
エリーゼが声を荒げる。
「レオンは正式な手続きで閲覧許可を得ています」
「いいえ」
侯爵は冷たく微笑む。
「ここに、当時の司書の証言があります」
議場の扉が開き、年老いた男が入ってくる。かつての王立図書館の副司書長だった。
「私は見ました」
老人の声が震える。
「レオン・グレイが、禁書区画から無断で文献を持ち出すのを」
「嘘だ!」
レオンが叫ぶ。
「私は一度も禁書区画に入ったことはない」
「証人がもう一人います」
ヴァルター侯爵が合図すると、別の人物が入ってきた。保守派の下級議員だ。
「私も目撃しました。深夜、こっそりと書物を抱えて出てくる姿を」
議場が騒然となる。二人の証人。これは重大な告発だった。
『レオン、これは明らかな偽証です』
アルフィが分析を始める。
『証言の矛盾点を探しています』
「さらに」
ヴァルター侯爵は続ける。
「盗まれた文献こそ、先ほどレオン・グレイが示した『三百年前の記録』なのです」
改革派から驚きの声が上がる。
「つまり、盗品を証拠として使っていたということです」
「馬鹿な」
司書長が前に出る。
「その文献は正規の手続きで閲覧されたものです。記録も残っています」
「記録?」
ヴァルター侯爵は嘲笑する。
「改竄された記録に、何の価値があるでしょうか」
レオンは拳を握りしめる。完全な罠だった。証人まで用意した、周到な策略。
「議長」
保守派の重鎮が発言を求める。
「このような重大な疑惑がある以上、レオン・グレイ議員の提案は無効とすべきです」
「そうだ!」
「犯罪者の改革など認められない!」
保守派から怒号が飛ぶ。
エリーゼが立ち上がる。
「証言だけで有罪とするのですか? 物的証拠はどこにあるのです?」
「物的証拠なら、ここに」
ヴァルター侯爵は別の書類を取り出す。
「レオン・グレイの部屋から押収された、盗難文献のリストです」
「押収?」
レオンは愕然とする。
「いつ、誰の許可で私の部屋を」
「昨夜、正式な捜査令状に基づいて」
侯爵は得意げに答える。
「そして、まさに告発通りの文献が発見されました」
『レオン、これは完全な陰謀です』
アルフィが憤る。
『証拠の捏造、偽証人の準備、すべてが計画的です』
議場の空気が一変していた。改革への支持が、疑惑へと変わっていく。
「レオン」
中立派の議員が口を開く。
「この告発に対して、何か反論はありますか」
レオンは深呼吸する。ここで崩れてはいけない。
「はい、あります」
彼は議場全体を見回す。
「まず、証人の証言について」
レオンは冷静に分析を始める。
「副司書長は、私が『深夜』に文献を持ち出したと言いました」
「それが?」
「しかし、もう一人の証人は『夕方』と言うはずです」
保守派の下級議員の顔が青ざめる。
「い、いや、私も深夜に」
「嘘をつくな」
レオンの声が鋭くなる。
「三年前のその日、王立図書館は午後六時で閉館していた。深夜に入ることは不可能です」
議場がざわつく。
『よくやりました、レオン』
アルフィが評価する。
『矛盾を突きました』
「さらに」
エリーゼが続ける。
「押収されたという文献リストですが、なぜ今まで問題にならなかったのですか?」
「それは……」
ヴァルター侯爵が言葉に詰まる。
「三年間も重大犯罪を放置していたということですか?」
司書長も声を上げる。
「そもそも、その文献は盗難などされていません。今も図書館に保管されています」
「偽物だ」
ヴァルター侯爵が叫ぶ。
「レオン・グレイが偽物とすり替えたのだ」
しかし、その主張は苦しかった。
「議員の皆様」
レオンは再び立ち上がる。
「これが保守派の最後の手段です。論理で勝てないから、嘘と陰謀に頼るのです」
若い議員たちが頷き始める。
「でも」
保守派の女性議員が声を上げる。
「疑惑がある以上、慎重になるべきでは」
その瞬間、傍聴席から声が上がった。
「嘘つきは保守派の方だ!」
市民たちが立ち上がる。
「レオン様は正しい!」
「改革を妨害するな!」
議長が槌を打つ。
「静粛に! 傍聴席は発言を控えてください」
しかし、民衆の声は止まらない。
「三年前、俺はレオン様と一緒だった」
一人の商人が叫ぶ。
「図書館になんか行ってない。俺たちと改革の相談をしていた」
「私も証言します」
別の市民が続く。
「その日は、私の店で会合があった。レオン様もいました」
次々と、アリバイ証言が飛び出す。
ヴァルター侯爵の顔が真っ赤になる。
「傍聴席の発言は無効だ!」
「なぜですか?」
エリーゼが問いかける。
「保守派の証人は有効で、市民の証言は無効? それこそ差別ではありませんか」
議場が再び騒然となる。
『レオン、流れが変わってきました』
アルフィが状況を分析する。
『市民の支持が、保守派の陰謀を打ち破っています』
「もういい!」
ヴァルター侯爵が叫ぶ。
「証拠がどうであれ、このような危険人物に改革など任せられない」
ついに本音が出た。
「危険人物?」
レオンは静かに問う。
「知識を共有し、平等を求めることが危険ですか?」
「そうだ!」
侯爵は開き直る。
「今の秩序を壊すことが、どれだけ危険か分からないのか」
「秩序?」
エリーゼが立ち上がる。
「差別と搾取の上に成り立つ秩序に、守る価値などありません」
若い保守派議員たちが、次々と席を立つ。
「私は……私は改革に賛成します」
「嘘と陰謀に加担したくない」
「正義は、レオン・グレイ議員にあります」
形勢は完全に逆転していた。
しかし、ヴァルター侯爵はまだ諦めていなかった。




