第79話「決戦前夜」
「条文第七項の文言を再度確認してください」
深夜の商工組合会館。明日の臨時議会を前に、レオンとエリーゼは改革法案の最終チェックに追われていた。
机の上には、厚い法案書類が山積みになっている。『男女平等職能評価法』。これが明日、議会で審議される運命の法案だった。
「この表現だと、保守派に解釈の余地を与えてしまいます」
法務専門家として参加したハートマン教授が、鋭い指摘をした。
「どう修正すべきでしょうか?」
エリーゼが疲れた目で資料を見つめていた。
『レオン、条文の論理的整合性を分析します』
アルフィがレオンの脳内で法案を精査している。
『第七項は確かに曖昧です。具体的な評価基準を明記する必要があります』
「アルフィの分析では」
レオンが口を開いた。
「『能力評価は、性別に関係なく、客観的な成果と技能のみに基づく』という文言を追加すべきとのことです」
ハートマン教授が頷いた。
「それなら、保守派も反対の根拠を失います」
その時、扉が慌ただしく開かれた。
「レオン! 大変な情報が入りました!」
息を切らせて駆け込んできたのは、情報部会のマーガレットだった。
「何があったのですか?」
エリーゼが振り返った。
「保守派が……保守派が明日の議会で『レオン・グレイ個人弾劾案』を同時提出すると」
部屋の空気が凍りついた。
「弾劾案?」
レオンの顔が青ざめた。
「はい」
マーガレットが震え声で説明した。
「『国家秩序撹乱』『危険思想流布』『社会不安煽動』の罪で、レオンさんを議会から追放し、さらに王国外追放まで」
レオンの足がふらついた。改革法案の審議どころではない。自分自身の存在が問題にされるのだ。
「つまり」
ハートマン教授が重々しく呟いた。
「改革法案の審議の前に、レオン君自身を排除しようという戦略ですね」
『レオン、これは想定外の展開です』
アルフィが緊急分析を始めた。
『しかし、論理的に考えれば対応策はあります』
「どういうことですか?」
レオンがアルフィに問いかけた。
『弾劾案には明確な証拠が必要です。レオンの活動に違法性はありません』
「でも、政治的な判断で通されてしまう可能性が」
エリーゼが不安そうに言った。
「確かに、証拠の有無に関係なく、数の論理で押し切られる恐れがあります」
その時、再び扉が開いた。今度は商業部会のウィルソンだった。
「皆さん、外をご覧ください」
レオンたちは窓に駆け寄った。建物の周りに、松明を持った大勢の人々が集まっている。
「また抗議デモですか?」
マーガレットが心配そうに呟いた。
しかし、ウィルソンは微笑んでいた。
「違います。我々の支持者です」
「支持者?」
レオンは目を凝らした。確かに、怒号ではなく、励ましの声が聞こえてくる。
「レオン・グレイを守れ!」
「改革を実現しよう!」
「明日の議会を見守るぞ!」
レオンの目に涙が浮かんだ。弾劾案の知らせに打ちのめされていたが、これほど多くの人が支援してくれている。
「ウィルソンさん、どれくらいの人数が?」
エリーゼが問いかけた。
「商業部会、職人部会、それぞれから約二百名ずつ。学者や下級官吏も合わせると、六百名を超えています」
レオンは深く息を吸い込んだ。
「皆さん」
レオンは部屋の仲間たちを見回した。
「明日は、これまでで最も厳しい戦いになります」
「しかし、我々は一人ではありません」
その時、職人部会のデイビッドも到着した。
「レオンさん、緊急の提案があります」
「何でしょうか?」
「明日の議会で、もし弾劾案が可決されそうになったら」
デイビッドは決意に満ちた表情で続けた。
「職人部会として、議会前での大規模な抗議行動を行います」
「それは危険です」
エリーゼが止めようとした。
「確かに危険です」
デイビッドは頷いた。
「しかし、レオンさんが追放されれば、改革そのものが終わってしまいます」
マーガレットも声を上げた。
「情報部会としても、明日は総力を挙げて情報戦を展開します」
「王都中に、改革の正当性を訴える檄文を配布します」
ウィルソンも続いた。
「商業部会では、保守派議員に対する経済的圧力を検討しています」
「取引停止や資金凍結など、合法的な手段で」
レオンは言葉を失った。これほどまでに、皆が自分のために、改革のために動いてくれている。
『レオン、この結束力こそが改革の原動力です』
アルフィが感慨深く語りかけた。
『一人の力では限界がありますが、集団の意志は政治すら動かします』
ハートマン教授が静かに発言した。
「皆さんの気持ちは理解できます。しかし、感情だけでは勝てません」
「明日の議会では、論理と法理で戦う必要があります」
「教授の言う通りです」
レオンは冷静さを取り戻していた。
「弾劾案への対策を考えましょう」
エリーゼが資料を整理し始めた。
「まず、弾劾の根拠とされている『国家秩序撹乱』ですが」
「レオンの活動は、すべて合法的な政治活動の範囲内です」
ハートマン教授が補足した。
「『危険思想流布』についても、知識の共有と公正な評価を求めることに、何の違法性もありません」
『レオン、弾劾案の法的弱点を分析しました』
アルフィが詳細な分析結果を提示した。
『三つの罪状はいずれも主観的判断に基づいており、客観的証拠が不足しています』
「つまり、論理的に反駁すれば勝機はあるということですね」
レオンが確認した。
『はい。ただし、政治的判断で強行される可能性は残ります』
マーガレットが心配そうに言った。
「でも、保守派には数の優勢があります」
「だからこそ」
エリーゼが決意を込めて言った。
「我々は完璧な準備をしなければなりません」
「弾劾案への反駁資料、改革法案の詳細説明、そして何より」
レオンが立ち上がった。
「明日の議会で、我々の理念を完璧に伝えることです」
部屋に決意の空気が流れた。
「それでは」
ウィルソンが提案した。
「深夜ですが、各部会の最終準備を確認しませんか?」
全員が頷いた。
次の二時間、彼らは明日の戦略を詳細に詰めた。
商業部会は経済的圧力と資金面での支援。職人部会は民意の表明と技術的裏付け。情報部会は世論喚起と正確な情報流布。学術部会は理論的反駁と法的根拠。
そして政治部会は、議会での直接的な論戦。
『レオン、これだけの準備があれば、勝算はあります』
アルフィが分析を総括した。
『重要なのは、明日、あなたが最高のパフォーマンスを発揮することです』
夜が更けていく中、外では支持者たちの励ましの声が続いている。
「レオン」
エリーゼが最後に言った。
「明日は、単なる政治的勝利を目指すのではありません」
「我々の理念が正しいことを、歴史に刻むのです」
レオンは窓の外を見つめた。松明の明かりに照らされた支持者たちの顔が見える。
「はい」
レオンは静かに答えた。
「明日、すべてが決まります」
運命の日への、最後の夜が更けていった。




