第78話「新たな結束」
朝の光が商工組合会館の窓から差し込む中、レオンは深呼吸をした。今日この場で、歴史が動く。
「皆さん、本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
王都郊外の商工組合会館。昨夜の民衆支持表明を受けて、レオンたちは急遽この場所で新たな改革組織の結成会議を開いていた。
大きな会議室には、これまで見たことのない多様な顔ぶれが集まっている。
織物商のウィルソン、下級官吏のマーガレット、職人のデイビッド。そして彼らと共に集まった商人、職人、学者、下級貴族たち。
「まず、昨夜の皆さんの勇気ある行動に、心から感謝します」
レオンは深く頭を下げる。会議室に集まった人々の顔に、決意と不安が入り混じっていた。
「しかし、これからが本当の戦いです。保守派の反撃は必ず来ます」
会議室に緊張が走った。だが、それは恐怖ではなく、覚悟を固める緊張だった。
「だからこそ」
エリーゼが立ち上がり、レオンの隣に立つ。
「我々は新しい組織として、より効果的な改革を進める必要があります」
ウィルソンが手を上げた。
「具体的には、どのような組織を考えておられるのですか?」
レオンは準備していた資料を開く。長年の研究と経験が、この瞬間のために結実しようとしていた。
「まず、これまでの改革派は貴族中心でした。しかし、それでは限界があることが明らかになりました」
『レオン、社会階層別の分析結果をお伝えします』
アルフィがレオンの脳内で語りかけた。
『真の改革には、社会のすべての階層からの参加が必要です』
レオンは立ち上がり、壁に張られた組織図を指す。その動作一つ一つに、追放された過去から培った確信が込められていた。
「そこで、新組織は職能別の専門部会制を提案します」
「商業部会、職人部会、学術部会、政治部会、そして情報部会」
マーガレットが興味深そうに身を乗り出した。
「それぞれの専門性を活かすということですね」
エリーゼが説明を引き継ぐ。彼女の声には、政治家としての経験が裏打ちする説得力があった。
「商業部会では経済的支援と流通ネットワークの活用、職人部会では技術革新と労働者組織化、学術部会では理論的裏付けと教育改革」
「政治部会では議会工作と法案作成、情報部会では広報活動と情報収集を担当していただきます」
会議室がざわめく。これまでの改革運動とは全く違う、組織的で体系的なアプローチに、参加者たちの目が輝き始めていた。
デイビッドが質問した。
「しかし、我々のような一般市民が、そんな高度な活動に参加できるのでしょうか?」
レオンは微笑む。その笑顔には、追放されてから学んだ真理が込められていた。
「デイビッドさん、あなたは『一般市民』ではありません。優れた職人です」
彼は一呼吸置いて、会議室全体を見渡してから続ける。
「職人としての経験と知識こそが、改革に必要なのです」
『レオン、各階層の専門知識の重要性を説明してください』
アルフィがアドバイスした。
「例えば」
レオンは具体例を挙げ始める。長年の研究が、今この場で花開こうとしていた。
「現在の魔術ギルドの職階制度には多くの不合理があります。しかし、それを理論だけで改革しようとしても失敗します」
参加者たちが頷く。それぞれが現場で感じていた不合理が、ようやく言葉になったのだ。
「実際に現場で働く職人や商人の皆さんの経験があってこそ、現実的で効果的な改革案が作れるのです」
ウィルソンが頷いた。
「確かに、商売の現場では、男女の能力差なんて関係ない。売れるものを作れるかどうかだけです」
「そうです!」
マーガレットも声を上げた。
「官庁でも、実際に有能な男性職員はたくさんいます。ただ、制度的に昇進できないだけで」
会議室の雰囲気が変わり始める。最初の緊張と遠慮が薄れ、活発な議論の空気が生まれていく。それぞれの体験が共有され、新しい希望が芽生えていた。
「それでは」
エリーゼが新たな提案をした。
「本日は各部会の責任者を決めて、具体的な活動計画を立てませんか?」
会議室に新たな熱気が満ちる。これは単なる会議ではない。新しい時代の始まりだった。
「商業部会はウィルソンさんにお願いできますか?」
「喜んで!」
ウィルソンは力強く答えた。
「職人部会はデイビッドさん、情報部会はマーガレットさんに」
続々と責任者が決まっていく。
「学術部会は私が」
これまで黙っていた初老の男性が手を上げた。
「元王立学院教授のエドワード・ハートマンです」
レオンは驚いた。ハートマン教授といえば、魔術理論の権威として知られている。
「教授、どうして我々の改革に?」
「レオン君」
ハートマン教授は優しい笑顔を見せた。
「君の『完全情報分析』による魔術効率化理論に、私は深く感銘を受けています」
教授は一瞬言葉を切り、会議室を見渡してから続ける。
「あれこそが真の学問です。性別や身分に関係なく、純粋に知識と能力で評価される世界」
レオンの目に涙が浮かぶ。追放された過去、孤独な戦い、そしてアルフィとの出会い――すべてがこの瞬間に繋がっていた。
「それでは、各部会の最初の活動目標を決めましょう」
エリーゼが会議を進行した。
ウィルソンが立ち上がる。商人としての誇りが、その姿勢に表れていた。
「商業部会としては、まず改革派への資金援助ルートの確立です」
「加えて、保守派の経済的圧力に対抗する商業ネットワークの構築を」
デイビッドが続く。職人の手が、未来を掴もうと震えていた。
「職人部会では、技術の民主化を進めたいと思います」
「現在、高等魔術技術は一部の特権階級に独占されています。これを一般職人でも習得できるよう」
マーガレットも熱心に提案する。下級官吏としての経験が、その言葉に重みを与えていた。
「情報部会では、改革の正しい理解を広めることが急務です」
「保守派の中傷キャンペーンに対抗する、正確で説得力のある情報発信を」
ハートマン教授が学術的な観点から発言する。長年の研究者としての威厳が、静かに輝いていた。
「学術部会では、現制度の理論的問題点を体系的に整理します」
「そして、改革後の新制度の学術的裏付けを提供したいと思います」
『レオン、このペースなら一週間で組織の基盤が完成します』
アルフィが分析結果を伝えた。
『各部会の専門性を活かした多層的なアプローチは、従来の単純な政治運動より遥かに効果的です』
レオンは立ち上がる。今この瞬間、新しい歴史が始まろうとしていた。
「皆さん、素晴らしい提案をありがとうございます」
「しかし、一つだけ忘れてはならないことがあります」
会議室が静まる。皆がレオンの次の言葉を待っていた。
「我々の目標は、単に女尊男卑制度を倒すことではありません」
レオンは一人一人と目を合わせながら話す。その瞳には、追放された過去を乗り越えた者だけが持つ強さがあった。
「真の目標は、性別に関係なく、すべての人が能力を発揮できる社会を作ることです」
「そのためには、我々自身が模範を示さなければなりません」
エリーゼが頷いた。
「この組織の中でも、性別や身分に関係なく、能力と貢献で評価する」
「全員が対等なパートナーとして、それぞれの専門性を発揮する」
ウィルソンが感激して声を上げた。
「素晴らしい! それこそが我々の求める社会です!」
会議室に大きな拍手が響く。新しい時代への希望が、音となって響き渡った。
***
しかし、その時、扉が乱暴に開かれた。
「レオン・グレイ!」
息を切らせて飛び込んできたのは、トーマス・ケントだった。
「大変です! 保守派が『改革派取締法案』を緊急提出しました!」
会議室の空気が一瞬で緊張に満ちる。だが、それは以前のような恐怖の緊張ではなかった。
「いつの審議ですか?」
エリーゼが厳しい顔で問いかけた。
「明後日の臨時議会です!」
レオンは深く息を吸い込む。保守派の反撃が予想より早く来た。だが、今の彼らには準備があった。
「皆さん」
レオンは会議室を見回す。そこには、もう孤独な戦いはなかった。
「いきなり試練がやってきました。しかし、我々にはもう十分な力があります」
ウィルソンが立ち上がった。
「商業部会として、経済的圧力をかけることができます」
マーガレットも続いた。
「情報部会として、世論に働きかけます」
デイビッドも力強く宣言した。
「職人部会として、実働部隊を組織します」
ハートマン教授も頷いた。
「学術部会として、法案の理論的問題点を証明します」
レオンの胸が熱くなる。追放された日から始まった孤独な戦いは、今ここで終わりを告げた。
『レオン、これが真の組織力です』
アルフィが感慨深く語りかけた。
『一人の英雄ではなく、集団の知恵と力で社会を変える。これこそが持続可能な改革です』
「皆さん、明日から各部会の活動を本格開始します」
エリーゼが宣言した。
「保守派との決戦に向けて、我々の真価を示しましょう」
全員が立ち上がり、力強く頷く。それぞれの目に、新しい時代への決意が宿っていた。
新しい改革組織の出発。そして、決戦への第一歩が、今始まったのだった。
窓の外では、夕日が王都の街並みを照らしている。
新しい時代の扉が、静かに開かれようとしていた。




