第76話「孤立無援」
「レオン・グレイに正義などない!」
王都の街角に響く怒号が、改革派の新たな拠点となった古い建物の中にまで聞こえてきた。窓の外では、連日続く抗議デモが激しさを増している。
「また増えてますね……」
エリーゼが窓のカーテンを少し開けて外を覗いた。昨日より明らかに群衆の数が多い。
「三日前の分裂以来、保守派の攻勢が止まりません」
ミランダが疲れた表情で報告書を見ながら言った。
レオンは机に肘をついて頭を抱えていた。改革派の分裂後、状況は急速に悪化している。
「資金はどうですか?」
アーサーの問いに、エリーゼが苦い顔をした。
「ローゼン家からの支援が断たれた影響で、活動資金は底を尽きかけています」
「人材の方も深刻だ」
ミランダが続けた。
「改革に賛同していた官僚や学者たちが、次々と手を引いています」
レオンの胸に重い石が落ちたような感覚があった。仲間の裏切り、資金不足、人材離散。すべてが同時に押し寄せてきている。
『レオン、現状分析をしましょう』
アルフィがレオンの脳内で静かに語りかけた。
『改革派の分裂により、我々の政治的影響力は三分の一以下に減少しています』
「分かっています……でも、どうすればいいのか……」
その時、扉が勢いよく開かれた。
「レオン! 大変だ!」
息を切らせてやってきたのは、改革派の情報収集を担当していた若い貴族、トーマス・ケントだった。
「ケント君、どうしました?」
「議会で……議会で改革派の『危険思想取締法案』が提出されるそうです!」
部屋の空気が凍りついた。
「何ですって?」
エリーゼが立ち上がった。
「つまり、我々の活動そのものを違法にするということですか?」
「はい……」
トーマスは震えていた。
「可決されれば、改革を主張するだけで逮捕される可能性があります」
レオンの頭が真っ白になった。ついに保守派が最後の手段に出たのだ。
「いつ審議されるのですか?」
ミランダが問いかけた。
「来週の月曜日……あと四日後です」
「四日……」
レオンは愕然とした。四日で何ができるというのだろうか。
『レオン、冷静になってください』
アルフィが諭すように語りかけた。
『確かに状況は厳しい。しかし、まだ終わったわけではありません』
「アルフィ……この状況をどう打開すれば……」
『一つ確実なのは、今諦めれば本当にすべてが終わるということです』
レオンは深くため息をついた。これまでの人生で、これほど絶望的な状況に陥ったことはない。
「レオン」
エリーゼが優しく声をかけた。
「無理をする必要はありません」
「諦める?」
レオンは顔を上げた。
「君は諦めろと言うのですか?」
「そうではありません。ただ、私のせいで、事態がここまで悪化したのですから」
「エリーゼ……」
レオンは立ち上がった。
「君のせいではありません。これは必然だったのです」
「必然?」
「真の変革を求めれば、必ず既得権益者からの激しい抵抗に遭う。それは歴史が証明していることです」
アーサーが口を開いた。
「しかし、現実問題として、我々に残された選択肢は限られている」
「資金も人材も情報も、すべてが不足しています」
ミランダも頷いた。
「勝ち目はない」
レオンが彼女の言葉を引き取った。
「それは分かっています。でも……」
レオンは窓の外を見つめた。抗議する群衆の向こうに、王都の街並みが広がっている。
「でも、諦めるわけにはいきません。我々が諦めれば、本当に何も変わらないからです」
『レオン』
アルフィが語りかけた。
『感情だけでは現実は変えられません。戦略が必要です』
「戦略……でも、この状況で一体何ができるのでしょうか?」
部屋に沈黙が流れた。全員が必死に考えているが、有効な打開策は見つからない。
外では相変わらず抗議の声が響いている。
その時、トーマスが小さく呟いた。
「でも……でも不思議なんです」
「何がですか?」
エリーゼが振り返った。
「街角で……本当に小さな声でですが……改革を支持する声も聞こえるんです」
全員の目がトーマスに集まった。
「詳しく聞かせてください」
レオンが前のめりになった。
「商人の中には、現在の女尊男卑システムに疑問を持つ人もいます」
「つまり、表立って声を出せないだけで、改革を望んでいる人々はまだいるということですか?」
ミランダが問いかけた。
「はい……ただ、保守派の圧力が強すぎて、誰も公然と支持を表明できないのです」
レオンの心に、小さな希望の光が灯った。
「そうか……我々は孤立しているわけではないのですね」
『レオン、潜在的な支持者が存在するなら、彼らにアプローチする方法を考える必要があります』
アルフィが分析を始めた。
「でも、どうやって?」
エリーゼが問いかけた。
「今の状況では、公然と改革派と接触することは危険すぎます」
レオンは立ち上がって部屋の中を歩き回った。
「何か……何か方法があるはずです」
しかし、どれだけ考えても、明確な解決策は見えてこない。
外の抗議の声が、さらに大きくなってきた。
「レオン」
アーサーが重々しい声で言った。
「現実を受け入れましょう。我々は完全に包囲されています」
レオンは窓際に立ち、外の光景を見つめた。怒りに満ちた顔、振り上げられた拳、罵声を浴びせる口々。
これがすべて、自分に向けられているのだ。
「そうですね……」
レオンは小さくため息をついた。
「僕は……僕は本当に正しいことをしているのでしょうか?」
その言葉に、部屋の全員が息を呑んだ。
これまで一度も弱音を吐いたことのないレオンが、ついに心の奥の疑問を口にしたのだった。
沈黙の中で、外の抗議の声だけが響き続けている。
改革の理想は、現実の重圧の前に、今にも砕け散りそうになっていた。




