第75話「分裂の時」
「レオン・グレイ、お前はもう終わりだ」
改革派の緊急会議の会場で、突然響いた声に全員が振り返った。これまで改革を支持していたはずのバートン子爵が、険しい表情で立ち上がっている。
「バートン子爵……どういう意味ですか?」
レオンは困惑していた。昨日まで熱心に改革案を議論していた仲間の突然の豹変に、理解が追いつかない。
「意味も何も、現実を見ろ」
バートンの声は冷ややかだった。
「エリーゼ・ローゼンの勘当で、これ以上お前に付いていけば、我々もすべてを失う」
「バートンの言う通りだ」
ハミルトン男爵が立ち上がった。
「改革の理想は美しい。だが、現実はどうだ? 保守派の怒りは頂点に達し、我々への圧力は日増しに強くなっている」
レオンの胸が締め付けられた。確かに、エリーゼの勘当以来、改革派への風当たりは激化している。
「皆さん……」
エリーゼが静かに立ち上がった。
「私のせいで、皆さんにご迷惑をおかけしているのですね」
「迷惑?」
バートンが鼻で笑った。
「この改革そのものが無謀なのだ」
「では、どうしろと?」
レオンの声には、怒りが込められていた。
「今更、改革を諦めろというのですか?」
「そうだ」
ハミルトンが即答した。
「表面的な変更で済ませるのが賢明だ」
その瞬間、会場の空気が張り詰めた。
「表面的な変更……」
レオンは呟いた。
「それでは、何も変わらないではありませんか」
「何も変わらなくても、我々が生き残れるなら十分だ」
バートンが断言した。
「君たちのような理想主義者には理解できないだろうが、政治とは生き残りの技術なのだ」
アルフィが、レオンの脳内で静かに語りかけた。
『レオン、彼らの行動パターンは予測済みです。困難に直面した時、人間は本性を現します』
レオンは深く息を吸い込んだ。仲間だと思っていた人々の本当の姿が、今明らかになろうとしている。
「分かりました」
レオンは立ち上がった。
「皆さんの気持ちは理解できます。確かに、改革には大きなリスクが伴います」
バートンとハミルトンが、ほっとしたような表情を見せた。
「だが……」
レオンの声が、会場に響いた。
「私は改革を続けます。たとえ一人になっても」
その言葉に、会場がざわついた。
「レオン!」
バートンが叫んだ。
「正気か! 一人で何ができる!」
「一人ではありません」
エリーゼが立ち上がった。
「私がいます」
続いて、アーサー・ブラウンが立ち上がった。
「俺もだ。最後まで、レオンについていく」
ミランダ・フォスターも立ち上がった。
「私も残ります」
会場を見回すと、立ち上がったのは全体の三分の一ほどだった。
「これが……現実か」
レオンは呟いた。困難が現実のものとなった途端に離散していく仲間たち。
「レオン」
バートンが最後の説得を試みた。
「まだ間に合う。我々と一緒に、現実的な道を選べ」
「申し訳ありませんが……」
レオンは首を振った。
「現実的な道とおっしゃいますが、それは結局、何も変えない道ではありませんか?」
「それの何が悪い!」
ハミルトンが声を荒げた。
「生き残ることが最優先だ! 理想で腹は膨れない!」
「確かに」
レオンは静かに答えた。
「理想で腹は膨れません。しかし……理想がなければ、人間は動物と変わりません」
バートンの顔が歪んだ。
「勝手にしろ! 後悔しても知らんぞ!」
そう叫んで、彼は会場を出て行った。ハミルトンも続き、次々と改革派のメンバーが席を立った。
「待ってください!」
一人の若い貴族が立ち上がった。
「本当に……本当にこれでいいのですか?」
その声は震えていた。
「あなたの心に従ってください」
レオンは優しく答えた。
若い貴族は、しばらく迷った後、ゆっくりと席を立った。
「すみません……家族のことを考えると……」
「分かります」
レオンは笑顔で頷いた。
最終的に会場に残ったのは、わずか十数名だった。
「これが……真の仲間ということですね」
エリーゼが呟いた。
「そうですね」
レオンは周りを見回した。残った人々の目には、迷いがなかった。困難を覚悟した上で、なお改革を信じる強い意志がある。
「正直、不安だ」
アーサーが口を開いた。
「これだけの人数で、本当に改革ができるのか」
「人数の問題ではありません」
ミランダが答えた。
「質の問題です」
アルフィがレオンに語りかけた。
『レオン、少数精鋭の方が、実は効率的に動けます』
「皆さん、ありがとうございます」
レオンの声は、感謝に満ちていた。
「これからの道のりは、今まで以上に困難になるでしょう。しかし、本当の変革とは、少数の確信した人々から始まるものです」
エリーゼが立ち上がった。
「では、改めて確認しましょう。私たちは何のために戦うのか」
「知識の解放のため」
ミランダが答えた。
「真の平等の実現のため」
アーサーが続けた。
「そして、未来の世代のため」
レオンが最後に付け加えた。
その時、会場の外から騒がしい声が聞こえてきた。
「何事ですか?」
エリーゼが窓に近づくと、大勢の人々が建物を取り囲んでいるのが見えた。
「保守派の抗議集会ですね」
外の群衆は組織的に動いている。偶然ではない。
「どうしますか、レオン?」
ミランダが問いかけた。
「外に出るのは危険かもしれません」
レオンは振り返った。残された仲間たちの顔を見回す。不安はあるが、諦めの色はない。
「今日この日を、私たちは忘れないでしょう。理想に殉じる覚悟を決めた日として」
そして、会場の扉に向かって歩き始めた。
「レオン、どこへ?」
エリーゼが呼び止めた。
「外に出ます。逃げ隠れしていては、何も始まりません」
その瞬間、扉の向こうから怒号が響いた。
しかし、レオンの表情に恐れはなかった。今日、真の仲間を得た。少数だが、揺るがない信念を持った同志たちを。
これから始まる戦いは、信念の強さの勝負なのだ。




