第73話「裏切りの兆し」
「これは……まずい」
レオンの手が震えていた。王都に戻って三日後、アルフィから渡された分析レポートには衝撃的な内容が記されていた。
統一暦512年、豊穣の月18日。改革実験の混乱が収まらぬ中、さらなる試練がレオンたちを待ち受けていた。
「情報漏洩の経路を特定しました」 アルフィが重々しい口調で報告する。「残念ながら、改革派の内部からです」
秘密会議室で、レオン、エリーゼ、そしてコアメンバーのみが集まっていた。信頼していた仲間の中に裏切り者がいる。その事実は、これまで以上にレオンを動揺させた。
「具体的には?」 エリーゼが緊張した表情で尋ねる。
「昨日の改革戦略会議の内容が、今朝には保守派の手に渡っていました」 アルフィが資料を映し出す。「会議参加者は十二名。この中の誰かが」
画面に映し出された参加者リストを見て、レオンは胸が痛んだ。全員が信頼できる仲間だと思っていたのに。
「でも、なぜ?」 若い魔術師のトーマスが困惑した表情を浮かべる。「僕たちは同じ理想のために戦っているのでは?」
「理想だけでは人は動きません」 エリーゼが苦い表情で答える。「利害、恐怖、圧力……さまざまな要因があります」
その時、扉が開かれ、フリードリヒが慌てて駆け込んできた。
「大変です! 街中にこれが張り出されています!」
彼が持参したのは、大量の印刷物だった。レオンがそれを手に取ると、自分の顔が醜悪に描かれた風刺画が目に飛び込んできた。
『偽りの英雄レオン・グレイの正体』
そのタイトルの下には、レオンを中傷する内容がこれでもかと書き連ねられていた。
「『追放された無能男が、古代の邪悪なAIと契約して王国を混乱に陥れる』……」 レオンが読み上げながら、表情を歪める。「ここまで書くか」
「これだけではありません」 フリードリヒが別の資料を広げる。「レオン様の過去を詳細に調べ上げた中傷記事が複数の媒体で同時に発表されています」
記事には、レオンの学院時代の成績、追放の詳細、そして家族の情報まで書かれていた。一般には知られていないはずの個人情報が、どこから漏れたのか。
「情報の詳細さから判断すると」 アルフィが分析する。「これらの資料を提供したのは、レオンの過去を詳しく知る人物です」
レオンの脳裏に、いくつかの顔が浮かんだ。しかし、どれも信じたくない人たちばかりだった。
「街の反応はどうですか?」 エリーゼが尋ねる。
「それが問題なのです」 フリードリヒが表情を暗くする。「一部の市民が、これらの中傷記事を信じ始めています」
窓の外では、改革反対のデモがさらに激しくなっていた。「レオン・グレイを追放せよ!」「偽りの英雄に騙されるな!」という声が響いている。
「アルフィ、世論調査の結果は?」 レオンが尋ねる。
「改革支持率が急激に低下しています。三日前は52%だったのが、現在は34%まで下がりました」
数字を見て、レオンは頭を抱えた。中傷キャンペーンの効果は絶大だった。
「しかし、真実を伝えれば……」 トーマスが言いかけて口をつぐむ。
「真実?」 エリーゼが苦笑する。「政治の世界では、真実よりも印象の方が重要なのです。一度植え付けられた疑念を払拭するのは、事実を広めるよりもはるかに困難です」
その時、会議室の扉が静かに開かれた。入ってきたのは、改革派の重要メンバーの一人、ミカエル・シュトラウスだった。
「皆さん、お疲れ様です」 彼が普段通りの笑顔で挨拶する。「中傷キャンペーンの件、聞きました。ひどい話ですね」
レオンは彼を見つめた。ミカエルは改革派の初期メンバーで、レオンが信頼を置いている人物の一人だった。
「ミカエル、君の意見を聞かせてくれ」 レオンが言う。「この状況をどう打開すべきだと思う?」
「そうですね……」 ミカエルが考え込む様子を見せる。「まずは内部の結束を固めることが重要ではないでしょうか」
「内部の結束?」
「ええ。情報漏洩があったということは、内部に不安要素があるということです。それを解決しなければ、外部への対策も効果的ではないでしょう」
もっともな意見だった。しかし、レオンは何かひっかかるものを感じていた。
「具体的にはどうすれば?」 エリーゼが尋ねる。
「改革派のメンバー全員と個別に面談してはいかがでしょうか」 ミカエルが提案する。「忠誠心を確認し、不安や不満があれば解決する」
「それは良いアイデアですね」 フリードリヒが同意する。
しかし、アルフィが微妙な表情を浮かべていることに、レオンは気づいた。
会議が終わった後、レオンはアルフィと二人だけになった。
「アルフィ、君は何か気になることがあるのか?」
「ええ、少し」 アルフィが慎重に言葉を選ぶ。「ミカエル・シュトラウスの行動パターンに、最近わずかな変化が見られます」
「どのような?」
「会議での発言の微妙な変化、連絡の取り方の違い、そして……」 アルフィが一瞬躊躇する。「彼の財政状況に変化があります」
レオンの背筋に寒気が走った。
「まさか……」
「確証はありません。しかし、注意深く観察する必要があるでしょう」
その夜、レオンは一人で街を歩いていた。身分を隠し、普通の市民として街の様子を見て回る。
酒場では、改革について議論する声が聞こえてきた。
「レオン・グレイって、本当に英雄なのかな?」 若い女性が不安そうに言う。
「あの記事を読むと、なんだか怪しく思えてくるよ」 隣の男性が答える。「古代AIとの契約って、本当に大丈夫なのか?」
「でも、古代魔獣から救ってくれたのは事実でしょう?」
「それも、実は裏があるのかもしれない。自分で危機を作り出して、英雄になったとか」
レオンは胸が痛んだ。疑念の種は着実に根を張っていた。
別の店では、もっと直接的な批判が聞こえてきた。
「改革なんて必要ない」 中年の商人が吐き捨てる。「今のシステムで十分うまくいってるじゃないか」
「そうよ」 同席の女性が同意する。「男のくせに生意気なのよ、あのレオンってやつ」
「追放されたのにも理由があったんでしょうね」
レオンは拳を握りしめた。しかし、ここで感情的になっても状況は改善しない。
翌日、レオンは改革派メンバーとの個別面談を開始した。最初に面談したのは、トーマスだった。
「レオンさん、僕は絶対に裏切りません」 トーマスが真剣な表情で言う。「あなたに救われた身ですから」
「ありがとう、トーマス。君のことは信じている」
次に面談したのは、フリードリヒだった。
「当然です」 彼が力強く答える。「僕の理想は改革の成功です。それ以外に興味はありません」
しかし、ミカエルとの面談の時、レオンは異変を感じた。
「もちろん、僕はレオンさんを支持します」 ミカエルが言う。「ただ……」
「ただ?」
「最近の中傷キャンペーンを見ていると、改革派にとって厳しい状況だと思うのです」 ミカエルの目が泳いでいる。「もう少し慎重になった方が良いのではないでしょうか」
「慎重に?」
「ええ。一度改革を中断して、世論が落ち着くのを待つとか」
レオンは彼を見つめた。この提案は、事実上の改革放棄に等しかった。
「君はそれが最善だと思うのか?」
「……はい」 ミカエルが小さく頷く。「現実的に考えると」
面談後、レオンはアルフィと話し合った。
「彼の反応はいかがでしたか?」 アルフィが尋ねる。
「明らかに動揺していた」 レオンが答える。「そして、改革の中断を提案してきた」
「なるほど。それは興味深い反応ですね」
「アルフィ、君の分析では?」
「状況証拠から判断すると、ミカエル・シュトラウスが情報提供者である可能性が高いです」 アルフィが慎重に答える。「ただし、確証を得るためには、もう少し調査が必要です」
その夜、レオンはエリーゼと密かに会談した。
「信じたくありませんが」 エリーゼが暗い表情で言う。「ミカエルの様子は確かに変です」
「君もそう思うか」
「ええ。特に、最近の彼の政治的発言は明らかに保守的になっています」
「なぜ彼が裏切ったと思う?」
エリーゼが深いため息をつく。「おそらく、圧力をかけられたのでしょう。家族への脅迫、経済的な困窮、あるいは単純に恐怖」
「恐怖?」
「改革が失敗した時の報復を恐れているのかもしれません。保守派は容赦ないですから」
翌日、決定的な証拠が見つかった。アルフィの詳細な通信記録調査により、ミカエルが保守派の人物と頻繁に連絡を取っていることが判明したのだ。
「これで確定ですね」 アルフィが報告する。「ミカエル・シュトラウスが情報提供者です」
レオンは深い失望を感じた。共に理想を語り、改革のために働いてきた仲間の裏切り。それは想像以上に心に重くのしかかった。
「どうしますか?」 エリーゼが尋ねる。
「まず、彼を問い詰める必要がある」 レオンが決断する。「そして、なぜ裏切ったのかを聞きたい」
その夜、レオンはミカエルを呼び出した。二人だけの密室で、真実を明かすことにした。
「ミカエル、君に聞きたいことがある」 レオンが静かに切り出す。
「何でしょうか?」 ミカエルの声に緊張が滲む。
「君は保守派に情報を流していたのか?」
ミカエルの顔が青ざめた。数秒の沈黙の後、彼は観念したように頷いた。
「……はい」
レオンは胸が痛んだが、同時に少し安堵した。少なくとも、彼は嘘をつき続けることはしなかった。
「なぜだ?」
ミカエルが震える声で答える。「家族を……妻と子供を脅迫されたんです」
「脅迫?」
「『改革派にいると、家族に危険が及ぶ』と言われました。そして、少しの情報を提供するだけで、家族の安全が保障されると」
レオンは拳を握りしめた。保守派の卑劣な手口に、怒りが込み上げてきた。
「それで君は……」
「最初は些細な情報だけでした」 ミカエルが涙を浮かべる。「でも、だんだんエスカレートして……気がついたら、重要な情報まで」
「家族が大切なのは分かる」 レオンが言う。「しかし、他に方法はなかったのか?」
「相談しようと思ったんです」 ミカエルが泣き声になる。「でも、『相談したら家族を殺す』と脅されて……」
レオンは深いため息をついた。ミカエルを責めることは簡単だが、同じ立場に立たされたら、自分はどうしただろうか。
「ミカエル、君の家族は今どこにいる?」
「保守派の『保護』下にあります」 ミカエルが苦しそうに答える。「名目上は安全のためですが、実質的には人質です」
「なるほど」 レオンが理解を示す。「つまり、君も被害者ということだ」
「レオンさん……」 ミカエルが驚いた表情を見せる。「怒らないのですか?」
「怒りはある」 レオンが正直に答える。「しかし、君を責めても解決しない。問題は、君の家族を救い、さらなる情報漏洩を防ぐことだ」
ミカエルの目に希望の光が宿った。
「家族を救ってくれるのですか?」
「当然だ」 レオンが力強く答える。「仲間の家族を見捨てるような改革など意味がない」
その後、レオンはアルフィとエリーゼと作戦を練った。
「ミカエルの家族救出作戦ですね」 アルフィが計画を立てる。「情報収集と同時進行で行う必要があります」
「保守派もまさか、家族救出まで想定していないでしょう」 エリーゼが言う。「不意を突けば成功の可能性は高いです」
「そして」 レオンが付け加える。「この件を公表することで、保守派の卑劣な手口を世間に知らしめることもできる」
翌日、レオンたちは慎重に救出作戦を実行した。アルフィの情報網と、エリーゼの政治的コネクションを駆使して、ミカエルの家族の居場所を特定。
深夜の奇襲作戦により、妻と二人の子供を無事に救出することに成功した。
「ありがとうございます!」 ミカエルが家族と再会し、涙を流して礼を言う。「本当にありがとうございます!」
「これで君も、心置きなく改革に参加できるだろう」 レオンが微笑む。
「はい! 今度こそ、全力でお支えします!」
しかし、この救出作戦には予期しない副次効果があった。保守派の人質作戦が公になることで、世論に大きな変化が生まれたのだ。
「保守派が家族を人質に取るなんて、ひどすぎる」 街角での市民の声が変わり始めた。
「レオン・グレイの中傷記事も、脅迫で無理やり書かせたものかもしれない」
「やっぱり改革が必要なのでは? こんな卑劣な手段を使う連中に政治を任せておけない」
アルフィの世論調査では、改革支持率が一気に45%まで回復していた。
「人は正義を求めているのですね」 アルフィが分析する。「卑劣な手段への反発は、予想以上に強いものでした」
「しかし、これで保守派も本気になるだろう」 エリーゼが警告する。「今度はもっと巧妙で危険な手段を使ってくるかもしれません」
レオンは頷いた。裏切りの兆しを察知し、それを乗り越えることで、改革派の結束はむしろ強まった。しかし、本当の戦いはこれからだった。
「皆さん」 レオンがメンバーたちを見回す。「今回の件で学んだことがあります。敵は外部だけにいるのではない。しかし、それ以上に大切なのは、真の仲間は困難な時にこそ分かるということです」
改革派のメンバーたちが、決意を新たにした表情で頷いた。
裏切りの兆しは、結果的に改革派をより強固な組織へと成長させた。そして、保守派との本格的な政治闘争への準備が、着実に整いつつあった。




