第6話「新しいスタート」
第1章のはじまりです。
「レオン・グレイを殺すのは、今夜だ」
ギルドの廊下で、俺はその声を聞いた。柱の影から漏れる密談に、背筋が凍る。
「商工会の件で調子に乗っている。今が好機だ」
「だが、あの審議会での逆転は予想外だった」
「エリーゼ・ローゼンめ……まさか商工会の嘆願書を用意していたとは」
――そうか、あれから一週間。
再追放の危機は、エリーゼの機転で回避された。商工会からの「レオン・グレイの技術は王国に不可欠」という嘆願書が、保守派の攻撃を封じた。リリアも一命を取り留めた。犯人の下っ端は逮捕されたが、黒幕は依然として闇の中。
そして今、奴らは新たな手段に出ようとしている。
俺は足音を殺して受付へ向かった。何も聞かなかったふりをして。
「レオン・グレイ様でございますね」
受付のシルヴィアが頭を下げる。その手が微かに震えているのを、俺は見逃さなかった。彼女も何か知っているのか。
「王国商工会からの特別依頼です」
差し出された依頼書を手に取った瞬間、違和感が走った。紙の端が妙に新しい。まるで急いで作られたような――
『大型商業魔法陣の最適化業務』
報酬欄の数字は今までの十倍以上。だが、アルフィの声が頭に響く。
『レオン、この依頼書の魔法印が不自然です。偽造の可能性があります』
罠か? それとも本物か?
「この依頼、正式なルートで来たものですか?」
俺の問いに、シルヴィアの顔が青ざめた。
「じ、実は……」
シルヴィアが声を潜める。
「上層部から直接来た指示なんです。通常の手続きを省略して、今すぐあなたに渡せと」
やはり何かがおかしい。だが――
『レオン、興味深いことに依頼内容自体は本物のようです』
アルフィの分析が続く。
『商業区画の魔法陣は確かに老朽化しています。これを解決できれば、あなたの立場は飛躍的に向上するでしょう』
罠だとしても、乗るしかない。俺には力がある。アルフィがいる。
「分かりました。受けましょう」
シルヴィアが安堵と恐怖の入り混じった表情を見せた。
「どうか、お気をつけて」
彼女の警告は、俺の不安を確信に変えた。これは間違いなく罠だ。
* * *
* * *
商業区画の地下制御室。
「遅いじゃないか、レオン・グレイ」
部屋に入った瞬間、複数の人影が俺を取り囲んだ。保守派の魔術師たち。やはり罠だった。
「まさか本当に来るとはな」
リーダー格の男が嘲笑う。
「お前のような下等な男が、商業区画の心臓部に触れることは許されない」
「お前には失敗してもらう。この魔法陣を破壊した罪で、今度こそ完全に追放だ」
『レオン、彼らの魔力レベルは大したことありません』
「この依頼自体は本物なんだろう?」
男たちが顔を見合わせる。
「……それがどうした」
「なら、やらせてもらう」
「やめろ!」
保守派の魔術師たちが一斉に術式を展開する。
『解析完了。回避パターンを表示します』
アルフィの指示通りに身体を動かす。紙一重で魔法を避けながら、俺は魔法陣に近づいた。
縦横十メートルの巨大な陣式。三十年分の改修が積み重なった構造。
「美しい」
欠陥だらけで非効率で、それでも三十年間、王都の商業を支え続けた魔法陣。
「お前に何が分かる!」
『レオン、戦闘モードに移行します』
世界が変わった。色とりどりの光が視界を埋め尽くす。
「止めろ! お前なんかに触らせるものか!」
火球が飛ぶ。氷の槍が迫る。雷撃が走る。
『左に23センチ、しゃがんで、右手で第三层に触れて』
アルフィの指示は的確だった。攻撃を紙一重で避けながら、同時に魔法陣の解析を進める。
「なんだ、こいつ……」
「やめろぉぉぉ!」
保守派のリーダーが最大級の魔法を放つ。部屋全体を焼き尽くすほどの炎。
だが――
『今です』
俺は魔法陣の中央に手を置いた。
瞬間、魔法陣全体が呼応した。三十年間蓄積されたエネルギーが、俺を守るように立ち上がる。炎は障壁に阻まれ、霧散した。
「な、なぜ魔法陣が男なんかに……」
「簡単なことだ」
俺は静かに答えた。
「魔法陣に性別なんて関係ない。必要なのは理解と、敬意と、技術だけだ」
『解析完了。最適化を開始できます』
アルフィの声に頷く。さあ、本当の仕事を始めよう。
保守派たちは、もはや攻撃する気力も失っていた。
俺が魔法陣に触れるたび、それが喜びの光を放つ。まるで、ずっと待っていた救世主を迎えるように。
「どうして……どうして男のお前に……」
リーダーが膝をついた。
その時、入口から人影が現れた。
「その答えは簡単よ」
エリーゼだった。その後ろには、ギルドの査察官たちが控えている。
「実力に性別は関係ない。あなたたちが証明してくれたわ」
「ま、まさか最初から……」
「ええ。すべてお見通しよ」
保守派たちが連行されていく中、俺は改めて魔法陣と向き合った。
今度は誰にも邪魔されない。純粋に、技術者として。
* * *
『レオン、集中してください。これから行う作業は極めて繊細です』
アルフィの声がいつもより真剣だった。
俺は深呼吸をして、魔法陣に手をかざした。
指先が震えた。これほど巨大で複雑な陣式を扱うのは初めてだ。
『大丈夫です。私がついています』
アルフィの声に、不思議な温かさを感じた。まるで、本当に誰かがそばにいるような――
俺の手が動いている。確かに俺の意思で動いている。だが同時に、誰かに導かれているような――
『効率が上がってきました。あと少しです』
本当にアルフィの指示通りに動いているだけなのか? それとも、俺自身の技術なのか?
境界線が曖昧になっていく。
最後の工程。新しい制御方式の導入。
『レオン、ここが最も重要です』
アルフィの声に緊張が混じる。
『失敗すれば、すべてが水の泡になります』
分かっている。だからこそ――
「アルフィ」
俺は小さく呟いた。
「俺を信じてくれ」
一瞬の沈黙。そして――
『もちろんです。あなたなら必ずできます』
その言葉に、俺の中で何かが変わった。アルフィはただの道具じゃない。パートナーだ。
俺たちなら、できる。
「完成だ」
最後の調整を終えた瞬間、魔法陣全体が呼応した。
眩い光が部屋を包む。春の陽だまりのような、優しく温かい輝き。
「効果は……従来の3.2倍」
ハロルドの声が震えている。
「消費エネルギーは42%削減。これは奇跡だ」
だが、俺の心には別の感情が渦巻いていた。
これは、俺の力なのか? アルフィの力なのか? それとも――
『お見事でした、レオン』
アルフィの声に、確かに感情のようなものを感じた。
その時、入口から新たな人影が現れた。
「レオン・グレイ」
見知らぬ黒衣の男。その目には、冷たい殺意が宿っていた。
「保守派の恥さらしどもは失敗した。だが、俺は違う」
男が剣を抜く。その刃に、見たことのない紋様が刻まれている。
『警告! 対魔術師用の特殊武器です』
アルフィの声に緊張が走る。
『あれは〈沈黙の刃〉。魔力を完全に無効化する古代の――』
戦いは、まだ終わっていなかった。