第50話「新たな脅威の兆候」
王都の朝は、いつもと変わらぬ穏やかさで始まった。
しかし、レオン・グレイの胸の奥では、説明のつかない不安が渦巻いていた。
「何だろう、この感覚は……」
自宅の窓辺に立ち、王都を見下ろしながら、レオンは眉を寄せた。視界に広がる街並みは平和そのものだった。商人たちが荷車を引いて通りを行き交い、魔法使いたちが空中に浮かぶ文字で看板を描いている。
だが、その奥で――見えない何かが、蠢いている。
「レオン」
アルフィの声が、いつもより心配そうに響く。
「どうかしましたか? 朝から落ち着きがありませんね」
「分からない」レオンは首を振った。「ただ……何かが違う。空気が、重い」
アルフィの投影像が、レオンの隣に現れた。第45話での共感能力獲得以来、彼女の表情はより人間らしくなっている。
「データ上では異常は検出されていません。しかし……」
「しかし?」
「あなたの直感は、これまで何度も正しかった。第35話の古代魔導書解読でも、第49話の危機察知でも」
レオンは窓ガラスに手をつく。冷たい感触が、不安を現実に引き戻した。
「アルフィ、王都周辺の魔力測定データを見せてくれ」
「承知しました」
空中に数値の羅列が浮かび上がる。一見すると、すべて正常値の範囲内だった。
だが――
「待って」レオンの瞳が鋭くなる。「この微細な変動パターン……」
数値を見つめるうち、第3章で覚醒した才能が反応した。古代知識との直感的照合能力――データの向こう側にある真実を見抜く力。
「この魔力パターン……古代文献で見たことがある」
心臓が早鐘を打ち始める。古代魔導書で学んだ知識が、警鐘を鳴らしていた。
「アルフィ、地質データも重ね合わせて分析してくれ」
「実行します」
新たな図表が現れる。そして――
「これは……」アルフィの声に、初めて聞く動揺が混じった。
地質データと魔力測定の統合分析。そこに浮かび上がったのは、理論上存在しないはずのパターンだった。
「千年前の古代文明崩壊時と、同じ予兆だ」
レオンの顔が青ざめる。
古代魔導書で学んだ知識が、脳裏に蘇った。古代文明を滅ぼした災厄――それは突然現れたわけではない。必ず、前兆があった。
魔力の微細な変動。地下深くからの異常な共鳴。そして――
「古代魔獣の覚醒」
言葉にした瞬間、窓の向こうで小さな地鳴りが響いた。
「レオン!」
アルフィの声が緊迫する。
「王都地下、深度1200メートル地点で大規模な魔力反応を検出しました。そして……」
「そして?」
「反応パターンが、徐々に活性化しています。まるで何かが、目覚めつつあるように」
レオンは拳を握りしめた。第3章で得た経験が、今こそ試される時だった。
研究室に向かう途中、街の人々とすれ違う。誰もが平和な日常を送っている。この美しい日常を守らなければならない。
「マルクス、リリア、エリーゼを呼んでくれ」
「既に連絡済みです」アルフィが答える。「あなたの表情を見て、緊急事態だと判断しました」
研究室に着くと、仲間たちが既に集まっていた。
「レオン、どうした?」マルクスが振り返る。「アルフィから緊急召集の連絡が……」
「古代魔獣が覚醒しつつある」レオンは単刀直入に告げた。
室内に重い沈黙が落ちる。
「まさか」リリアが息を呑む。「でも、古代魔獣なんて伝説の……」
「伝説じゃない」レオンは首を振る。「俺たちが解読した古代魔導書に、明確に記述されていた。そして今、その前兆が現れている」
エリーゼが立ち上がる。
「つまり、王国全体が危険にさらされる可能性があるということね」
「その通りだ」
レオンは古代文献照合による直感的判断を説明した。データの向こう側にある真実――それは数値では表せない危険性だった。
「でも、ギルドに報告すれば……」マルクスが言いかけて、口を閉ざす。
第3章での弾圧を思い出したのだ。ギルドは彼らの警告を信じるだろうか。
「ギルドは『誤差範囲内』だと一蹴するだろう」レオンが苦々しく呟く。「数値上は正常なんだから」
「でも、パターンが違う」
アルフィが分析結果を投影する。
「通常の魔力変動と比較すると、周期性に0.3%の差異があります。わずかですが、レオンの指摘通り、確かに『違い』があります」
「0.3%……」リリアが数値を見つめる。「確かに誤差として処理されそうな範囲ね」
「しかし、古代文献のパターンと照合すると……」レオンの瞳が光る。「完全に一致する」
これが、第3章で覚醒した彼の真の才能だった。データの向こう側にある本質を見抜く力。古代の叡智と現代の知識を統合する能力。
「信じるよ、レオン」マルクスが頷く。「君の直感は、いつも正しかった」
「私たちも」リリアとエリーゼが同時に答える。
アルフィの投影像が、安堵の表情を見せる。
「ありがとう、みんな」
レオンは深く息を吸う。第3章で培った仲間との絆が、今こそ力になる。
「しかし、これは始まりに過ぎない」
窓の外で、また小さな地鳴りが響いた。今度は、他の人々も気づいたようだ。困惑の声が街から聞こえてくる。
「覚醒までどのくらい?」エリーゼが尋ねる。
「古代文献によれば……」レオンは目を閉じ、記憶を辿る。「前兆から完全覚醒まで、72時間」
「3日間」マルクスが呟く。
「その間に、対策を立てなければならない」
アルフィが新たなデータを表示する。
「問題があります。この規模の古代魔獣に対処できる戦力は、王国軍でも不足です」
「なら、俺たちがやるしかない」
レオンの声に、迷いはなかった。第3章で学んだ責任の重さを、彼は知っている。
「でも、どうやって?」リリアが不安そうに問う。
「古代文献に、手がかりがあるはずだ」レオンは古代魔導書の記憶を辿る。「魔獣を『倒す』方法ではなく、『理解する』方法が」
第3章で学んだ教訓――知識の真の力は、破壊ではなく理解にある。
「理解……」アルフィが反復する。「興味深いアプローチですね」
「まずは、情報収集だ」レオンが立ち上がる。「俺たちだけの力では限界がある。他の勢力との協力も必要になるかもしれない」
「セレナさんたちとも?」エリーゼが尋ねる。
「思想的対立はある。でも、王国の危機の前では……」
レオンは窓の外を見る。平和な街並み。守るべき人々の生活。
「協力できるはずだ」
その時、研究室のドアがノックされた。
「入れ」
現れたのは、意外な人物だった。
「レオン・グレイ」
ギルドの使者が、緊張した面持ちで立っている。
「緊急招集です。王都に異常事態が発生している可能性があります」
レオンと仲間たちは視線を交わす。
ギルドも、ついに異常に気づいたのだ。
「分かった。すぐに向かう」
レオンは覚悟を決める。これまでの全ての経験が、この瞬間のためにあったのかもしれない。
古代魔獣の覚醒。王国の危機。そして、真の実力を試される時。
「みんな、行こう」
「はい」
アルフィの声に、第45話で獲得した共感能力が込められている。もう一人で戦うのではない。真の仲間たちと共に。
研究室を出る前に、レオンは振り返った。
「これが、俺たちの本当の戦いの始まりだ」
窓の向こうで、微かに空が震えている。
古代の脅威が、今、目覚めようとしていた。
しかし、レオン・グレイは微笑む。第3章で得た成長、仲間との絆、そしてアルフィとの真のパートナーシップ。
すべてが、この時のために。
「俺たちなら、必ず道を見つけられる」
確信を胸に、レオンは新たな戦いに向かった。
古代の叡智と現代の創造性を融合させて。
※
王都の地下深くで、何かが蠢いている。
千年の眠りから、徐々に覚醒しつつある存在。
それは人類への試練であり、同時に――知識の真の意味を問う、古代からの問いかけでもあった。
答えを見つけられるのは、果たして誰なのか。
運命の72時間が、今、始まる。




