第37話「思想の衝突」
「その解読方法は学術的根拠に欠けている」
セレナ・エーデルハイトの冷たい声が、王国文化財保護委員会の共用研究室に響いた。
彼女の言葉に、俺の眉がぴくりと動く。古代魔導書の解読を巡って、ついに直接対決の時が来たようだ。
「学術的手法こそが正義だと?」
俺は振り返り、セレナと向き合った。彼女の瞳には、揺るぎない信念が宿っている。
「当然でしょう」
セレナは資料を手に立ち上がる。
「千年以上かけて蓄積された学術的方法論を無視して、『直感』で解読するなど――」
「でも、実際に成果を出している」
俺は静かに反論する。
「君たちの学術的アプローチでは、三日間何も進展がなかった」
* * *
「それは一時的な停滞に過ぎません」
セレナの声に苛立ちが混じる。
「正しい方法論に従えば、必ず解答に辿り着けます」
「本当にそうか?」
俺は古代魔導書を指差す。
「この魔導書は、そもそも現代の方法論が確立される前のものだ」
セレナの表情が険しくなる。
「だからこそ、体系的なアプローチが必要なのです」
「いや、違う」
俺は首を振る。
「古代の叡智を理解するには、当時の思考方法に近づく必要がある。それには直感と感覚も重要だ」
二人の間に重い沈黙が流れた。そこに、カイル・ウィンザーが割って入る。
「あの、お二人とも――」
* * *
カイルは困った表情で俺たちを見回す。
「どちらの方法にも価値があるのでは?」
「カイル、あなたまで」
セレナが振り返る。
「この男の非科学的な方法を認めるというの?」
「非科学的じゃない」
俺は訂正する。
「まだ科学で説明できないだけだ」
セレナの瞳が鋭くなる。
「その違いが分からないから、あなたは――」
彼女は言葉を切り、過去を語り始めた。
「私は何の才能もない平凡な魔術師でした」
* * *
セレナの告白に、室内の空気が変わった。
「でも、努力で全てを克服してきた」
彼女の声に誇りが滲む。
「一日十六時間の勉強、千冊以上の文献研究、数え切れない実験の繰り返し」
「それは素晴らしいことだ」
俺は素直に認める。
「君の努力は尊敬に値する」
「なら、なぜ――」
セレナの声が震える。
「なぜ『直感』などという曖昧なもので、私の努力を否定するの?」
「否定なんかしていない」
俺は真剣に答える。
「ただ、才能と努力は対立するものじゃない。両方を融合させることが大切だと思うんだ」
* * *
「融合?」
セレナは嘲笑する。
「才能ある者の傲慢な言葉ね」
「違う」
俺は首を振る。
「俺も最初は何もできなかった。才能があっても、それを活かす努力がなければ意味がない」
『レオン……』
アルフィの心配そうな声が響く。この議論が激化することを案じているのだろう。
「でも、あなたには最初から才能があった」
セレナの目に悔しさが滲む。
「私のような凡人とは、スタートラインが違う」
「だからこそ『平等』の定義が重要なんだ」
俺は一歩前に出る。
「結果の平等を求めるのか、機会の平等を求めるのか」
* * *
セレナは息を呑んだ。
「何が言いたいの?」
「君は努力で多くを成し遂げた。それは君の才能だ」
俺は続ける。
「努力を継続できることも、一つの才能なんだ」
セレナの表情が揺れる。
「詭弁よ」
「いや、真実だ」
カイルが間に入る。
「お二人とも、少し冷静に――」
しかし、セレナは首を振った。
「あなたとは分かり合えない」
彼女は踵を返す。
「でも――」
扉の前で振り返った彼女の目には、わずかな迷いがあった。
「あなたの考え方も、完全に間違っているとは思わない」
* * *
セレナが去った後、カイルが溜息をついた。
「難しい問題ですね」
「ああ」
俺も疲れを感じる。
「でも、避けては通れない」
『レオン』
アルフィの声が響く。
『私は……心配です』
「心配?」
『はい。あなたとセレナさんの対立が、もっと大きな亀裂を生むのではないかと』
アルフィの新しい感情――心配が、より複雑になっているのを感じる。
「大丈夫だ」
俺は微笑む。
「いつか、きっと分かり合える」
しかし、窓の外を見ながら、俺は予感していた。この思想的対立は、解読競争をさらに激化させることになると――。




