第33話「第三の道」
その日、王都中央広場に設置された演壇に、二つの相反する思想が立ち上がった。
「本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」
セレナ・エーデルハイトが優雅に一礼する。彼女の背後には、完璧に整列した査問官たちの姿があった。
「対して俺たちは――」
俺は仲間たちと共に演壇に立つ。
「少数ですが、信念を共にする仲間たちです」
* * *
公開討論会。セレナ自らが提案した、思想対決の場だった。
観客席には王都の有力者から一般市民まで、様々な階層の人々が詰めかけている。彼らの視線が、俺たちに注がれていた。
「では、始めましょう」
セレナが口を開く。
「私の主張は、痛ましい現実に基づいています。能力のある者が理不尽に排除され、無能な者が権力を握る社会では、真に優秀な人材が犠牲になります」
彼女の声に、深い痛みと確信が混在していた。
「私は父を失いました。天才的な研究者でありながら、性別という理由だけで排除され、絶望の中で命を絶った。このような悲劇を二度と起こさないためには、純粋に能力のみを基準とした社会が必要なのです」
観客席からざわめきが起こる。
「対して、レオン・グレイ。あなたの主張は何ですか?」
俺は深呼吸した。
「あなたの父上の悲劇は理解できます。そして、その痛みから生まれた理想も」
「でも、能力の定義そのものが根本的に間違っている」
* * *
「間違っている?」
セレナの眉が上がる。だが、その表情には痛みも混じっていた。
「魔力量、知識量、技術力。これらは客観的に測定可能な能力です。私の父は全てにおいて優秀でした。それでも排除された。だからこそ、感情的判断を排した純粋な能力評価が必要なのです」
「それは能力の一部に過ぎない」
俺は前に出た。
「人を思いやる心、困難を乗り越える意志、仲間と協力する力。これらも立派な能力だ」
観客席が静まり返る。
「あなたの父上が排除されたのは、確かに理不尽でした。でも、その解決策として『測定可能な能力のみ』に依存するのは、別の種類の不公正を生む」
セレナの表情が変わった。
「別の不公正?」
「そうだ」俺は確信を込めて続ける。「誰が測定基準を決めるのか?その基準に含まれない価値は無視されるのか?あなたのシステムでも、結局は測定する側の主観が入り込む」
セレナが沈黙した。彼女の最も痛い部分を突いたのだ。
俺は観客席を見回した。
「完璧に計算された社会に、どれだけの人が幸せを感じるだろう?」
* * *
「興味深い議論ですね」
エリーゼが前に出る。
「政治学の観点から申し上げますと、歴史は明確な教訓を示しています」
セレナがエリーゼを見る。
「どのような?」
「多様性を排除した社会は、必ず脆弱性を抱えます」
エリーゼの声に、深い知性が響く。
「古代魔導帝国、ドワーフ技術国家、エルフ純血主義王朝。全て同質化を進めた結果、外的変化に対応できずに滅亡しました」
観客席がどよめく。
「対して現在まで存続している国家は、例外なく多様性を受け入れています」
セレナの表情が変わった。
「それは偶然の産物です」
「偶然ではありません」
エリーゼが資料を取り出す。
「多様性こそが、予期せぬ危機への適応力を生むのです」
* * *
『データを提示いたします』
アルフィの声が広場に響く。
『1000年の歴史を分析した結果――』
空中に文字が浮かび上がる。
『均質化を進めた社会の平均存続期間:147年』
『多様性を維持した社会の平均存続期間:523年』
観客席が騒然となる。
「これは統計的有意差を示しています」
セレナが反論する。
「統計の解釈は恣意的です。相関関係は因果関係を意味しません」
『追加データ』
アルフィが続ける。
『技術革新の発生率:多様性社会が2.3倍高い』
『危機対応の成功率:多様性社会が1.8倍高い』
『社会満足度指数:多様性社会が1.4倍高い』
セレナの顔が青ざめる。
「だから言ったでしょう」
俺は微笑んだ。
「多様性こそが社会の強さの源泉だと」
* * *
「仮にその通りだとしても」
セレナが反撃する。
「現実問題として、どう実現するのですか?多様性を認めれば混乱が生じます」
「第三の道があります」
俺は観客席を見回した。
「『完全平等』でも『能力独裁』でもない、新しい社会システム」
セレナの目が鋭くなる。
「具体的には?」
「多様な能力を活かし合う社会です」
俺は手を広げた。
「魔力の強い者は魔法で貢献する。技術に長けた者は発明で貢献する。人の心を理解する者は調停で貢献する」
エリーゼが続ける。
「そして、それぞれの貢献が等しく評価される仕組みを作る」
マルクスも前に出る。
「技術的には可能だ。多元的評価システムの構築は十分実現可能」
リリアも頷く。
「学問的にも理論的基盤は整っています」
* * *
「美しい理想ですが、現実は非情です」
セレナの声に、父を失った痛みが滲む。
「私も一度は、あなたのような理想を信じました。話し合いと理解で社会を変えられると。しかし、現実は――」
彼女の手が微かに震える。
「理想を語る間に、有能な人間が次々と犠牲になる。そんな複雑で時間のかかるシステムでは、私の父のような悲劇を防げません」
「機能させてみせます」
俺は確信を込めて答えた。
「実現可能な具体策があります」
セレナの目が光る。
「例えば?」
「まず小規模な試験運用から始める。成功事例を積み重ねて、段階的に拡大していく」
俺は仲間たちを見回した。
「俺たちが最初の実証実験になります」
観客席がざわめく。
「男性と女性、技術者と学者と政治家、そしてAI。それぞれ異なる能力を持つ者たちが、対等に協力する」
エリーゼが微笑む。
「私たちの成功が、新しい社会モデルの証明になります」
* * *
セレナが長い間、沈黙していた。
その間、彼女の表情に様々な感情が浮かんでは消えた。父への想い、理想への渇望、そして――希望?
やがて、彼女は口を開く。
「あなたの言葉には、かつて私が信じていた理想の残響があります」
その声に、深い感慨があった。
「しかし、私は既に絶望を知っています。理想が現実に敗北することを」
セレナが俺を見つめる。
「それでも――あなたたちがその『第三の道』を実現できるというなら、見せてもらいましょう」
俺は頷いた。
「必ず実現してみせます。そして、あなたの父上のような悲劇を、二度と起こさせません」
「ただし」
セレナの目に、複雑な光が宿る。
「失敗した時は、私のシステムを受け入れてもらいます。それが、理想に殉じた人々への最低限の敬意です」
「分かりました」
俺は手を差し出した。
「お互い、自分の理想に責任を持ちましょう」
セレナが俺の手を握る。
「約束です」
* * *
討論会が終わり、観客たちが帰っていく。
「どうでした?」
エリーゼが聞く。
「悪くない」
俺は空を見上げた。
「少なくとも、俺たちの考えを理解してもらえた人はいる」
『興味深い結果でした』
アルフィの声が響く。
『セレナの論理も、あなたたちの理念も、それぞれに説得力があります』
「そうだな」
俺は頷く。
「だからこそ、実証が必要なんだ」
マルクスが資料をまとめる。
「理論だけじゃ人は動かない。結果を見せることが大切だ」
リリアも同意する。
「学問の世界でも同じです。仮説は実験で証明されて初めて真理になる」
* * *
夕日が王都を赤く染める中、俺たちは歩いていた。
「次は実践の番ですね」
エリーゼが呟く。
「俺たちの理想を、現実のものにする」
俺は拳を握った。
「簡単じゃないだろうな」
「でも」
マルクスが笑う。
「やりがいはありそうだ」
リリアも頷く。
「人類史上初の試みですから」
『私も楽しみにしています』
アルフィの声に、期待が込められている。
『真の多様性社会の実現。それは私にとっても新しい体験です』
俺は仲間たちを見回した。
「これが俺たちの道か」
俺は心の中で呼びかける。
セレナの完璧主義でもなく、現状の不平等でもない。第三の道。
多様な能力を認め合い、支え合う社会。
「必ず実現してみせる」
俺は空に向かって宣言した。
新しい未来への、第一歩を踏み出すために。




