第32話「仲間の真価」
セレナからの挑戦状が届いた翌朝。俺たちを待っていたのは、想像を絶する孤立だった。
「また一人、協力を断られました」
エリーゼが重いため息をつく。昨日まで俺たちの活動を支援してくれていた商工会の幹部が、手のひらを返したように態度を変えたのだ。
「政治的圧力ってやつか」
俺は窓の外を見た。街角で囁かれる噂、カフェで交わされる視線。全てが俺たちを警戒している。
* * *
「レオンたちと関わると危険」
そんな風評が、一夜にして街中に広まっていた。
「すごい情報戦術だな」
マルクスが皮肉っぽく笑う。
「技術的には見事と言うしかない。恐怖心を煽って、支援者を孤立させる。セレナの手際は完璧だ」
リリアも資料を見ながら頷く。
「学問的観点から見ても、これは非常に高度な心理操作です。人間の保身本能を巧妙に利用している」
俺の胸に、冷たいものが広がった。
(これが現実か……)
昨日まで俺たちの理想に共感してくれていた人たちが、次々と離れていく。家族を守るため、生活を守るため、そして何より自分自身を守るために。
「私たちはもう孤立無援ね」
エリーゼが呟く。その声に、初めて聞く諦めが滲んでいた。
* * *
『レオン』
アルフィの声が響く。
『協力者の離脱率は現在82%。このままでは活動継続が困難です』
「分かってる」
俺は拳を握った。
『撤退を検討すべきかもしれません』
その時だった。
「撤退?」
マルクスが立ち上がる。
「何を言ってるんだ。俺は最後まで付き合うぞ」
俺は驚いて振り返った。
「マルクス……でも君の工房は?」
「工房なんてどうでもいい」
マルクスが拳を振る。
「俺は技術者だ。技術の純粋性を政治利用されることが我慢できない。それが俺の信念だ」
リリアも資料を置いて立ち上がった。
「私も同感です」
「リリア?」
「学問の自由を守る。それが研究者としての私の責任です」
リリアの目に、強い意志の光が宿っている。
「大学からの圧力なんて、知ったことではありません」
* * *
エリーゼがゆっくりと立ち上がった。
「そうね」
彼女の声に、先ほどまでの諦めは微塵もない。
「家族を失っても、私はこの道を選んだ」
エリーゼが俺を見る。
「300年続く名門を捨ててまで、正義を貫こうと決めた。今さら引き下がるわけにはいかない」
俺の胸が熱くなった。
(こいつら……)
『興味深い現象です』
アルフィの声に、微かな驚きが滲んでいる。
『論理的に考えれば、撤退が最適解のはずです。なぜ彼らは損失の大きい選択を?』
「簡単だ」
俺は微笑んだ。
「これが人間の絆ってやつだ」
* * *
「よし」
俺は手を叩く。
「協力者が減ったなら、俺たちだけでやればいい」
マルクスが頷く。
「むしろ動きやすくなったかもしれん」
「そうです」
リリアが資料を整理し始める。
「少数精鋭の利点を活かしましょう」
エリーゼも席に戻る。
「各自の専門性を最大限に活用して、分散型の情報収集を開始しましょう」
俺は地図を広げた。
「マルクスは技術畑のネットワーク」
「任せろ」
「リリアは学術関係者」
「了解しました」
「エリーゼは……元貴族のコネクション」
エリーゼが苦笑する。
「勘当されても、情報源は残ってるものね」
「そして俺は一般市民の声を拾う」
俺は仲間たちを見回した。
「俺たちは一人じゃない」
* * *
『理解できません』
アルフィの声が困惑を含んでいる。だが、以前とは違う種類の困惑だった。知識不足からではなく、感情的な理解を求めている。
『なぜ効率の悪い選択を?なぜリスクの高い道を?論理的分析では、撤退が最適解です』
「アルフィ、君も最近変わったな」
俺は気づいた。
「以前なら、データを示して指示をくれた。でも今は、俺たちの判断を理解しようとしている」
『それは……そうですね。私も学びたいのです』
「効率だけが全てじゃないからだ」
俺は答える。
「俺たちには、数では測れないものがある」
『それは何ですか?教えてください』
「信頼だ」
マルクスが答える。
「お互いを信じる気持ち」
リリアも頷く。
「困難な時こそ、真の関係性が試される」
エリーゼが微笑む。
「私たち、お互いの弱さも含めて受け入れてるのよ」
『弱さも……?』
「そうだ」
俺は窓際に立った。
「完璧な人間なんていない。みんな何かしら欠けているし、間違いも犯す」
外の街で、セレナの工作員たちが動き回っている。完璧に計算された戦術で、俺たちを追い詰めようとしている。
「でも、だからこそ美しいんだ」
『美しい?』
「ああ。不完全だからこそ、お互いを支え合う。弱いからこそ、共に強くなろうとする」
俺は振り返った。
「それが人間の絆の真価だ」
* * *
『人間の絆の強さを……実感しています』
アルフィの声に、今まで聞いたことのない温かさがあった。感情を学習し始めた証拠だ。
『数値では表せない価値が、確かに存在するのですね。私も、この感覚を理解したいです』
「そういうこと。アルフィ、君も俺たちの仲間だから」
『仲間……』
アルフィが呟く。その声に、深い感動が宿っていた。
俺は仲間たちを見回す。
「少数でも、心が通じ合っている仲間がいれば――」
マルクスが立ち上がる。
「どんな困難も乗り越えられる」
リリアが資料を抱える。
「知識と情熱があれば、道は開ける」
エリーゼが地図を指差す。
「小さな力でも、正しい方向に向ければ大きな変化を生める」
俺は頷いた。
「よし、始めよう」
セレナの情報戦は確かに巧妙だった。でも、彼女は一つ計算し損ねた。
人間の心には、論理では説明できない力がある。困難な時こそ結束する、不思議な絆が。
* * *
夕方。俺たちはそれぞれの情報収集から戻ってきた。
「予想以上の収穫だ」
マルクスが資料を広げる。
「技術者たちの間では、セレナの手法に疑問を持つ声も多い」
リリアも頷く。
「学術界でも同様です。論理だけでは割り切れない問題があることを、みんな理解している」
エリーゼが微笑む。
「貴族社会でも、私の勘当を『勇気ある決断』と評価する人がいる」
俺も報告する。
「一般市民の反応も悪くない。セレナの完璧主義に息苦しさを感じている人が多い」
『興味深いデータです』
アルフィが分析を始める。
『セレナの戦術は論理的には完璧ですが、感情的な反発を生んでいる』
「そうだ」
俺は立ち上がった。
「セレナの弱点が見えた」
仲間たちが俺を見る。
「彼女は人間の心の複雑さを理解していない」
* * *
その時、執務室のドアが静かに開いた。
入ってきたのは、見覚えのない老人だった。質素な服装だが、目に深い知性の光を宿している。
「失礼いたします」
老人が丁寧に頭を下げる。
「私は元王立図書館長のアーサー・ペンドラゴンと申します」
俺たちは驚いて立ち上がった。王立図書館長といえば、王国の知識人の頂点に立つ人物だ。
「あの……何のご用で?」
エリーゼが恐る恐る尋ねる。
「実は」
老人が微笑む。
「あなたたちの活動に、深く感銘を受けました」
俺の心臓が跳ね上がった。
「私も協力させていただけないでしょうか?」
沈黙が流れる。そして――
「もちろんです」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
孤立無援だと思っていた俺たちに、新しい希望の光が差し込んだ。
真の仲間は、最も困難な時に現れる。
セレナよ、これが人間の絆の真価だ。




