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第31話「情報戦の新段階」

 前代未聞の情報戦争が、始まろうとしていた。


 セレナの第一撃は予想を遥かに超える巧妙さで、俺たちの足元を揺るがす。街角に張られたビラ、カフェで囁かれる噂、商工会の会議室で交わされる密談。全てが計算し尽くされた情報戦術だった。


 「『男性に騙される愚かな女性たち』か……」


 エリーゼが手にしたビラを読み上げる。その声に、初めて聞く怒りが滲んでいた。


  *   *   *


 「セレナは本格的に来たな」


 俺は執務室の窓際に立ち、街を見下ろした。朝の活気に満ちた通りの向こうで、セレナの情報工作員たちが動いている。見えない糸で操られた人形のように、彼らは計算された噂を拡散していく。


 「エリーゼの勘当を『家族も見捨てる危険思想』として利用するとは」


 マルクスが苦い表情で資料を整理している。


 「技術的には見事だ。真実を巧妙に歪めて、相手の弱点を最大限に活用している」


 リリアも頷く。


 「学術的観点から見ても、これは高度な心理操作です。感情に訴えかける要素と論理的な説得力を絶妙に組み合わせています」


 俺の胸に、熱いものが込み上げた。


 (こんな卑怯なやり方で……)


 『レオン』


 アルフィの声が割り込む。


 『データ分析の結果、セレナの戦術は確かに効果的です。しかし――』


 「しかし?」


 『データのみでは対抗困難。人間の感情的要素が必要です』


 俺は振り返った。


 「つまり?」


 『あなたたちの真実を、心に響く形で伝える必要があります』


  *   *   *


 「心に響く形……」


 俺は呟いた。セレナの情報戦は確かに巧妙だ。だが、そこには決定的な弱点がある。


 彼女の戦術は計算され過ぎている。論理的で、効率的で、完璧に近い。でも――


 「人の心は、そんなに単純じゃない」


 エリーゼが俺の言葉を受け取る。


 「データや論理だけじゃ動かないものがある」


 「そうだ」


 俺は頷く。


 「俺たちには、セレナにはないものがある」


 マルクスが眉を上げる。


 「何だ?」


 「体験だ」


 俺は仲間たちを見回した。


 「エリーゼが家族を失ってまで貫いた信念。マルクスが技術者として譲れないもの。リリアが学者として守りたいもの。そして俺が追放から学んだこと」


 室内の空気が変わった。


 「これは単なる情報じゃない。俺たちが生きてきた証だ」


 『興味深い発想です』


 アルフィの声に、微かな変化があった。


 『データでは測れない要素を、どのように活用するのですか?』


 「簡単だ」


 俺は微笑む。


 「事実を『物語』として伝える」


  *   *   *


 「物語?」


 リリアが首を傾げる。


 「はい。セレナは事実を論理的に操作している。でも俺たちは、事実を感情的な真実として伝える」


 俺は地図を広げた。


 「例えば、エリーゼの勘当。セレナは『危険思想に染まった女性』として描いている。でも本当は?」


 エリーゼの表情が変わる。


 「本当は……」


 「300年続く名門を捨ててまで、正義を貫こうとした女性の物語だ」


 エリーゼの目に、涙が滲んだ。


 「レオン……」


 「マルクスの場合は?」


 俺はマルクスを見る。


 「出世や金よりも、技術の純粋性を選んだ職人の誇り」


 マルクスが拳を握る。


 「リリアは、真理の探求を政治利用されることを拒んだ学者の良心」


 リリアが深く頷く。


 「そして俺は――」


 俺は胸に手を当てた。


 「理不尽に追放されても、復讐ではなく改革を選んだ男の成長物語」


  *   *   *


 『なるほど』


 アルフィの声に、今まで聞いたことのない温かみがあった。


 『論理ではなく、共感で人の心を動かすのですね』


 「そうだ。セレナの論理的な攻撃に対して、俺たちは感情的な真実で応える」


 俺は仲間たちを見回す。


 「これがAIと人間の真の協力だ。アルフィのデータ分析と、俺たちの人間性の融合」


 エリーゼが立ち上がった。


 「民衆に響く『真実の物語』の拡散開始ね」


 マルクスも頷く。


 「技術的な精度と、人間的な温かさの両立」


 リリアが資料をまとめる。


 「感情に訴えかける表現技法の研究も必要ですね」


 『私も協力します』


 アルフィの声が響く。


 『これまでの私は効率性のみを重視していました。しかし、あなたたちから学びました。本当の力は、論理と感情の調和にある』


 俺の胸が熱くなった。


 (これが本当の意味での、パートナーシップなんだな)


  *   *   *


 セレナの情報戦は確かに高度だった。でも、そこには決定的な欠陥がある。


 計算された論理は人を説得できても、心を動かすことはできない。


 俺たちには違う武器がある。体験に基づく真実と、それを支える仲間との絆。そして――


 『レオン』


 アルフィが呼びかける。


 『この戦術で勝算はありますか?』


 「分からない」


 俺は正直に答えた。


 「でも、これが俺たちにしかできない戦い方だ」


 窓の外で、セレナの情報工作員たちが動き回っている。計算され尽くした完璧な戦術で、俺たちを追い詰めようとしている。


 でも俺たちには、計算では測れないものがある。


 人の心の奥底に眠る、正義への憧れ。不完全だからこそ美しい、人間らしさ。


 「始めよう」


 俺は振り返った。


 「AI分析と人間の感情を融合させた、全く新しい情報戦を」


 仲間たちの表情に、決意の光が宿る。


 これは単なる情報戦ではない。論理と感情、効率と温かさ、完璧さと人間らしさ。相反するものを統合して、新しい可能性を切り開く戦いだ。


 セレナよ、君の完璧な論理に、俺たちの不完全な真実で立ち向かう。


  *   *   *


 「でも気をつけろ」


 俺は最後に付け加えた。


 「セレナは俺たちの行動を見ている。きっと次の手を準備している」


 エリーゼが頷く。


 「感情論で真実を歪めるとは、予想以上に狡猾ね」


 その時、執務室のドアがノックされた。


 入ってきたのは、見知らぬ青年だった。顔色が悪く、手に何かの書類を握りしめている。


 「あの……レオン・グレイさんでしょうか?」


 「そうだが」


 青年は震える手で書類を差し出した。


 「これを……お渡しするよう頼まれました」


 俺が書類を受け取ると、青年は慌てたように立ち去った。


 書類に目を通した俺の表情が、硬くなる。


 「どうしたの?」


 エリーゼが心配そうに聞く。


 俺は書類を仲間たちに見せた。


 そこには、セレナからの挑戦状が書かれていた。


 『感情論で真実を歪めるとは、予想以上に狡猾ですね。レオン・グレイ』


 情報戦の新段階が、今始まった。

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