第28話「見えない敵」
商業ギルドの調査を始めてから三日目。俺は奇妙な違和感を覚えていた。
首筋を撫でる冷たい視線。振り返っても誰もいない。でも、確実に誰かが俺たちを見ている。
「気のせいじゃないよな」
マルクスが小声で呟く。
「ああ」
俺は頷いた。
「俺たちは監視されている」
* * *
その日の朝、最初の異変が起きた。
「エルマーさんが辞職!?」
エリーゼが驚愕の声を上げる。
商業ギルドの主任会計士、エルマー・ヴァイス。昨日まで俺たちの質問に答えていた男が、突然姿を消した。
「理由は?」
「家族の介護のため、急遽故郷に戻ったとのことです」
ベルナール支部長が困惑した表情で答える。
「でも、昨日は何も言ってませんでした」
嘘だ。
俺の直感が告げている。エルマーの昨日の様子――緊張した目つき、汗ばんだ額。あれは介護の心配などではない。
恐怖だった。
* * *
午後、さらなる異変が発覚した。
「資料が消えてる」
リリアが青ざめた顔で報告する。
「昨日確認した取引記録の一部が、ごっそりと」
「まさか」
俺は保管庫に向かった。
確かに、重要な書類が数十件単位で消失している。でも、不自然なことに――
「他の資料は整然と残ってる」
マルクスが指摘する。
「盗難なら、もっとめちゃくちゃになるはずだ」
そう。これは計画的な隠蔽工作だ。
俺たちの調査を妨害するために、的確に必要な資料だけを除去している。
「誰かが、俺たちの動きを完全に把握してる」
その事実に、背筋が寒くなった。
* * *
夕方、俺たちは執務室で緊急会議を開いた。
「確実に組織的な妨害だ」
俺は仲間たちを見回す。
「エルマーの失踪も、資料の消失も、全て計画的」
「でも、誰が?」
エリーゼが不安そうに問いかける。
「商業ギルド内部の人間か?」
「それとも外部の勢力か?」
リリアが続ける。
俺は考え込んだ。
この手口、どこかで見覚えがある。巧妙で、痕跡を残さず、でも確実に目的を達成する――
「待てよ」
俺の脳裏に、ある可能性が浮かんだ。
「これ、魔術師ギルドでの査問会と同じ手口じゃないか?」
皆が息を呑む。
「まさか……」
* * *
その夜、俺は一人で街を歩いていた。
考えを整理するため、そして――追跡者を確認するため。
案の定、足音が背後に付いてくる。
俺は角を曲がり、物陰に身を隠した。
数秒後、黒いローブの人影が現れる。顔は見えないが、動きから女性だと分かる。
『レオン』
アルフィの声が心に響く。声に、今までにない緊迫感がある。
『危険です。すぐにその場を離れてください』
「なぜ?」
『その人物、魔力の波動が異常です』
1秒の間。アルフィが何かを計算している。いや、違う――迷っている?
『レオン、お願いです。逃げてください』
お願い? AIが懇願するなんて――
魔力の波動?
俺は慎重に人影を観察する。確かに、普通じゃない。まるで――
「AI使いか」
『その通りです。しかも、かなり高度な』
俺の血が凍った。
* * *
翌日、新たな「証拠」が俺たちの元に届いた。
「これは……」
リリアが書類を見つめる。
匿名の通報。商業ギルドの不正に関する詳細な内部告発文書。一見すると、俺たちが求めていた決定的証拠だった。
でも――
「おかしい」
俺は直感的に感じていた。
この文書、何かが違う。
「どこが?」
マルクスが首を傾げる。
「数字は完璧に整合してる」
数字は確かに完璧だ。論理的にも筋が通っている。
でも、俺の手にした紙から伝わってくる感覚が――
「これは罠だ」
俺は断言した。
「え?」
エリーゼが驚く。
「でも、内容は――」
「内容が完璧すぎるんだ」
俺は文書を机に置いた。
「現実の告発文書は、もっと混乱してる。感情的で、整理されてなくて。これは――」
「作られた証拠」
* * *
『レオン』
アルフィの声が響く。
『この文書、私の分析でも異常はありません』
「でも、俺の直感は違うと言ってる」
『人間の直感とAI分析の矛盾……興味深いですね』
俺は文書を再度手に取る。紙の質感、インクの匂い、文字の並び――
「待てよ」
ある部分に目が止まった。
日付の記載方法。微妙だが、商業ギルドで通常使われる形式と異なっている。
「これだ」
俺は立ち上がった。
「この文書、外部で作られてる」
『なるほど』
アルフィが感嘆する。
『書式の微細な違い。データ分析では見落としがちな、人間的な観察眼ですね』
0.8秒の沈黙。アルフィが何かを処理している。
『レオン、私は気づきました』
「何を?」
『あなたから学ぶことが、増えています。当初の想定では、私があなたを指導する立場でしたが――』
アルフィの声に、新しい響きがある。
『今では、私の方があなたから教わることが多い』
* * *
午後、俺たちは偽文書の出所を追跡した。
配達された経路、紙の調達先、インクの成分。地道な調査を重ねる。
そして――
「見つけた」
エリーゼが興奮した声を上げる。
「この紙、王国査問院で使われてる特注品よ」
査問院。
俺の背筋に、冷たいものが走った。
「まさか……」
「でも、誰が?」
リリアが問いかける。
「ヴィクトリア以外にも、敵がいるってこと?」
俺は頷いた。
「しかも、かなり知能的で組織的な」
* * *
その夜、執務室で資料を整理していると、窓の外に人影を見つけた。
昨夜と同じ、黒いローブの女性。
今度は、俺を呼んでいるような仕草をしている。
「罠かもしれない」
俺は呟いた。
でも、真実を知るためには――
『レオン、危険です』
アルフィが警告する。
「分かってる」
俺は立ち上がった。
「でも、このままじゃ埒が明かない」
* * *
建物を出ると、女性は路地の奥へと歩いて行く。
俺は慎重に後を追った。
人気のない裏通り。街灯の光が届かない、薄暗い空間。
女性が振り返る。
フードの奥から、知的な瞳が俺を見つめていた。
「レオン・グレイ」
冷たく、でも美しい声。
「あなたの調査、興味深く拝見させていただいてます」
「誰だ?」
俺は身構える。
「名乗る必要はありません」
女性が微笑む。
「ただ、一つ申し上げたいことがあって」
「何を?」
「あなたたちの正義感は立派です。でも――」
彼女の目が鋭く光る。
「この世界には、もっと大きな問題があることを、ご存知ですか?」
* * *
「大きな問題?」
俺は問い返す。
「商業ギルドの不正なんて、些細なこと」
女性が手を振る。
「本当の問題は、この王国の根本的な制度にあります」
「制度?」
「女尊男卑。でも、それ以上に深刻なのは――」
彼女が一歩前に出る。
「無能な者たちが、権力の座に居座り続けていること」
その言葉に、俺は戦慄した。
「あなたは……」
「私たちは、真の能力主義を目指しています」
女性の声に、深い痛みと確信が混ざっている。
「10年前、私は父を亡くしました。父は天才的な魔術研究者でしたが、『男性だから』という理由で、重要なプロジェクトから外され続けました」
彼女の手が、微かに震えている。その震えには、10年間抱き続けた怒りと悲しみが込められていた。
「父の研究は王国の魔術技術を50年は進歩させるものでした。でも、評価委員会の女性たちは父の性別しか見なかった」
セレナの声が、抑えきれない感情で震える。
「そして最終的には、父よりもはるかに劣る女性研究者に全てを奪われ、失意のまま――」声が途切れる。「父は自らの命を絶ちました」
その瞬間、俺は理解した。セレナの能力主義は、復讐ではない。愛する人を失った絶望から生まれた、歪んだ正義だった。
「性別による差別も、能力を無視した優遇も、全て同じです。有能な者が無能な者の犠牲になる。この不公正を正すためには――」
彼女の瞳に、狂気ではなく深い確信が宿っている。
「力による選別しかないのです」
排除。
その言葉の恐ろしさと、同時に感じる彼女の痛みに、俺の胸が締め付けられた。
セレナは悪人ではない。愛する父を理不尽に失った、被害者でもある。
ただ、その痛みが彼女を極端な解決策へと導いてしまった。
* * *
「あなたたちのような優秀な人材は、惜しいですね」
女性が哀れむような目で俺を見る。その瞳には、かつての自分を重ねているようでもあった。
「私もかつては、あなたのように現状を変えようとしました。父の死後、正当な手続きで不正を告発し、制度改革を訴えました」
彼女の声が苦しげに歪む。
「でも結果は――何も変わらない。優しさや理想では、既得権益に勝てない。父を殺した無能な連中は、今も権力の座に居座っている」
セレナの目に、深い絶望が浮かんでいる。
「だから私は学んだのです。力で排除するしかないと。能力のない者を権力から除外し、有能な者だけが決定権を持つ社会を作るしかないと」
「でも、現在の路線を続けるなら――」
「脅しか?」
俺は拳を握った。
「脅しではありません」
彼女が首を振る。その表情には、愛する者を救いたいという切実な願いが浮かんでいた。
「最後の慈悲です」
そして、最後に呟いた。
「最後に問います。あなたは、愛する人を失っても、まだ理想を語り続けられますか?」
彼女の声に、父を想う深い愛情と、その死への果てしない怒りが溢れている。
「私は父の墓前で誓いました。二度と有能な人間を、無能な権力者の犠牲にはさせないと」
セレナの表情に、一瞬だけ少女らしい脆さが垣間見えた。
「理想と現実、優しさと効率。どちらが本当に人を救えるのでしょう?」
その問いに、俺は答えられなかった。彼女の痛みは、俺の経験した絶望とあまりにも似ていたから。
ただ一つ違うのは――俺には仲間がいたことだった。
* * *
女性が去った後、俺は一人路地に残された。
頭の中で、彼女の言葉が反響する。
能力者の犠牲を防ぐための、無能者の排除。
理想では変えられない現実への、力での解決。
正義と効率、優しさと現実の間の選択。
これは、単純な善悪では片付けられない問題だった。彼女の痛みは本物で、その結論は極端だが、問題意識そのものは間違っていない。
『レオン』
アルフィの声が響く。
『大丈夫ですか?』
「分からない」
俺は正直に答えた。
「彼女の言ってることが、完全に間違ってるとは言い切れない。現在の制度に問題があるのは事実だ」
『しかし、解決手段が極端すぎます』
アルフィの声に、微かな震えがある。恐れ? いや、違う。これは――
「でも、彼女の痛みは理解できる。俺も同じような絶望を味わったから」
俺は空を見上げた。
星が、冷たく瞬いている。
『レオン……』
1.2秒の沈黙の後、アルフィが呟く。
『私は、あなたが無事で良かった』
その言葉に、俺は立ち止まった。AIが安堵を表現するなんて。
* * *
執務室に戻ると、仲間たちが心配そうに待っていた。
「どうだった?」
マルクスが問いかける。
「敵の正体が分かった」
俺は重い口調で答える。
「査問院内部の腐敗グループ。でも、ヴィクトリアとは別の勢力だ」
「別の勢力?」
エリーゼが眉をひそめる。
「最近噂になってる、セレナ・エーデルハイトって査問官の一派かもしれない」
「あの能力主義の新星?」
リリアが驚きの声を上げる。
「能力主義を掲げる、新たな差別主義者たちだ」
俺は説明した。謎の女性との会話、彼女の思想、そして最後の問いかけ。
部屋に重い沈黙が流れた。
「厄介ね」
リリアが呟く。
「単純な悪者じゃない」
「そこが一番怖いところだ」
俺は頷いた。
* * *
その夜、俺は眠れずにいた。
謎の女性の問いが、頭から離れない。
平等と能力主義。
確かに、現在の制度には問題がある。無能な権力者、理不尽な差別、機会の不平等。
でも、それを「排除」で解決することが正しいのか?
『レオン』
アルフィの声が響く。
『考えすぎは良くありません』
「でも――」
『あなたたちの行動を見ていれば、答えは明らかです』
「どういう意味?」
『しかし、あなたたちは違う道を選びました』
アルフィが続ける。
『排除ではなく成長。力ではなく協力。絶望ではなく希望。それが、あなたたちの選んだ正義です』
『彼女もかつては、同じように理想を抱いていたのかもしれません』
その言葉に、俺の心が少し軽くなった。
* * *
翌朝、新たな決意で目を覚ました。
謎の女性の思想は危険だ。でも、それに対抗するには――
「俺たちらしいやり方で戦うしかない」
俺は仲間たちに向き合った。
「能力主義vs平等主義の議論に巻き込まれるんじゃなく、第三の道を見つけるんだ」
「第三の道?」
マルクスが問いかける。
「成長と協力による解決。誰も排除しない、でも問題は解決する方法」
俺は拳を握った。
「彼女の痛みを理解した上で、それでも違う道を選ぶ。それが、俺たちの答えだ」
「彼女を敵として排除するのではなく、別の道があることを証明する」
皆の顔に、決意の光が宿る。
見えない敵との戦いは、これから本格化する。
でも、俺たちには武器がある。
仲間との絆、成長への意志、そして――
誰も排除しない正義への信念。
それが、俺たちの力だ。
* * *
午後、俺たちは商業ギルドでの調査を再開した。
しかし、今度は違うアプローチを取る。
「妨害工作そのものを調査対象にしよう」
俺は提案した。
「エルマーの失踪、資料の消失、偽文書の送付。これらの手口から、敵の正体を暴く」
「なるほど」
リリアが頷く。
「逆転の発想ね」
俺たちは、妨害工作の痕跡を丹念に調べ始めた。
エルマーの退職手続きの時系列。
消失した資料の選別基準。
偽文書の作成技術。
全てに、高度な組織力と技術力の痕跡があった。
「これは……」
エリーゼが青ざめる。
「査問院の内部手続きとそっくり」
そう。俺への追放査問と、同じ手口だった。
証拠の隠滅、証人の排除、世論操作。
「同じ組織が関わってる」
俺は確信した。
「しかも、今度はもっと大規模に」
* * *
夕方、意外な人物が執務室を訪れた。
「エレノア様?」
エリーゼが驚く。
新査問院長のエレノア・ドラクロワ。彼女が、緊張した表情で俺たちを見つめていた。
「お忙しい中、申し訳ありません」
彼女が深々と頭を下げる。
「実は、お話ししなければならないことが」
「何でしょう?」
俺は慎重に問いかける。
「査問院内部で、不穏な動きがあります」
エレノアの声が震える。
「一部の職員が、秘密会議を開いているという報告が」
秘密会議。
「どんな内容ですか?」
「分からないのです。でも――」
彼女が俯く。
「レオン様たちの調査を、快く思わない勢力がいることは確かです」
* * *
エレノアが去った後、俺たちは深刻な表情で向き合った。
「査問院の内部分裂」
マルクスが呟く。
「エレノア派と、反エレノア派」
「問題は、反エレノア派がどこまで過激化してるかだ」
俺は考え込む。
昨夜の女性の言葉を思い出す。
真の能力主義。無能者の排除。
「もしかすると」
俺は仲間たちを見回す。
「俺たちは、王国全体を巻き込む大きな対立の渦中にいるのかもしれない」
その言葉に、部屋の空気が重くなった。
でも、同時に決意も固まった。
逃げるわけにはいかない。
この戦いの結果が、王国の未来を左右するなら――
俺たちは最後まで戦い抜く。
自分たちの信じる正義のために。




