第27話「疑惑の調査」
商業ギルドの建物は、外見上は何の問題もなかった。
石造りの立派な外壁、磨き上げられた大理石の床、整然と並ぶ事務机。全てが秩序正しく、効率的に配置されている。
でも――
「なんだろう、この感じ」
俺は執務室の入り口で立ち止まった。
肌に触れる冷たい風のような、微かな不快感。数字では表現できない、でも確実に存在する違和感。
「どうした?」
マルクスが振り返る。
「いや……なんでもない」
俺は首を振った。
でも、心の奥では確信していた。
ここには、何かがある。
* * *
「改めてお越しいただき、ありがとうございます」
商業ギルド支部長のベルナール・クラウゼが、深々と頭を下げる。
「こちらこそ、お忙しい中お時間をいただいて」
俺は丁寧に応じた。
「早速ですが、問題の詳細を教えていただけますか?」
ベルナールが書類を広げる。
「ここ三ヶ月間、当ギルドの会計に不自然な動きがあります」
帳簿を見せられる。数字の羅列。一見すると、完璧に整合している。
「具体的には?」
「表面上は問題ありません。しかし――」
ベルナールが眉をひそめる。
「加盟商人たちから、不審な噂が流れています」
「どんな?」
「我々ギルド職員が、特定の商人に有利な情報を流している、という話です」
エリーゼが身を乗り出す。
「それは重大な背任行為ですね」
「ええ。しかし、調査しても証拠が見つからない」
ベルナールが苦渋の表情を浮かべる。
「数字に不正はありません。職員の行動記録も異常なし。でも――」
「でも、噂は消えない」
俺が続ける。
「そういうことです」
* * *
最初の聞き取りは、主任会計士のエルマーからだった。
「不正だなんて、とんでもない」
彼は憤慨した様子で手を振る。
「我々は誠実に職務を果たしています」
言葉に偽りはない。でも――
「エルマーさん」
俺は静かに問いかける。
「最近、職場の雰囲気はいかがですか?」
「雰囲気?」
一瞬、彼の眉がピクリと動いた。
「別に変わったことは……」
嘘だ。
俺には分かった。彼の目が、微かに泳いだから。
「そうですか」
俺は穏やかに微笑む。
「ありがとうございました」
* * *
次に話を聞いたのは、若手職員のマリアだった。
「みんな、最近ピリピリしてるんです」
彼女は小声で打ち明ける。
「何かあったんですか?」
「分からないんです。でも、なんとなく……」
マリアが言いよどむ。
「何でも話してください」
エリーゼが優しく声をかける。
「先月から、一部の上司が内緒話をすることが多くて」
「内緒話?」
「ええ。私たちが近づくと、急に話を止めたり」
なるほど。
俺は頭の中で情報を整理する。
表向きの数字は完璧。でも、現場の空気は明らかにおかしい。
* * *
午後になって、俺たちは加盟商人への聞き取りを始めた。
「ええ、確かに不自然でした」
織物商のハンス・ミュラーが証言する。
「どんなふうに?」
「先月の競売で、私の入札額が漏れていたとしか思えない状況でした」
「具体的には?」
「私が最高額を提示したのに、他の商人がそれを上回る額をピンポイントで提示してきた」
競売の不正。情報漏洩があったとすれば、確かに重大だ。
「でも、証拠は?」
「それが……ないんです」
ハンスが肩を落とす。
「だから、噂にしかならない」
* * *
三件目の聞き取りで、俺は決定的な違和感を覚えた。
「そんな話、初耳です」
香辛料商のグレタ・シュミットが、きっぱりと否定する。
「ギルドは公正に運営されています」
彼女の言葉には、隙がない。完璧すぎるほどに。
でも――
「グレタさん」
俺は静かに問いかける。
「最近、特に利益の上がった取引はありますか?」
一瞬、彼女の表情が硬くなった。
「普通の商売をしているだけです」
普通。
その言葉を強調する時の、微かな緊張。まばたきの回数の増加。
嘘をついている。
* * *
夕方、俺たちは商業ギルドの外で作戦会議を開いた。
「数字だけ見ると、確かに異常はない」
リリアがノートを見返す。
「でも、人間の反応は明らかにおかしい」
マルクスが腕を組む。
「情報漏洩があったとして、どうやって隠蔽してるんだ?」
俺は考え込んだ。
従来の不正なら、必ず痕跡が残る。帳簿の改竄、資金の移動、書類の偽造。
でも、今回は違う。
「もしかすると」
俺は呟いた。
「最初から痕跡を残さない方法があるのかもしれない」
「どういうこと?」
エリーゼが身を乗り出す。
「二重帳簿じゃない。架空取引の連鎖だ」
俺の頭の中で、パズルのピースが嵌まり始める。
「実在しない取引を、複数の商人で共謀して作り上げる」
「でも、それだと金の流れが――」
「金は動かない」
俺はリリアの言葉を遮った。
「情報だけを売買するんだ」
* * *
その夜、俺は一人で再び商業ギルドを訪れた。
夜警に許可を得て、職員記録を詳しく調べる。
表面上は、何の問題もない。勤務時間、担当業務、取り扱い金額。全て適正だ。
でも――
「これだ」
俺は小さく声を上げた。
職員の配置転換記録。一見すると通常の人事異動。
しかし、よく見ると、特定の部署に特定の人間が集められている。
会計課の主任エルマー。
取引仲裁課のヴェルナー。
情報管理課のイングリッド。
そして――
競売入札管理を担当する、副主任のクラウス。
全員が、先月から現在の部署に異動している。
「計画的だ」
俺は確信した。
これは偶然じゃない。意図的に、情報を扱える立場に協力者を配置したんだ。
* * *
『レオン』
アルフィの声が心に響く。
『何か発見がありましたか?』
「ああ」
俺は微笑んだ。
「でも、今回は自力で気づけた」
『……』
0.8秒の沈黙。AIにしては異常に長い。
『素晴らしいですね』
アルフィの声に、温かみがある。いや、それ以上の何かが――誇らしさ?
『人間の感情を読み取る能力。それは、AIには真似のできない技術です』
「感情を読む?」
『はい。表情の微細な変化、声のトーン、身体の緊張。あなたは無意識に、それらを総合的に判断していました』
確かに、そうかもしれない。
エルマーの目の動き。
マリアの緊張。
グレタの過度な否定。
データにはならない、でも確実に存在する情報。
『これも、あなたの才能の一部です』
アルフィが続ける。
『論理的分析と感情的洞察の融合。それが、真の調査能力なのです』
* * *
翌朝、俺たちは再び商業ギルドを訪れた。
「支部長」
俺はベルナールに向き合った。
「問題の核心が見えました」
「本当ですか!?」
彼の目が期待に輝く。
「情報漏洩は確実に起きています。しかし、それは金銭的な利益のためではありません」
「では、何のために?」
「競争を操作するためです」
俺は説明を続ける。
「特定の商人グループが、情報を独占することで、市場を支配しようとしている」
「市場支配……」
ベルナールが息を呑む。
「でも、どうやって?」
「人事異動を利用した、内部協力者の配置。そして、表面上は正当な業務として、機密情報にアクセスできる体制の構築」
俺は職員記録を示す。
「この四人の異動は、偶然ではありません」
「まさか……」
「協力者は、おそらく外部から金銭で買収されています。しかし、その痕跡は巧妙に隠されている」
* * *
「信じられません」
ベルナールが頭を抱える。
「でも、証拠は?」
「これから集めます」
俺は立ち上がった。
「ただし、気をつけなければならないことがあります」
「何ですか?」
「この不正の背後に、もっと大きな組織が関わっている可能性があります」
俺は窓の外を見た。
「単なる金銭的不正なら、こんなに巧妙な手口は使わない」
「つまり?」
「誰かが、商業ギルド全体を掌握しようとしている」
その言葉に、部屋の空気が凍りついた。
「でも、なぜ商業ギルドを?」
エリーゼが問いかける。
「情報の価値が分かる相手だからだ」
俺は振り返る。
「商業ギルドは、王国内の全商取引の情報を握っている。価格動向、需給バランス、新商品の情報――」
「それを支配できれば」
リリアが続ける。
「経済全体をコントロールできる」
「そういうことだ」
俺は頷いた。
「問題は、誰がそれを狙っているかということだ」
* * *
ギルドを出る時、俺は振り返った。
立派な建物。でも、その内部には見えない腐敗が巣食っている。
「レオン」
エリーゼが心配そうに声をかける。
「大丈夫?」
「ああ」
俺は微笑んだ。
「でも、これは始まりに過ぎない気がする」
「どういう意味?」
「この手口、他でも使われてるかもしれない」
俺は空を見上げた。
雲が厚く垂れ込めて、陽光を遮っている。
嵐の前の静けさ。
そんな予感がしていた。
* * *
執務室に戻ると、新たな依頼書が届いていた。
「何これ……」
マルクスが驚いた声を上げる。
依頼主は、王国税務院。内容は、複数のギルドにおける「組織的な脱税疑惑」の調査。
「偶然かな?」
リリアが首を傾げる。
「いや」
俺は確信していた。
「関連がある。間違いなく」
手紙を見つめながら、俺は思う。
見えない敵が、動き始めている。
そして俺たちは、その巨大な影の端っこを掴んだだけなのかもしれない。
『レオン』
アルフィの声が響く。
『注意が必要です』
「分かってる」
俺は呟いた。
「でも、逃げるわけにはいかない」
なぜなら――
これは、俺たちにしかできない戦いだから。
数字では捉えられない真実を、俺たちが暴かなければならない。
* * *
その夜、俺は一人で考え込んでいた。
今日の調査で分かったこと。
人の表情を読む能力。
微細な変化への気づき。
データにならない情報の価値。
これは、AI時代における人間の新しい役割なのかもしれない。
『レオン』
アルフィの声が響く。
『今日の調査、見事でした』
「ありがとう」
『しかし、一つ気になることがあります』
「何だ?」
『今回の相手は、かなり高度な知識を持っています』
俺は身を乗り出す。
「どういう意味?」
『この手口は、AIシステムの死角を突いた手法です』
「死角?」
『データの改竄ではなく、最初から虚偽のデータを作成する。AIは、与えられたデータが真実だと仮定して分析します』
なるほど。
つまり、AI技術に詳しい人物が関与している可能性が高い。
『そして』
アルフィが続ける。
『このような手法を思いつく人物は、限られています』
「まさか……」
俺の脳裏に、ある可能性が浮かんだ。
魔術師ギルドの関係者。
それも、AI技術と情報戦術に精通した――
「考えすぎかもしれないな」
俺は首を振った。
でも、心の奥では、不安が芽生えていた。
この戦いは、俺が思っているより大きく、複雑になるかもしれない。




