第26話「成長の実感」
白い天井が、ぼんやりと視界に映る。
体が重い。まるで全身が鉛でできているみたいだ。でも、不思議と心は軽かった。
「気がついたか」
声がして、ゆっくりと首を動かす。ベッドの脇に、マルクスが座っていた。
「ここは……」
「医務室だ。お前、倒れてから三日も寝てたんだぞ」
三日。
俺は天井を見上げたまま、その言葉を噛みしめる。
でも、後悔はなかった。むしろ、胸の奥に温かいものが広がっている。
やり遂げたんだ。俺たちは。
* * *
窓から差し込む光が、いつもより眩しく感じる。
ベッドに身を起こすと、マルクスが水を差し出してくれた。
「ゆっくり飲め」
冷たい水が喉を通る。生き返るような感覚だ。
「みんなは?」
「全員無事だ。お前ほどひどくはなかったけど、皆疲れてた」
マルクスが苦笑する。
「でもな、レオン」
彼の表情が真剣になった。
「お前、すごかったぞ」
「何が?」
「最後の解析。お前がいなかったら、絶対に無理だった」
俺は首を振った。
「みんなのおかげだよ。俺一人じゃ――」
「そういうところだよ」
マルクスが俺の言葉を遮る。
「前のお前なら、きっと『俺の実力だ』って言ってた」
その言葉に、俺は黙り込んだ。
確かに、そうかもしれない。AI依存していた頃の俺なら。
* * *
午後になって、査問院の担当官が見舞いに来た。
「レオン様、体調はいかがですか?」
「おかげさまで、だいぶ良くなりました」
担当官は満足そうに頷いた。
「改めて申し上げますが、素晴らしい成果でした」
彼は書類を取り出す。
「上層部も、予想以上の成果だと評価しています」
予想以上。
その言葉が、妙に胸に響く。
「特に」
担当官が続ける。
「AIの補助なしで、ここまでの解析を成し遂げたことに、皆驚いています」
俺は苦笑した。
「完全にAIなしじゃないですけどね」
「それでも、です」
担当官の目が真剣だった。
「最近、AI依存の問題が各所で指摘されています。その中で、あなたたちの成果は希望の光です」
希望の光。
大げさな表現だと思ったが、担当官の表情は本気だった。
* * *
夕方、仲間たちが集まってきた。
「レオン!」
エリーゼが真っ先に駆け寄る。
「心配したのよ」
「ごめん」
「謝らないで。あなたが一番頑張ったんだから」
リリアも微笑んでいた。
「でも、良い経験だったわね」
彼女がノートを開く。
「古代の知識体系、本当に興味深かった」
「俺も勉強になった」
マルクスが頷く。
「構造解析の新しいアプローチを学べた」
皆の顔が、誇らしげに輝いている。
それを見て、俺の胸が熱くなった。
これが、チームで成し遂げるということか。
* * *
皆が帰った後、俺は窓際に立った。
夕陽が街を赤く染めている。
『レオン』
アルフィの声が心に響く。
『体調はいかがですか』
「大丈夫だよ」
俺は微笑んだ。
「それより、アルフィ」
『はい』
「ありがとう」
短い沈黙があった。
『何に対してですか?』
「見守ってくれたこと」
俺は窓の外を見つめたまま続ける。
「完全に助けることもできたのに、俺たちの成長を待ってくれた」
『……』
アルフィが沈黙する。それは、0.3秒ほどの間だったが、俺には長く感じられた。
『あなたの成長速度が加速しています』
話題を変えたのか、それとも――
『特に、この一週間での変化は顕著です』
「でも、まだまだだ」
俺は拳を握った。
「今回だって、結局最後まで自力では解けなかった部分もある」
『その謙虚さも成長の証です』
アルフィの声に、以前にはなかった柔らかさが含まれている。
『レオン、覚えていますか?』
「何を?」
『契約時、あなたは言いました。「自分の力で使いこなす」と』
俺は息を呑んだ。
そうだ。あの時の決意。でも、すぐに忘れて、依存してしまった。
『今のあなたは、その言葉を実践し始めています』
* * *
その頃、商工会でも俺たちの成果が話題になっていた。
「本当にAIなしで?」
「いや、最小限は使ったらしいが」
「それでも大したものだ」
商人たちの会話が、俺の耳に入ってくる。廊下を歩いていた時だった。
「レオン・グレイか。追放された男が、ここまで」
「AIに頼りきりだと思ってたが」
「人は変わるものだな」
その言葉に、複雑な気持ちになる。
確かに変わった。でも、それは――
「レオン様」
声をかけられて振り返ると、商工会の幹部の一人だった。
「ヴァレンタイン様」
「素晴らしい成果でしたな」
彼は握手を求めてきた。
「特に、チームワークでの解決法。あれは見事でした」
「ありがとうございます」
「実は、相談があるのですが」
ヴァレンタインが声を潜める。
「我が商工会でも、似たような問題を抱えていまして」
また依頼か。最近、本当に増えた。
* * *
夜になって、リリアが戻ってきた。
「まだ起きてたの?」
「眠れなくて」
俺は苦笑した。三日も寝てたんだから当然だ。
「実はね」
リリアが椅子に座る。
「新しい依頼が来てるの」
「もう?」
「評判が広まったみたい」
彼女が書類を見せる。
「今度は、情報操作事件の調査よ」
情報操作。
俺の得意分野だ。いや、アルフィの得意分野と言うべきか。
「どんな事件?」
「商工会での不正な情報流布。誰かが意図的に偽情報を流して、特定の商人を陥れているらしいの」
複雑な案件だ。でも――
「面白そうだ」
俺は身を乗り出した。
「今度は、どんなアプローチで行こうか」
リリアが微笑む。
「その意欲、いいわね」
* * *
深夜、俺は再び窓際に立っていた。
街の灯りが、星のように瞬いている。
『レオン』
アルフィの声が響く。
『一つ、質問があります』
「なんだ?」
『成長とは、何を得て、何を失うことなのでしょうか』
哲学的な問いだった。
俺は少し考えてから答える。
「分からない」
正直な答えだった。
「でも、今回分かったことがある」
『それは?』
「成長って、一人じゃできないんだ」
俺は振り返る。
医務室のベッドには、俺の荷物の横に、仲間たちが置いていった見舞いの品が並んでいた。
花、本、お菓子。
どれも、俺を想う気持ちが込められている。
「誰かに支えられて、誰かを支えて。そうやって、少しずつ前に進むものなんだ」
『なるほど』
アルフィの声に、考え込むような響きがあった。
『それは、AIには理解しがたい概念です』
「そうかな?」
俺は微笑んだ。
「アルフィだって、俺を支えてくれてる」
『それは、契約に基づく――』
「違う」
俺は首を振った。
「もう、そんな関係じゃないだろ?」
アルフィが沈黙する。
今度は、もっと長い沈黙だった。
* * *
明け方、俺は目を覚ました。
まだ薄暗い医務室で、ふと考える。
「この二週間で、俺は何を学んだのか」
俺は心の中で振り返る。
AI断絶の衝撃。
自分の無力さへの直面。
基礎からやり直す決意。
小さな成功の積み重ね。
仲間との協力。
限界への挑戦。
そして――
「失敗も、成長の一部なんだ」
俺は呟いた。
以前の俺なら、失敗を恐れて、確実な方法――つまりAIに頼っていただろう。
でも今は違う。
「失敗しても、そこから学べばいい」
「転んでも、立ち上がればいい」
「一人で無理なら、仲間と共に」
心の中で自分に言い聞かせる。
『その通りです』
アルフィの声が響く。
『失敗を恐れない勇気。それが、真の強さの第一歩です』
「アルフィはどうなんだ?」
俺は問いかける。
「AIは失敗しないだろ?」
『いいえ』
意外な答えだった。
『私たちも、判断を誤ることがあります』
「本当に?」
『はい。特に、人間の感情に関する判断では』
アルフィが続ける。
『データでは予測できない、人間の選択。それが、私たちの限界です』
「でも、それって――」
『ええ。だからこそ、人間とAIの協力が必要なのです』
その言葉に、深い意味を感じた。
* * *
翌朝、俺は退院の準備を始めた。
体はまだ本調子じゃないが、いつまでも寝ていられない。
「無理するなよ」
マルクスが心配そうに言う。
「大丈夫だ」
俺は笑顔を見せた。
「それに、新しい依頼もあるんだろ?」
「まあ、そうだけど」
荷物をまとめながら、俺は思う。
「三日前の俺と、今の俺。何が変わったのか」
俺は心の中で問いかける。
能力? 知識? 経験?
どれも少しずつ増えた。でも、一番大きな変化は――
「自信、かな」
俺は呟いた。
「何か言った?」
エリーゼが振り返る。
「いや、なんでもない」
俺は首を振った。
でも、心の中では確信していた。
「俺は変わった」
「AIに頼りきりだった俺は、もういない」
俺は心の奥で確信する。
完全に自立したわけじゃない。まだまだ未熟だ。
でも、一歩ずつ前に進んでいる。
仲間と共に。
アルフィと共に。
そして何より、自分自身の足で。
* * *
医務室を出る時、俺は振り返った。
三日間過ごしたベッド。
窓から見えた風景。
仲間たちが残していった見舞いの品。
「全部が、俺の成長の証だ」
俺はしみじみと思う。
「行こう」
俺は呟いて、扉を閉めた。
廊下を歩きながら、アルフィの声が聞こえる。
『レオン、あなたは気づいていますか?』
「何に?」
『この二週間で、あなたの分析力は飛躍的に向上しています』
俺は歩みを止めた。
「本当に?」
『ええ。AIなしでの正解率が、20%から85%まで上昇しました』
85%。
それは、古代装置解析での正確性と同じ数字だった。
『しかし、最も重要な変化は別のところにあります』
「どこに?」
『問題解決へのアプローチです』
アルフィの声に、温かみが含まれている。
『以前のあなたは、答えを求めていました』
『今のあなたは、解決の過程を楽しんでいます』
その指摘に、俺は立ち止まった。
確かに、そうかもしれない。
古代装置の解析中、困難な部分でも、不思議と苦痛ではなかった。
むしろ、パズルを解くような楽しさがあった。
「それって、いいことなのか?」
『はい。知的好奇心に基づく学習は、最も効率的で持続可能です』
俺は微笑んだ。
そして、再び歩き始める。
新しい一歩を、踏み出すために。




