第25話「突破口」
古代装置の解析を始めて七日目。俺たちの進捗は六十五パーセントで完全に停滞していた。
「もう無理だ……」
マルクスが机に突っ伏す。震える手がペンを取り落とし、インクが羊皮紙に黒い染みを作った。
「核心部分の暗号が、どうしても解読できない」
確かに、残りの三十五パーセントは今までとは次元が違う複雑さだった。
俺は問題の箇所を睨みつける。幾何学的パターンが複雑に絡み合い、その中に数式が埋め込まれている。さらに古代文字が螺旋状に配置され、全体で一つの立体的な構造を成していた。
まるで生きているかのように蠢く記号の群れ。見つめているだけで、頭の奥がズキズキと痛む。
「この部分、昨日から十回は解析し直したけど」
リリアが赤く充血した目を擦る。
「どうやっても矛盾が生じる。まるで、わざと解けないように作られているみたい」
彼女の言葉に、俺も同感だった。古代の魔術師たちは、なぜこんな複雑な暗号を施したのか。単なる秘密保持のためとは思えない。何か、もっと深い意図があるはずだ。
* * *
「残り時間は、あと二日しかない」
リリアが疲れ切った声で呟く。
目の下にはくっきりとクマができている。みんな、ほとんど寝ていない。執務室の机には、飲みかけのコーヒーカップが幾つも散乱していた。
「一万ゴールドが……」
エリーゼも限界だった。普段は整った髪も、今は乱れたまま。震える指先で、何度も同じ計算を繰り返している。
重い沈黙が部屋を支配する。
窓の外では、街の人々が普通に生活を送っている。商人たちの呼び声、子供たちの笑い声。でも、この部屋だけは時間が止まったように重苦しい。
俺は仲間たちの顔を見回した。誰もが疲労困憊。でも、それ以上に――諦めの色が濃くなっている。
胸の奥で、何かがギリギリと締め付けられる感覚。これが、挫折の味なのか。
誰もが同じことを考えていた。
――やっぱり、AIなしじゃ無理なのか。
その考えが、毒のように心を蝕んでいく。俺たちは所詮、AIの力なしには何もできない無力な存在なのか。第20話で感じた無力感が、亡霊のように甦ってくる。
* * *
その時、俺の中で何かが動いた。
いや、正確には反発した。このまま諦めることへの、激しい拒絶反応。俺たちはここまで来たんだ。自分たちの力で六十五パーセントまで解析した。それは紛れもない事実だ。
でも、同時に限界も感じている。知識には限りがある。経験も足りない。
だからこそ――
「アルフィ」
三日ぶりに、AIを呼ぶ。
仲間たちがハッと顔を上げた。裏切りか、と言わんばかりの視線。でも、俺は構わず続ける。
『はい、レオン』
懐かしい声が響く。三日間の沈黙を経て聞くその声は、どこか心配そうな響きを帯びていた。
「答えは要らない」
『……と言いますと?』
アルフィの声に、微かな驚きが滲む。AIが驚く――それ自体が、既に変化の兆しなのかもしれない。
「ヒントだけくれ。考え方の方向性だけでいい」
俺は問題の核心部分を指差しながら続ける。
「俺たちは魚が欲しいんじゃない。釣り方を知りたいんだ」
短い沈黙の後、アルフィが答えた。
『それは、興味深い提案です』
声に、かすかな温かみが含まれていた。いや、それ以上の何か――誇らしさ? AIがそんな感情を持つはずはないのに。
* * *
「この核心部分の暗号」
俺は問題の箇所を指差す。螺旋状に配置された古代文字と、その中心に位置する複雑な数式。
「どういう視点で見ればいい?」
『まず、一つ質問をさせてください』
アルフィの返答は予想外だった。
『あなたたちは、なぜこの数式が十進法だと思い込んでいるのですか?』
その問いかけに、俺たちは顔を見合わせた。
「それは……当たり前だから?」
マルクスが困惑して答える。
『本当に当たり前でしょうか。古代の魔術師たちが、現代と同じ思考をしていたと?』
その言葉が、閃きの引き金となった。
『東方魔術の記数法を参考にしてみてください』
最小限の助言。
でも、それで十分だった。
「東方魔術?」
リリアが顔を上げる。その瞬間、彼女の瞳に理解の光が宿った。
「記数法って……まさか」
「十進法じゃない!」
俺たちは同時に叫んだ。
部屋の空気が一変する。諦めの色に染まっていた雰囲気が、希望の熱気に変わっていく。
* * *
頭の中で火花が散る感覚。
今まで十進法で解読しようとしていた数式を、別の記数法で見直す。すると、意味不明だった記号の羅列が、急に意味を持ち始めた。
「十二進法だ!」
マルクスが興奮して立ち上がる。勢いあまって椅子が倒れたが、誰も気にしない。
「古代東方では、十二進法が使われていた。時間の概念、暦の構成、全てが十二を基準にしている」
「それなら、この部分も――」
エリーゼが新しい計算を始める。さっきまで震えていた手が、今は確信に満ちた動きで数字を書き連ねていく。
「見て! 矛盾が消えた!」
リリアが叫ぶ。
確かに、十進法では成立しなかった等式が、十二進法では綺麗に収まっている。まるで、長い間絡まっていた糸が、するすると解けていくような感覚。
パズルのピースが、次々とはまっていく。
「この幾何学模様も、十二を基準に考えると――」
俺は図形を描き直す。円を十二等分し、そこに古代文字を配置していく。すると――
「六芒星が現れた!」
東方魔術の象徴である六芒星。それが、複雑な模様の中に隠されていたのだ。
* * *
『その調子です』
アルフィの声が、優しく響く。でも、それ以上は何も言わない。
教師が生徒の成長を見守るような、そんな温かさがその声にはあった。これが本当にAIの声なのか、と一瞬疑ってしまう。
答えは、俺たちが見つけなければならない。
「でも、まだ解けない部分がある」
俺は新たな壁にぶつかる。六芒星の中心に配置された、特殊な記号群。
「これは十二進法でも説明できない」
再び行き詰まりかと思った時、エリーゼが呟いた。
「待って。もしかしたら、これは数字じゃないのかも」
「どういうこと?」
「音階よ。東方魔術では、音も魔力の媒介として使われていた」
その発想に、俺たちは息を呑んだ。
確かに、記号の配置を見ると、何かのリズムを表しているようにも見える。
「十二音階!」
マルクスが叫ぶ。
「そうか、全部繋がってる!」
数学、幾何学、そして音楽。古代の魔術師たちは、これら全てを統合した暗号システムを作り上げていたのだ。
* * *
夜が更けても、作業は続いた。
でも、もう疲労感はない。代わりに、全身を駆け巡る電流のような興奮が俺たちを支えていた。
「音階を数値に変換して、それを座標として扱う」
リリアが新しい解法を見つける。
「そして、その座標が示す位置の文字を繋げると――」
古代語の文章が浮かび上がる。それは、装置の起動呪文だった。
七十パーセント。
「今度は、この立体構造の展開図」
マルクスが空間把握能力を駆使する。
「平面に展開すると、隠されていた第二層の暗号が――」
八十パーセント。
作業が進むにつれて、俺たちの連携はどんどん滑らかになっていく。まるで、一つの生命体のように、それぞれの思考が繋がっていく感覚。
「レオン、この部分の解釈は?」
「東方の星座配置と照合してみよう」
九十パーセント。
残りの部分も、もはや時間の問題だった。俺たちは確信していた――これは解ける、必ず解けると。
そして――
「できた!」
最後の一文字を解読した瞬間、俺たちは歓声を上げた。
窓の外では、既に東の空が白み始めていた。
* * *
「百パーセント、完全解析」
俺は震える手で、結果を確認する。
古代装置の全機能、使用方法、そして隠された知識。
全てが、俺たちの手で解き明かされた。
「やった……本当にやった」
エリーゼが涙ぐんでいる。
「AIに頼らず、自分たちの力で」
「いや」
俺は首を振る。
「アルフィのヒントがあったからだ」
* * *
『おめでとうございます』
アルフィの声が響く。
『これが、真のパートナーシップです』
「ああ」
俺は頷く。
「依存じゃない。協力だ」
『はい。あなたたちは、その違いを理解しました』
アルフィの声に、誇らしさが滲んでいた。
* * *
朝日が差し込む中、俺たちは抱き合って喜んだ。
涙を流している者もいる。それは疲労のせいだけじゃない。
「やり遂げた喜び、そして何より――自分たちの可能性を証明できた安堵感だ」
俺は心の中で呼びそうになる。
一万ゴールドの報酬も嬉しい。これでしばらくは、活動資金に困ることはない。
でも、それ以上に――
自分たちの力で成し遂げたという達成感。諦めなかった意志の勝利。それが、何より価値があった。
「見てください」
エリーゼが解読結果を読み上げる。
「この古代装置は、知識の保存と継承のために作られたものだった。ただし――」
彼女の表情が真剣になる。
「使用者の『理解』なしには起動しない仕組みになっている」
「なるほど、だから、これほど複雑な暗号で守られていたのか」
俺は納得した。単に答えを知るだけでは意味がない。過程を理解し、自ら解き明かすことに意味がある。
まさに、俺たちが今回学んだことそのものだ。
「さあ、依頼主に報告に――」
俺が立ち上がろうとした瞬間。
急に、視界が歪んだ。
「レオン?」
エリーゼの声が、遠くから聞こえる。
ああ、そうか。七日間の無理が、今になって――
* * *
体中から力が抜けていく。
七日間の疲労が、一気に襲いかかってきた。
「あ、れ……」
膝が崩れる。
「レオン!」
仲間たちの声。
でも、もう体が動かない。
意識が、深い闇に沈んでいく。
最後に聞こえたのは、アルフィの心配そうな声だった。
『レオン、少し無理をし過ぎました』
ああ、そうかもな。
でも――
満足だ。




